ポーランド旅行記④ − アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

ポーランド旅行記4日目の記録です。

 

クラクフからオシフィエンチムへ

この日は第二次世界大戦の際にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所と呼ばれていた場所、現在のアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の見学へ向かいます。

博物館はクラクフから西へ60kmのオシフィエンチム(Oświęcim)という街にあります。

アウシュヴィッツ(Auschwitz)という名前は、このオシフィエンチムのドイツ語読みなのだそう。

博物館は4〜9月の10〜15時は個人での見学は不可。ガイドツアーによる見学のみとなります。ツアーはこちらの博物館公式ホームページから予約可能(英語)。

Auschwitz-Birkenau

並べば当日の入館もできるようですが、確実にその日に見学したい場合は事前に予約しておくのが無難でしょう。

などと言っている自分も数日前になって予約しようとしたら、この日の一般ツアー(3.5時間)はすでに売り切れ。スタディツアー(6時間)という長時間の本格コース(?)が一枠だけ残っていたので、こちらに予約を入れておきました。

*最初は6時間は長いと思ったのですが、結果的にはこのコースを選んで良かったと思える充実した内容でした。じっくり回りたい人はこのコースでも全く問題ないと思います。

ただ6時間のスタディツアーは朝の9時にスタートするので、それまでには博物館に着いていなければなりません。

博物館への交通はバスと電車があり、バスは博物館前に停車、電車は博物館から徒歩20分のオシフィエンチム駅に到着するとのこと。

それでも電車の方が好きなので、最初は電車で行こうと思っていたのですが、、、

【電車の場合】クラクフ中央駅5:41発 オシフィエンチム駅7:39着
(この次の電車だと8:39着になってしまうので、おそらく間に合わない。)
【バスの場合】クラクフMDAバスターミナル7:10発 博物館前8:35着

電車を選ぶと4時半起き(!)になってしまうので、ここは素直にバスを選ぶことにしました。

バスは定刻に博物館前に到着。30×20×10cmより大きなカバンは入館前に預けなければいけないという規定なので、荷物預かり所にリュックを預け、ツアーのスタート地点へ。

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ガイドさんはマイクを付けていて、その声を聞けるヘッドセットを貸してくれるので、ガイドさんと少々距離が離れてしまっても声が聞こえるという親切設計。

ただ調子にのってグループからはぐれないように注意しなければなりません。(この日は2度もはぐれかけてしまい、冷や汗ものでした。)

 

アウシュヴィッツ第一強制収容所(Auschwitz I)

午前中は第一強制収容所(いわゆるアウシュヴィッツ)の方を回ります。

正直、ここに来るまではとんでもない負のオーラが漂っているような場所を想像していたのですが、そこまでの雰囲気はなく、歴史的な建築物の一画にいるという感じ。

収容所入り口の「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」という有名なプレートをくぐって敷地内へ。

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最初に訪れたのは block 4 という建物。

当時の写真がたくさん展示されていて、それらを見ているうちに「ここで起こったこと」が少しずつリアリティを持って迫ってきます。

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収容者の大量虐殺に使われたチクロンBという劇薬の空き缶の山。

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この他にも収容者から刈り取った髪の毛の山など、忘れられなくなりそうな強烈な展示の数々。

ただガイドさんの説明に泣き出しそうな表情をしている参加者もいるのですが、なかなかそこまで強い感情が湧き上がってきません。

率直に言えば、まだ「ここで起こったこと」を十分に理解できていないという感じ。

自分はどこか人間として偏っているところがあるのかもしれないな、などということを考えていました。

その後は収容者から没収した所持品の展示、収容者の写真(一人一人の氏名、生年月日、職業などが書いてある)、収容者の居住スペース、数千人の収容者が銃殺されたという死の壁、マキシミリアン・コルベ神父が収監された地下牢などを見学。

地下牢はそこにいるだけで息苦しくなるような重苦しい雰囲気。ここで餓死刑や窒息刑になるというのは完全に想像を超えた世界です。

建物内の見学を終えて、明るい戸外に出るとホッとします。

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収容所の周囲には鉄条網が張り巡らされています。当時は高圧電流が流されていたのだそう。

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さらにアウシュヴィッツの初代所長であったルドルフ・フェルディナント・ヘスの死刑を執行した絞首台や復元されたクレマトリウム(ガス室と焼却炉)なども回りました。

さまざまな展示の中で特に印象に残ったのは、収容されていた子供たちが描いたという絵の数々。

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午前中のツアー最後はアウシュヴィッツだけではなくホロコースト全体に関する展示が行われている建物に入り、収容所からの生存者のインタビュー動画などを見ました。

11:40くらいに一旦解散。お昼休みを挟んで、各自12:20に出発するビルケナウ(アウシュヴィッツ第二強制収容所)行きのシャトルバスに乗って、ビルケナウの入り口に集合とのこと。

博物館に併設のカフェレストランで、チキンスープ・野菜の盛り合わせ・エスプレッソなどを注文し、軽い昼食にします。

 

アウシュヴィッツ第二強制収容所 ビルケナウ(Auschwitz II – Birkenau)

急いで昼食を済ませ、シャトルバスにのって第二強制収容所ビルケナウへ。

アウシュヴィッツから3キロほどの田舎道を走っていくと、ビルケナウの門が見えてきました。門の中に線路が入っていく光景は写真などで見たことがあります。

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12:30頃、無事に参加者全員が門の前に集合。ここからはヘッドセットなし。ガイドさんの近くに付いて行動します。木造のバラック、SS監視塔、レンガのバラックを順番に回っていきます。

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レンガのバラックの中には3段の木造ベッドが連なっており、地面からは土ぼこりがもうもうと舞い上がっていました。

ここに至って、実際にここで寝起きしていた収容者の生活を想像して、しめつけられるような気持ちになりました。

ここへ来る前に読んでいたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』に描かれていた収容者の内面世界がリアリティを持って立ち上がってきたのです。

 

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比較的コンパクトにまとまっているアウシュヴィッツとは異なり、このビルケナウはとにかく広い。あるポイントからもう一つのポイントへ歩いていくだけでも、なかなか大変です。幸いにもこの日は快晴だったので助かりました。

収容所として使われていた当時はこの広大な敷地の中に300以上のバラックがあったそうです。

ビルケナウへ到着した人々は、プラットホームの上でSSによって労働者/ガス室送りのいずれかに分別されました。

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ツアーではガス室送りになった人が歩いた道と同じ道を歩いていきます。

ガス室が満室のときには、人々は森で待機を強いられたこともあったそうです。

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近くには収容者が隠れて撮影したという死体の山の写真が展示されていました。

その後、証拠隠滅のためにSSが破壊したガス室の跡や収容者用のサウナ(消毒などを行う)を見学。

結局、一連の見学を終えて思ったことは「わからない」ということ。

収容者の体験は想像の限界を超えていて、彼らがいったいどのような気持ちでいたのか、ありありと感じるまでには至りませんでした。

そしてなぜこのようなことが起こってしまったのか、人間になぜこのようなことができたのか、その答えももちろんわかりません。

ツアーの最後にはビルケナウの中心にあるモニュメント(犠牲者国際追悼碑)へ。さまざまな言語でメッセージが書いてあります。

日本語はありませんでしたが、英語のメッセージは一番右端に。

FOR EVER LET THIS PLACE BE
A CRY OF DESPAIR
AND A WARNING TO HUMANITY,
WHERE THE NAZIS MURDERED
ABOUT ONE AND A HALF
MILLION
MEN, WOMEN, AND CHILDREN,
MAINLY JEWS
FROM VARIOUS COUNTRIES
OF EUROPE.

AUSCHWITZ-BIRKENAU
1940-1945

わからないことはわからないままに、静かに目を閉じて犠牲者を追悼することにしました。