I am no man, I am dynamite − metaphor of human beings

私は人間ではありません。ダイナマイトです。
 − フリードリヒ・ニーチェ「この人を見よ」

「この人を見よ」は、1888年に書かれたニーチェの自伝です。翌1889年の1月にニーチェは発狂し、肺炎で亡くなる1900年8月まで、狂気の中で12年間の療養生活を送りました。

狂気に陥りつつあったニーチェがどういう意図でダイナマイトという言葉を使ったのかはわかりませんが、「私=ダイナマイト」というのは、もちろん一つのメタファーです。

メタファー(metaphor)は、隠喩(いんゆ)、暗喩(あんゆ)ともいい、伝統的には修辞技法のひとつとされ、比喩の一種でありながら、比喩であることを明示する形式ではないものを指す。つまり、「~のようだ」のような形式だけであからさまに比喩とわかる比喩(=simile 直喩、明喩)ではないもののことである。

Wikipedia「メタファー」より

人間の存在の不思議さは、古今東西、人間に関するさまざまなメタファーを生み出してきました。そのいくつかを紹介してみたいと思います。

人間は万物の尺度である。
 − プロタゴラス
人間はすべて暗い森である。
 − サマセット・モーム 「作家の手帳」
人間とは、パラドックスの体現であり、矛盾の塊である。
 − オーギュスト・コント
人間は一本の葦にすぎない。 自然のうちで最も弱いものである。だがそれは考える葦である。
 − ブレーズ・パスカル「パンセ」
人間は真理に対しては氷、虚偽に対しては火である。
 − アンリ・フレデリック・アミエル 「日記」
人間は大きな海だ。二つ三つのしずくが汚れても、海は汚れない。
 − マハトマ・ガンジー

どれか心に残るメタファーはあったでしょうか?

こうしてみると、人間ほどあらゆるものに例えられる存在は他にないのかもしれません。

森であり、火であり、氷であり、海でもある、人間というのは実に不思議な存在だと思います。