「憤死」する人

photo credit: Ferran. via photopin cc

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中国の後漢末期から三国時代にかけての群雄割拠を描いた歴史書『三国志』。

その登場人物に陸遜(りくそん)という人がいます。

陸遜は三国時代の三国の一つ呉(ご)の重臣として活躍した人物。

若くして重用され、軍事・内政の最高責任者にまで上り詰めましたが、最後は皇帝孫権の後継者争いに巻き込まれ悲運の最期を遂げます。

後継者問題が紛糾し、孫和廃立の声が強くなると、太子太傅の吾粲は陸遜に手紙を送り事態を報告した。陸遜は嫡子と庶子の区別は明確にすべきだとして孫和を擁護する上奏を行った。さらに首都の建業に出向いて孫権を直接説得しようとしたため、孫覇派が孫権に讒言。孫和派の家臣達が次々に失脚した。孫権は陸遜に対しても問責の使者を何度も送り、これによって陸遜は憤死した(二宮の変)。

Wikipedia『陸遜』より

さて今日のトピックはこの陸遜の死因である「憤死」について。

三国志には、この陸遜のほかにも「憤死」する人がよく出てきます。

しかしそもそも憤死とはどんな死に方なのでしょう?

ふんし【憤死】

憤慨して死ぬこと。

『広辞苑 第五版』

ふんし【憤死】

激しい怒りのうちに死ぬこと。

『デジタル大辞泉』

辞書によると、憤死というのは「怒り」のために死ぬこと。

しかし人が怒りだけで死ぬなどということが本当にあるのでしょうか?

なんとなく憤死というのは「怒りのあまり自殺してしまうこと」というイメージがあったのですが、さまざまな辞書を調べてもそのような意味に触れたものはありませんでした。

となると、あまりに怒り過ぎて脳内の血管が破裂して死んでしまうとか?

??

あまり現実味はありません。

少なくとも現代の死亡記事において、◯◯憤死などと報じられているのは見たことがないので、これは比喩的な表現なのかなと思います。

つまり医学的な死因は別にあるものの、憤懣やるかたない気持ちを表すために「憤死」という表現を使っているのかと。

いずれにしても、憤死というのはなかなか壮絶な最後。

ただ、それほどの激情を噴出して逝った人というのは、ある意味人生を全うした人なのかもしれません。

凡人である自分などは、できれば心穏やかに最後の時を迎えたいと思ってしまうのですが、あなたはどちらでしょうか?