一隅を照らす
ここ数日、ISIS による邦人誘拐事件の報道に触れながら、さまざまなことを考えました。
- 後藤さんの行動の是非。英雄論/自己責任論。
- 今回の事件の真の動機。
- ISIS という巨大な運動は人の心のどこから生まれたのか。またこれからどこへ向かおうとしているのか。
そして最後に辿り着くのは、
こんなにも壊れてしまった世界の中で、自分にはいったい何ができるのだろう?
という自らに対する問い。
さまざまな想念が浮かんでは消えて、それからふと降りてきたのが「一隅を照らす」という最澄法師の言葉。
径寸十枚、是れ国宝にあらず、一隅を照す、此れ則ち国宝なり
『山家学生式』
国の宝というのは金銀財宝のことではなく、自分の与えられた場所で自分の役割を果たすことのできる人のことである。
(解釈論争はありますが)昔から日本人の心の拠り所になってきた言葉の一つです。
私たちの社会というのは、例えば巨大な御神輿を担いでいるようなもの。
一人が手を離しても、神輿はびくともしませんが、全員が手を離したら、神輿はすとんと落ちてしまいます。
どんなにささやかな力であったとしても、神輿の担ぎ手の一人として社会に貢献すること。
そんなことが強く求められている時代なのでしょう。
報道を通して伝わる私たちの世界はとても残酷で、恐怖に満ちています。視界は暗く、冷たい風が吹きすさぶばかり。
そんな世界の中で、あなた自身が灯台のように周囲を照らす光であれ。と、そんな言葉を同じ時代を生きる大切な人に送りたいと思います。