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労いのすすめ

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ねぎらう【労う・犒う】

その人の骨折りに対して、ご苦労だという気持を何らかの行為で示す。「労をー」

「新明解国語辞典 第七版」

もしも最近、職場の雰囲気がちょっとぎすぎすしているなと思ったら、労いの気持ちが不足しているのかもしれません。

冬の朝に白い息を吐きながら出勤して来た人には「寒かったでしょう」。

忙しくてお昼に出るのが遅れた人には「お腹が空いたでしょう」。

残業をしてため息を付いている人には「疲れたでしょう」。

書き出してみると、どれも当たり前の言葉なのですが、こういう言葉の使い方というのは今の日本社会から急速に失われているようにも思います。

自分は労いの言葉くらいかけるよ!と言う人も、よくよく振り返ってみると、

「お疲れー」

くらいで終わっていませんか?

相手の気持ちにきちんと降りていくというのは、案外難しいことですよね。

ある一日、もしも世界中の人がみな一言、身の回りの人に本当の労いの言葉をかけたなら、それだけで地球上のさまざまな紛争が解決に向かうのではないか。そんな幻想すら抱きます。

そんな「労う」は英語で何と言うのだろう?と思い、Google翻訳で英訳してみたものの結果は次のとおり。

  • ねぎらう → Negirau
  • 労う → Negirau

たしかに「労う」に当たる英単語というのは、考えてみてもなかなか思い付きません。

実際、日本語の「労う」という動詞の持つ意味を端から端まで日本語を解さない人に伝えようと思ったら、かなりの言葉を費やさなければならないでしょう。

そういう意味で「労う」というのは実に日本語らしい日本語なのだと思います。

せっかくこんな素晴らしい動詞を持っているのだから、身の回りの人にしっかりと労いの気持ちを伝えていきたいものですね。

 
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ネコと王様

photo credit: Picture Zealot via photopin cc

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飛田茂雄さんの『探検する英和辞典』を読んでいたら、cat の項目に面白い表現がのっていました。

A cat may[can]look at a king.

ネコは(恐れ入る気配などまるでなく)平気で王様を見ることができる

『探検する英和辞典』より

解説によると、これで「あんたには負けないよ、こっちにも意地ってものがある」という意味になるのだそう。

ここでの cat は身分の高くない人の象徴。

身分にかかわらず、生きとし生けるものはみな平等であるという信条を表しています。

数ある動物の中からなぜネコが選ばれたのかはわかりませんが、権力と対峙する一匹狼、もとい一匹猫の心意気を感じることができる表現ですね。

また『探検する英和辞典』によると、この表現には次のようなバリエーションもあるのだとか。

A cat can laugh at a king.

A cat may shake hands with a king.

『探検する英和辞典』より

王様の方も、ネコに見られるだけでなく、笑われたり、握手を求められたり(?)とずいぶん振り回されています。

何だか王様に同情を感じてしまうのは私だけでしょうか?

 

探検する英和辞典
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『グレープフルーツ・ジュース』オノ・ヨーコ

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世界中のすべての時計を二秒ずつ早めなさい。

誰にも気づかれないように。

(Make all the clocks in the world fast by two seconds without letting anyone know about it.)

オノ・ヨーコ『グレープフルーツ・ジュース』より

久しぶりに、オノ・ヨーコさんの『グレープフルーツ・ジュース』という詩集を読み返しました。

この詩集の初版はオノ・ヨーコさんが、まだジョン・レノンと出会う前の1964年に出版したもの。

手元にあるのは、その初版を編集し、さまざまな写真家によるモノクロームの写真を添えた1993年の再発版。

冒頭に紹介した一節のように、全てが命令形で書かれたこの詩集はジョン・レノンの「イマジン」のインスピレーションの源となりました。

思い返してみると、最初にこの詩集に出会ったのは高校生の頃。

あの頃、この本を読みながらどんなことを考えていたのか、思い出そうとしてみるものの全く思い出せません。

今、改めて読んでみると、すっと通り過ぎるページとはっと立ち止まるページがあって、そういった感受性というのは年とともに変化しているのだろうと思いました。

はっと立ち止まるページというのは、この世界の新しい見方を教えてくれるものであったり、何か新しいことをやってみようという気持ちを後押ししてくれるものであったり。

いずれにしても、新しい年の初めに読むのにふさわしい一冊なのかなと思います。

立ちつくしなさい。

夕暮れの光の中に。

あなたが透明になってしまうまで。

じゃなければ

あなたが眠りに落ちてしまうまで。

(Stand in the evening light until you become transparent or until you fall asleep.)

 

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空のけしきもうらうらと

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いよいよ、2015年が始まりました。

とはいえ、今日のところはのんびりとお正月を過ごしている人がほとんどでしょう。

新年を祝う正月という行事がいつ頃から始まったのかはわかりませんが、今から約1,000年前に書かれた清少納言の『枕草子』には元日についての記述があります。

正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めづらしう霞みこめたるに、世にありとある人は皆、姿、かたち、心異につくろひ、君をも我をも祝ひなどしたる、様異に、をかし。

「空のけしきもうらうらと」というのは、お正月らしいほのぼのした表現ですね。

この短い一文に、現代のお正月と変わらない祝祭の気配を感じることができます。

そんな『枕草子』は『The Pillow Book』というタイトルで英訳もされています。

さきほどの件は、いったいどのように英訳されているのでしょう?

On the first day of the year, the sky is gloriously fresh and spring mists hang in the air. It’s quite special and delightful the way people everywhere have taken particular care over their clothing and makeup, and go about exchanging New Year felicitations.

*felicitation(祝辞、乾杯)

『The Pillow Book』translated by Meredith McKinney

「空のけしきもうらうらと」の部分は、英訳では ‘the sky is gloriously fresh’ となっています。

ここだけを見ると、ちょっとニュアンスが違うかな?と思うところもありますが、文全体を読むと、お正月の華やいだ空気がきちんと伝わっているような気もします。

考えてみると、1,000年の時を超えて、言葉の壁を越えて、一人の女性の気持ちに共感できるというのは驚くべきことではないでしょうか。

そんな不思議な力を持つ「言葉」に関するちょっとした話題を、今年もこのブログでは取り上げていきたいと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。

それでは、2015年がみなさまにとって素晴らしい年になりますように。

 

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除夜の鐘はなぜ108回なのか?

photo credit: kirainet via photopin cc

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大晦日の今日はネルケ無方さんの『ただ坐る』という坐禅の本を読んでいました。

その中に、大晦日の除夜の鐘はなぜ108回なのか?についての説明があったので、紹介してみたいと思います。

二つの説があるようなので、一つずつ見ていきましょう。

 

四苦八苦

人間の「四苦八苦」を取り除くために撞かれる除夜の鐘。

四苦八苦=4×9+8×9=108

という語呂合わせから108回になったという説。

計算すると確かにぴったり108回になっています。これは「なるほど!」という説ですね。

なお、四苦八苦の「四苦」というのは、人が逃れることのできない「生・老・病・死」の四つの苦しみのこと。

「八苦」というのは、この「生・老・病・死」に、

  • 愛別離苦(あいべつりく)(好きな人と一緒にいられないこと)
  • 怨憎会苦(おんぞうえく)(一緒にいると好きでなくなること)
  • 求不得苦(ぐふとくく)(好きなものが手に入らないこと)
  • 五蘊盛苦(ごおんじょうく) (現在の自分に満足せず、落ち着きがないこと)

以上の四つの苦しみを加えたものなのだとか。

このような項目を見ていると、昔も今も人の本質というのは変わらないのだなあと思います。

 

煩悩の数

仏教には、人の感覚と意識を表わす六根(ろっこん)という概念があります。

六根とはすなわち、眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六つ。

私たちに馴染みのある五感に意識を加えたものと考えればよいでしょう。

人の煩悩を数えるときには、この六根を「好・悪・平」(好き、嫌い、平気)の3つ、さらにそれを「浄・染」(清い、汚れ)の2つに分類します。

その上で、さらに前世・今世・来世の三世の煩悩があると考えるので、全部で6×3×2×3=108の煩悩があるということに。

この説を取るとすれば、除夜の鐘というのは前世や来世の煩悩にまで届いているということになりますね。

 

今年の鐘の音が聞こえるまであとわずか。

どんな思いで鐘の音を聞こうか考えているところです。

 

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二進法のはなし

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コンピュータの記憶装置では、0と1の二進法によって数字を表します。

十進法 二進法
0 0
1 1
2 10
3 11
4 100
5 101
6 110
7 111
8 1000
9 1001
10 1010

 

集積回路において、あるピンに電流が流れていなければ0、流れていれば1を表わす。そのように二択にすることでエラーが少なくなるというのは、素人でも納得のできるところ。

しかしこの二進法を私たちの日常生活に採用してしまったら、どうなるでしょう?

さきほどの表で十進法の10は二進法では1010になっています。

これくらいならまだしも、十進法の100は二進法では1100100、十進法の1000は二進法では1111101000となり、いちいちこんなにたくさんの数字を書くのは非効率だということになるでしょう。

しかし世界の言語の中には、数の数え方において二進法を採用しているものもあるのだとか。

先日、千野栄一さんの『言語学フォーエバー』という本を読んでいたら、レビ・レオナルド・コナントの『数の起源と発達』という本からの引用として、二進法を採用しているトーレス・ストレート島のある方言が紹介されていました。

1 urapun
2 okosa
3 okosa urapun
4 okosa okosa
5 okosa okosa urapun
6 okosa okosa okosa

 

1は urapun、2はokosa、それ以上の数は全て urapun と okosa の組み合わせ。

ただ6くらいまでならこれで良いとしても、その後はどうするのでしょう?

さきほどの本によると、これ以上の数は全て ras(沢山)と呼ばれるのだそう。

「なるほど。昔の島の暮らしではそんなにたくさんの数は必要ないのか」と一瞬納得しそうになりましたが、考えてみると未開の生活であっても、6以上の数字を使う機会はあったはず。

A:魚が釣れたよー。
B:何匹くらい?
A:ras

とか、

A:敵が攻めてきた!
B:軍勢の数は?
A:ras

とか、

とにかく数の多いものは ras ということにしてしまうのも、一つの知恵なのかもしれません。

これを現代社会に応用して、

A:えーと、宴会の予約をしたいんですが。
B:何名様ですか?
A:ras

とか、

A:日本は少子化が進んでいるねー。
B:現在の日本の人口はどれくらい?
A:ras
B:50年後の日本の人口はどれくらい?
A:ras

なんて言えたら、もう少し牧歌的な生活がやってくるのかもしれません。

 

言語学フォーエバー
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