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ことばを味わう

There is nothing like staying at home for real comfort.

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毎晩、寝る前に飲むものは決まっていますか?

ハーブティー、カフェインレス・コーヒー、あるいは白湯など、さまざまな定番があることと思います。

私の最近のお気に入りはセレッシャル(Celestial)の Sleepytime というハーブティー。カモミール、スペアミント、レモングラスのブレンドで、とても飲みやすく気に入っています。

このハーブティーのパッケージには、イギリスの作家ジェーン・オースティンの次のような言葉が引用されていました。

There is nothing like staying at home for real comfort.

− JANE AUSTEN

すごく素敵な言葉だなあと思うのですが、10年前の自分だったら見逃していたような気もします。

例えば休みの日に、家にいるのが好きな人もいれば、出かけるのが好きな人もいるでしょう。

私はどちらかというと出かけるのが好きなタイプですが、年を重ねるごとに今日は家にいようと思うことも増えてきました。

それなりの歳月を生きていると、飲み物の好みが変わっていくように、生活スタイルの好みも変わっていきます。

「自分の好みは◯◯」と決めつけたりせず、新しい自分を受け入れていくことができたらと思います。

神は歯のない者にクルミを授ける

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気が付けば、いつのまにか11月も後半。あと1か月と少しで、2015年も終わってしまいます。

窓の外の銀杏の葉も少しずつ黄色くなってきました。

今日はそんな秋の一日にふさわしいような、ふさわしくないような英語のことわざを一つ。

The gods send nuts to those who have no teeth.
(神は歯のない者にクルミを授ける。)
これはシンプルに解釈すれば「神様は気まぐれなもの」という意味。

あるいはもう少し深く考えれば「人が人生において望んでいるもの、人生の果実を手に入れる頃には、歳を取り過ぎていて、もはやそれを味わうことができない」というような意味にも解釈できるかもしれません。

人生というのは、ある面から見れば喜劇であり、また別の面から見れば悲劇であるということを教えてくれる、印象深いことわざの一つです。

At 70, I came to a point where I could not be derailed, no matter what I did.

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論語の「巻第一 為政第二」の有名な一節。

子曰わく、吾十有五にして学に志す、

三十にして立つ、四十にして惑わず、

五十にして天命を知る、六十にして耳順がう、

七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

この中の「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」という一節がこの頃気になっています。

これはいったいどのような心境を表しているのだろう?と思い、あれこれ想像を巡らせてみるものの、どうも腑に落ちません。

もちろん孔子が70歳のときに達した心境なので、そう簡単に理解できるはずはないでしょう。

それでもおぼろげにその境地を推し量るくらいのことはできてもよいのではないかと。

『英語で論語』を見てみると、次のような説明が出ています。

【原文】七十而從心所欲、不踰矩。

【一般的な和訳】 七十歳になったときには、思うままにふるまっても人の道を外れないようになった。

【意訳】 70歳のときには、何をしても道を外れることがないところにまできた。

At 70, I came to a point where I could not be derailed, no matter what I did.

『英語で論語』より

「矩を踰えず」の部分は could not be derailed と表されています。

be derailed というのは文字通り「脱線する」の意味。

結局は「人の道を外れない」というときの「道」とは何なのか、という問題に帰着するのだと思います。それが定義できなければ「道から外れる」ということもまた定義できません。

それが少しずつでも見えてくるなら、年をとるのも悪くないなと思うのですが。

 

英語で論語
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あらゆる物事に反対する20%の人々

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About one-fifth of the people are against everything all the time.

- Robert F. Kennedy

身の回りを振り返ってみると、あらゆる物事に反対する人というのが一人や二人はいるのではないでしょうか。

そういう人たちの意見というのは、一つ一つを取り上げてみれば真っ当なものなのかもしれません。

しかし人生を前向きに進めたり、組織を前向きに動かしたりしたいときには、マイナスに働くことがほとんどでしょう。

人間というのは習慣の生き物ですから、変化をもたらすような提案については元来批判的なのだと思います。

梅雨の季節、居心地の良い部屋にとどまっていたいという気持ちは理解できますが、いつかは玄関のドアを開けて雨空の下へ一歩を踏み出さなければなりません。

自分自身がいつも批判的なことを言っていると自覚のある人は、批判したくなる気持ちをぐっと抑えてみる、あるいはこうしたらもっと良くなるという改善点を述べてみる。そんなことを少しだけ意識してみてはどうでしょうか。

周囲の雰囲気も変わり、やがて新しい世界が見えてくるのではないかと思います。

業鏡(mirror of karma)

先日、あじさい寺として知られる北鎌倉の明月院を訪れました。

あじさいはまだ満開ではなかったものの、それでも境内はテマリアジサイの青、青、青。

ちょっとした非日常の雰囲気を味わうことができました。

この明月院には鎌倉幕府の第5代執権北条時頼のお墓があります。

受付でもらったリーフレットには、わずか37歳で亡くなったという時頼の辞世の句が掲載されていました。

業鏡高懸

三十七年

一槌打碎

大道担然

いったいどんな意味だろう?と考えていたところ、隣に外国人観光客向けの英訳がのっているのに気が付きました。

For 37 years

I held the mirror of karma high.

Now with a smash I break it to pieces,

And the Great Path falls away.

不思議なもので、英文の方がイメージが湧いてきます。

調べてみると業鏡(mirror of karma)というのは、地獄において人間の生前の罪悪を映し出す鏡のこと。

政治の頂点にあった時頼の目に映っていた現世というのは、さながら業鏡の中の世界のようであり、生涯を共にしてきたその鏡を打ち砕いたら、そこには思いがけず大きな道が広がっていた。

そんな感じの解釈でしょうか。

どうもこの句自体は時頼のオリジナルではないようなのですが、若くして亡くなった時頼の人生と重ね合わせると、深い余韻を残します。

われらはなすべきことをなさずにすまし

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『物語 英語の歴史』という本を再読していたら、そこで紹介されていたイングランド国教会の『祈祷書(The Book of Common Prayer)』の英文が目に留まりました。

祈祷書というのは、キリスト教の祈りの言葉を収めた書物のこと。

宗教的な詳細はよくわからないのですが、ここに出てくる英文はシンプルでとても美しく、読んだ後に静かな余韻を残します。

有名なのはこの一節。

Earth to earth, dust to dust, ashes to ashes.

土は土に、塵は塵に、灰は灰に

そして特に印象に残ったのはこの一節。

We have left undone those things which we ought to have done; And we have done those things which we ought not have done; And there is no health in us.

われらはなすべきことをなさずにすまし、なすべきでなかったことをなす。身のうちに健全なる部分は何もなし。

− The Book of Common Prayer

『物語 英語の歴史』(悠書館)より

難しい単語は一つも使われていないのに、説得力を持って心に迫る英文だと思います。

なぜ多くの人は、なすべきことをなさずにすまし、なすべきでなかったことをなしてしまうのか。

人間の不思議をたった三文で表現した祈祷文の一節。他の部分も読んでみたくなりました。

 

物語 英語の歴史
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