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ことばを味わう

No Country for Old Men − ビザンティウムへの船出

photo credit: Kıvanç Niş via photopin cc

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以前のエントリーで岩波文庫の『対訳イェイツ詩集』から、詩を一編紹介したことがありました。

W. B. Yeats「The Falling of the Leaves」 | Fragments

その後も一編ずつ、寝る前などに読んでいたところ、ちょっと引っかかる詩に出会ったので再びご紹介。

Sailing to Byzantium

That is no country for old men. The young
In one another’s arms, birds in the trees
– Those dying generations – at their song,
The salmon‐falls, the mackerel‐crowded seas,
Fish, flesh, or fowl, commend all summer long
Whatever is begotten, born, and dies.
Caught in that sensual music all neglect
Monuments of unageing intellect.

ビザンティウムへの船出

あれは老人の住む国ではない。若い者らは
たがいに抱き合い、鳥は木々に止って
ーこの死んで殖えるやからー ひたすら歌う。
鮭がのぼる滝、鯖のむらがる海、
魚も、獣も、あるいは鳥も、夏のあいだじゅう
種を受け、生れ、死ぬ者らすべてを称える。
その官能の音楽にとらわれて、すべてが
不老の知性の記念碑をなおざりにする。

*『対訳イェイツ詩集』より

この詩を読んで、一行目の出だしにあれっ?と思ったのは、かなり映画好きの人だと思います。

2007年のコーエン兄弟の映画『No Country for Old Men(邦題:ノーカントリー)』のタイトルはここから引用されているんですね。

全く知らなかったので、偶然の出会いにびっくり。

より正確には、原作本『No Country for Old Men(邦題:血と暴力の国)』のタイトルがイェイツの詩から引用されているということになります。

原作は読んでいないのですが、映画はコーエン兄弟の作品の中でも一二を争う傑作だと思います。

ハビエル・バルデム演じる殺し屋の存在感と凄惨な暴力描写が強く印象に残る映画でした。

また映画の中ではトミー・リー・ジョーンズ演じる保安官が凶悪事件が横行する現代(といっても映画の舞台は1980年ですが)を嘆くシーンがあります。

タイトルの no country for old men というのは、この保安官の語りとあいまって、この世界には老人たちの住める国はどこにもないというような悲嘆のニュアンスを感じさせます。

一方、イェイツの原詩の方では、That is が付いて、That is no country for old men となっています。

That が指し示しているのは、私たちが住むこの国のこと。ここでもこの国は老人たちの住める国ではないと言っているのですね。

しかしこの詩の主人公は現状を嘆いているばかりではありません。若者の国を脱出し、理想郷である聖都ビザンティウムへと向かう航海に出ます。

ビザンティウムというのは、現在のトルコ・イスタンブールの旧名。ここでビザンティウムという都市名が何を象徴しているのかについては、さまざまな解釈ができるように思います。

いずれにせよ、同じ no country でも映画と詩ではずいぶん趣が違うような気がしました。

この詩を書いたとき、イェイツは60歳を超えていました。

そういう意味でまだこの詩の心境がわかる年ではありませんが、詩の壮麗な描写や主人公の覚悟のようなものは強く印象に残ります。

なお冒頭に引用したのは、この詩の最初のスタンザ。詩全体も以下にのせておきます。

Sailing to Byzantium

That is no country for old men. The young
In one another’s arms, birds in the trees
– Those dying generations – at their song,
The salmon‐falls, the mackerel‐crowded seas,
Fish, flesh, or fowl, commend all summer long
Whatever is begotten, born, and dies.
Caught in that sensual music all neglect
Monuments of unageing intellect.

An aged man is but a paltry thing,
A tattered coat upon a stick, unless
Soul clap its hands and sing, and louder sing
For every tatter in its mortal dress,
Nor is there singing school but studying
Monuments of its own magnificence;
And therefore I have sailed the seas and come
To the holy city of Byzantium.

O sages standing in God’s holy fire
As in the gold mosaic of a wall,
Come from the holy fire, perne in a gyre,
And be the singing‐masters of my soul.
Consume my heart away; sick with desire
And fastened to a dying animal
It knows not what it is; and gather me
Into the artifice of eternity.

Once out of nature I shall never take
My bodily form from any natural thing,
But such a form as Grecian goldsmiths make
Of hammered gold and gold enamelling
To keep a drowsy Emperor awake;
Or set upon a golden bough to sing
To lords and ladies of Byzantium
Of what is past, or passing, or to come.

対訳 イェイツ詩集 (岩波文庫)
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W. B. Yeats「The Falling of the Leaves」

ベッドの横に数冊の本が積み上げてあり、このところその一番上の席を占めているのが、岩波文庫から出ている『対訳イェイツ詩集』です。

ウイリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats)は、19世紀末から20世紀にかけて活躍したアイルランドの詩人。

一日一編、美しい英語を読んでから、眠りにつくというのも悪くありません。

そんな詩集から、初期の詩を一編。

The Falling of the Leaves

Autumn is over the long leaves that love us,
And over the mice in the barley sheaves;
Yellow the leaves of the rowan above us,
And yellow the wet wild-strawberry leaves.

The hour of the waning of love has beset us,
And weary and worn are our sad souls now;
Let us part, ere the season of passion forget us,
With a kiss and a tear on thy drooping brow.

落葉

私たちを愛でてくれる長い葉に秋が来た。
大麦の束に棲む鼠たちにも秋が来た。
頭の上のナナカマドが黄いろになった。
濡れた野いちごの葉も黄いろになった。

愛の終る時がそこまで迫っている。
二人の悲しい魂はもう疲れてやつれ果てた。
情熱の季節が過ぎ去る前に別れよう、うつむく
あなたの額に一つの接吻と一滴の涙を残して。

*『対訳イェイツ詩集』より

本書では、左ページに原詩、右ページに日本語訳がのっているので、それぞれを照らし合わせながら読むことができます。

原詩を読みながら、意味が分からないところを日本語訳で確かめたり、日本語訳を読みながら、原詩の響きも味わったり、さまざまな読み方ができるでしょう。

時折出てくる古い英語の響きも楽しいです。

発音
ere [eər] 〜する前に(before)
thy [ðaɪ] あなたの(your)

 
枕元の一冊にいかがでしょうか。

 

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I am no man, I am dynamite − metaphor of human beings

私は人間ではありません。ダイナマイトです。
 − フリードリヒ・ニーチェ「この人を見よ」

「この人を見よ」は、1888年に書かれたニーチェの自伝です。翌1889年の1月にニーチェは発狂し、肺炎で亡くなる1900年8月まで、狂気の中で12年間の療養生活を送りました。

狂気に陥りつつあったニーチェがどういう意図でダイナマイトという言葉を使ったのかはわかりませんが、「私=ダイナマイト」というのは、もちろん一つのメタファーです。

メタファー(metaphor)は、隠喩(いんゆ)、暗喩(あんゆ)ともいい、伝統的には修辞技法のひとつとされ、比喩の一種でありながら、比喩であることを明示する形式ではないものを指す。つまり、「~のようだ」のような形式だけであからさまに比喩とわかる比喩(=simile 直喩、明喩)ではないもののことである。

Wikipedia「メタファー」より

人間の存在の不思議さは、古今東西、人間に関するさまざまなメタファーを生み出してきました。そのいくつかを紹介してみたいと思います。

人間は万物の尺度である。
 − プロタゴラス
人間はすべて暗い森である。
 − サマセット・モーム 「作家の手帳」
人間とは、パラドックスの体現であり、矛盾の塊である。
 − オーギュスト・コント
人間は一本の葦にすぎない。 自然のうちで最も弱いものである。だがそれは考える葦である。
 − ブレーズ・パスカル「パンセ」
人間は真理に対しては氷、虚偽に対しては火である。
 − アンリ・フレデリック・アミエル 「日記」
人間は大きな海だ。二つ三つのしずくが汚れても、海は汚れない。
 − マハトマ・ガンジー

どれか心に残るメタファーはあったでしょうか?

こうしてみると、人間ほどあらゆるものに例えられる存在は他にないのかもしれません。

森であり、火であり、氷であり、海でもある、人間というのは実に不思議な存在だと思います。

Opening lines − from Wikiquote

Wikiquote は著名な人々の言葉や作品からの「引用」を集めたウェブサイトです。

その中の一項目 Opening lines では様々な小説の書き出しを集めています。いくつか紹介してみましょう。

 

Anna Karenina by Leo Tolstoy

Happy families are all alike; every unhappy family is unhappy in its own way.

幸福な家族は全て似ているが、不幸な家族はそれぞれのやり方で不幸である。

『アンナ・カレーニナ』のオープニング。こんな鋭いことを言われては、返す言葉がありません。「家族」を他のことばに置き換えて読むこともできそうですね。

 

The Great Gatsby by F. Scott Fitzgerald

In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.

ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけれど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。(野崎孝訳)

『グレート・ギャツビー』の有名なオープニング。その忠告とはどんなものなのか気になるのでもう一文。

“Whenever you feel like criticizing any one,” he told me, “just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.”

「ひとを批判したいような気分が起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思いだしてみるのだ」(野崎孝訳)

『グレート・ギャツビー』は大学生のときに、野崎孝さんの訳(新潮文庫)で初めて読みました。今は中央公論新社から村上春樹さんの訳も出ています。

小説を読み終えて振り返ってみると、この最初の二行が、小説の世界観そのものであることに気が付きます。

 

Little Women by Louisa May Alcott

“Christmas won’t be Christmas without any presents,” grumbled Jo, lying on the rug.

「プレゼントのないクリスマスはクリスマスじゃない。」ジョーは絨毯の上にころがってぶつくさと文句を言った。

こちらは『若草物語』。全く何ということもないこのオープニングが好きです。「クリスマス ウォウンビィー クリスマス」という音の響きも楽しいですし、なんだか、これから何か素晴らしいことが起こる予感を感じませんか?

小説の最初の一節というのは、時にその小説全体の印象を反映しているようなところもあります。

翻訳であれ、原書であれ、自分がこれまでに読んだ小説の Opening lines を改めて読み返してみるのも楽しい作業かもしれません。

 
Opening lines – Wikiquote

西條八十「蝶」

本日は詩を一篇。

蝶 西條八十

やがて地獄へ下るとき、
そこに待つ父母や
友人に私は何を持つて行かう。

たぶん私は懐から
蒼白め、破れた
蝶の死骸をとり出すだらう。
さうして渡しながら言ふだらう。

一生を
子供のやうに、さみしく
これを追つてゐました、と。

この詩を解釈して、夢を追いかけた人生というような前向きのメッセージを読み取る向きもあるようですが、私にはやはり人の一生の哀しさ・虚しさを伝える詩であるように思います。

もちろん正解がある訳ではないので、それぞれがそれぞれの読み取り方をすれば良いのでしょう。深い余韻のある一篇です。

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