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日本語

のら息子 vs どら息子

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のら息子とどら息子がケンカをしたら、勝つのはどちらの方でしょう?

のら息子「おい! こんな時間まで何をやってたんだ!」

どら息子「はあ? そんなのは俺の勝手さ。おまえこそ、いつまで家でゴロゴロしてるつもりなんだい。」

のら息子「俺はお前みたいに、人様に迷惑をかけたりしない。ただ自分のやりたいことをやってるだけさ。」

どら息子「俺だって、自分のやりたいことをやってるだけさ。お前より行動力はあるけどな。」

のら息子「何だと!」

どら息子「やるか!」

(ボカボカボカ)

何となく、語感的にはどら息子の方が強そうに思えるのですが、みなさんはどのように思われたでしょうか?

辞書から、のら息子とどら息子の違いを探ってみましょう。

のらむすこ【のら息子】

自分自身の働きがなく、ただ遊んで暮らす青年。

『新明解国語辞典 第七版』

どらむすこ【どら息子】

よくない遊びで身を持ちくずすなどして、親を困らせることの多い息子。

『新明解国語辞典 第七版』

イメージとしては、のら息子はぐーたら、どら息子はやんちゃといった感じでしょうか。

意味的には、のら息子とどら息子は両立することも可能。仕事に行かず、悪い遊びにうつつを抜かせば、立派な二刀流のできあがり。

ぐーたらもやんちゃもほどほどにしておいてもらいたいものです。


良い息、悪い息

photo credit: Sidereal via photopin cc

photo credit: Sidereal via photopin cc

最近、呼吸法の本をよく読んでいます。

基本的には姿勢を良くし、大きく息を吸って、なるべくゆっくり吐く。

それだけのことですが、一日の節目節目に呼吸を整えることで、気持ちをリセットできるようになった気がします。

そんな「息」に関する日本語はどのようなものがあるのかな?と思い、辞書を調べてみました。

あおいき【青息】

苦しんだり悩んだりしてつくため息。

『新明解国語辞典 第七版』

あおいきといき【青息吐息】

困難を乗りこえたり、心配事を解消したりすることが出来そうもなく、苦しみ悩む様子。

『新明解国語辞典 第七版』

息が青いというよりは、顔色が青ざめた様子ということなのでしょう。

青息があるなら、赤息や黄息はないのでしょうか。

イメージとしては、赤息は怒っているような、黄息は焦っているような。

かたいき【片息】

今にも絶えそうで、苦しそうな息。

『新明解国語辞典 第七版』

日本語の「片」には不完全という意味があるのだそう。

片言(かたこと)や片手間(かたてま)の片ですね。

ためいき【溜(め)息】

心配(失望)したり自分の力ではとうていかなわないと思ったりする時などに大きくつく息。また、それらの悲観が喜びに変わった時につく大きな息。

『新明解国語辞典 第七版』

悲観もいつか喜びに変わる。

「止まない雨はない」「明けない夜はない」と心に刻んで、日々を過ごしていきましょう。

ちょうたいそく【長大息】

大きなためいき(をつくこと)。

『新明解国語辞典 第七版』

ためいきの大きさが字面から伝わってきます。

チョー大息!ではないんですが。

むしのいき【虫の息】

息が絶えそうになった、死の寸前の状態。

『新明解国語辞典 第七版』

これは虫が死ぬ寸前の息を指しているのではなく、人が死ぬ寸前の息が虫程度の量になっていることを指しています。

虫は虫の息で立派に生きているので、誤解のないよう。

 

以上、国語辞典から「息」の付く単語を拾ってみました。

こうしてみると、息に関する単語というのはどういうわけかマイナスイメージのものが多いようです。

呼吸というのはあまりにも当たり前にそこにあるものなので、普段はそれほど意識することがありません。

それだけに良い息は当たり前、悪い息だけを「青息吐息」のように名付けたのかもしれません。

せわしない日常でそんな悪い息が目立つようなら、思い切ってしっかり「休息」を取ってみるのも一つの方法だと思います。
 

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「少年」の性別を考える

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boys and girls(少年少女)

ここで素朴な疑問が一つ。

少年はなぜ少年であって「少男」ではないのでしょう?

年が少ないと書いただけで、自ずから男性を表わすというのは何だか不思議な感じがします。

そこで、改めて少年の語義を確認してみました。

しょうねん【少年】

人を年齢によって分けた区分の一つ。小学生から中学・高校生くらいまで(の男子)。

〔広義では少女を含む。少年法では、二十歳未満の者を指す〕

『新明解国語辞典 第七版』

なんと「広義では少女を含む」との記述を発見。

少年という単語が両性を含むのは、いったいどんなときなのでしょうか?

調べてみると、そのヒントはさきほどの語義の中にありました。

少年法などの法律用語においては、少年という単語の中に両性が含まれるのですね。

少年院・少年犯罪なども同様で、たしかに少女院・少女犯罪とは言いません。

とはいえ、これはもちろん限られた文脈の話であり、一般的に少年という単語が男子を指すこと自体は疑いようがないでしょう。

言語におけるこのような男性中心主義というのは、決して珍しいことではありません。
(俳優・女優などの例もありますね。)

これに対して、もしフェミニズム的な立場から異議申し立てがなされたら、どのような対応が考えられるでしょうか?

例えば、

  1. 少女という単語を廃止して、両性を少年の中に含める。
  2. 少年という単語を廃止して、少男という呼称に改める。

現実的なのはどちらでしょう?

あるいは、もし他に妙案があれば。


「あげる」と「くれる」の違いとは?

wedding gift

*花子は私にチョコレートをあげた。

外国語として日本語を学んでいる人にとって動詞の「あげる」と「くれる」の使い分けはなかなか難しいようです。

確かにどちらも英語にすると give。

私たちはこの二つをどのように使い分けているのでしょう?

第一感、頭に浮かんだのは、

  • 私に → くれる
  • あなたに → あげる
  • 他人に → あげる

という使い分け。例えば、次の文では原則「あげる」と「くれる」を交換することはできません。

花子は私にチョコレートをくれた。(×あげた)
私はあなたにクッキーをあげた。(×くれた)
あなたは花子にサルミアッキをあげた。(△くれた)

とはいえ、これだけで言い尽くせるなら、日本語学習者もそれほど苦労することはないでしょう。

次に辞書の語義を確認してみました。

あげる

「与える」の丁寧語。「誕生日のお祝いをー」

『新明解国語辞典 第七版』

「あげる」が丁寧語というのは普段意識していませんでした。

たしかに「与える」という動詞は、「子供に絵本を与える」「ネコに餌を与える」のような例を考えると、ずいぶん上から目線な感じがします。

くれる

〔人が自分と対等か下の立場の相手に物を〕与える。「それを僕にくれ/友達が妹にくれた本/欲しいのならくれてやる」

『新明解国語辞典 第七版』

ここで先ほどの第一感を打ち砕く例文が登場。

(友達が妹にくれた本/欲しいのならくれてやる)

これらの例文を検証してみましょう。

 

友達が妹にくれた本

「友達が妹にあげた本」だとその友達の妹が本をもらったイメージになりますし、「友達が妹にくれた本」だと私の妹が本をもらったイメージになります。

動詞を交替することで、妹の所属(?)が変わってしまうというのは面白いですね。

「くれる」という動詞は、原則「○○→私」という方向のときに使いますが、私の代わりに私の身内や親しい人が来たときにも使えるということになります。

 

欲しいのならくれてやる

「欲しいのならあげる」だと普通なのに、「欲しいのならくれてやる」だと途端に喧嘩腰な雰囲気が漂います。

原則「○○→私」 という方向のときに使う「くれる」を逆方向に使うことで、敬意のベクトルも逆方向に転回させているという解釈になるでしょうか。

 

こうしてみると「くれる」というのは単に方向性の問題ではなく、立場の問題でもあることがわかります。

ただ日本語のネイティブならこのあたりの微妙な感覚も理解できると思いますが、ノンネイティブにこれを説明するとなるとかなり難しそう。

やはり冒頭に挙げた、

  • 私へ → くれる
  • あなたへ → あげる
  • 他人へ → あげる

を原理原則として伝えるしかないように思うのですが、もっと上手い説明があるものでしょうか?
 
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「一か八か」の一と八はどちらがよい結果なのか

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代わり映えのしない日常においても、時に「一か八か」の挑戦をしなければならない局面は訪れます。

不確定な未来に自分を投げ入れることは、不安でもあり、楽しみでもある。そんな人の心は不思議なもの。

さてそんなときに一つ気になるのは、一と八のうち、良い方は一なのか八なのかということ。

八は末広がりで縁起のよい数字とされているので、八の方なのかな?とも思いますが、実際はどうなのでしょう?

そこで「一か八か」の語源を調べてみることにしました。

かるた賭博から生まれた言葉で、「一」は「丁」の上の部分、「八」は「半」の上の部分をとったものから。

また、「一」か「罰(壺皿に伏せたさいころに一の目が出るか、またはしくじるか)」かの意味からという説もある。

「一か六か」ともいう。

故事ことわざ辞典

これによると「一と八」の由来は賭博の「丁と半」。

つまり一か八かと言っても、どちらかが良くて、どちらかが悪いということではないと。

単に50/50(フィフティフィフティ)の出目に賭けるということだったんですね。

もっとも現実には一か八かの挑戦をするときに、成功確率が50%とは限りません。

成功確率がかなり低いときや、限りなくゼロのときでも、とにかくやってみるしかないという局面はあるでしょう。

そんな状況であっても、眼前の課題を一か八か(=50/50)と捉えることは、一種のポジティブシンキングなのかもしれません。

いずれにせよ、一歩踏み出してみないことには、その先にある未来は誰にもわかりません。


しんしんと更ける夜

photo credit: Miss C.J. via photopin cc

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しんしん【深深】

  1. (夜が更けたり雪が降ったりして)あたりが静まりかえる様子。「ーと夜が更ける」
  2. 寒さが身にしみ通るように感じられる様子。「夜になるとーと冷え込んでくる」

『新明解国語辞典 第七版』

世界の言語の数は3,000とも6,000とも言われていますが、その中に「しんしん」のような静寂のオノマトペを持った言語は果たしていくつくらいあるのでしょう?

音がないところに「しんしん」という言葉を当てるこのセンス。

そして日本人なら、そこからある種の情景や感傷のようなものを共有できてしまうイメージの喚起力。

言葉の力というものをありありと感じられる単語の一つだと思います。

ところで、もしあなたが日本語を勉強している外国人に「しんしんってどういう意味ですか?」と聞かれたら、何と説明しますか?

(ここでは相手の人は英語のネイティブスピーカーだということにしましょう。)

試しに辞書を引いてみると、こんな例文がのっていました。

夜がしんしんと更けていく

The night advances silently and[but]steadily.

『ウィズダム英和辞典 第3版』

夜はしんしんとふけていった

The night was getting far advanced.

『新英和中辞典 第5版』

ウィズダムの方は頑張って説明しようとするのに対して、新英和の方は相手の想像力に委ねてしまう感じ。

いずれにしても日本語のノンネイティヴに「しんしん」の意味を伝えるのは骨の折れる作業に違いありません。

日本語教師の人はいったいどのように説明しているのでしょうか? 何だか気になります。


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