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日本語

都道府県の名前に使われている珍しい漢字たち

photo credit: JapanDave via photopin cc

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都道府県の名前に使われている漢字の中には、その都道府県名を表わす以外にほとんど使われない漢字がいくつかあります。

今回はそんな漢字の意味を調べてみました。

 

埼玉の「埼」

(名)さき。山の陸地の突き出た部分。みさきや山のはし。

『漢字源』

埼は「崎」と同じ意味の漢字。

だとすると、なぜ「さきたま」ではなく「さいたま」なのでしょう?

 

岐阜の「阜」

(名)おか(ヲカ)。おおきくふくれた土盛り。ずんぐりとふくれたおか。

(形)おおきい(オホイナリ)。おおきくて太っている。

『漢字源』

阜という漢字にはこんな意味があったんですね。

しかし岐阜はおおきいから「阜」になったということではなく、織田信長が中国の地名「岐山」「曲阜」にちなんで名付けたという説もあるようです。

 

大阪の「阪」

(名)さか。︵型にそりかえった丘。また、傾斜した山道。

『漢字源』

阪は「坂」と同じ意味の漢字。

大阪も江戸時代の頃までは「大坂」でした。「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」は坂の字を使っています。

また阪という漢字は、大阪・阪神の地名以外に、阪本さんという名字にも使われていますね。

 

埼玉の「埼」、岐阜の「阜」、大阪の「阪」。いずれの漢字も実は常用漢字に指定されています。

とはいえ、もし都道府県名に使われていなければ、おそらく選ばれてはいなかったことでしょう。

それぞれの県(府)の人にとっては、きっと愛着のある漢字。他の漢字同様、末永く活躍してほしいものです。


魚偏に「◎」の漢字とは?

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本日はある魚偏(さかなへん)の漢字の話。

魚偏に「春」は鰆(さわら)。

海の魚で、字の通り一般的には春の魚とされています。

魚偏に「秋」は鰍(かじか)。

こちらは川の魚で、字の通り秋の魚とされています。

問題:それでは魚偏に「◎」は何を表わすでしょう?

ヒント1:海にも川にも住んでいません。

ヒント2:一年中食べられます。

ヒント3:◎は形を表わします。

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正解は「ちくわ」。

本当にそんな漢字存在するの?という気持ちはよーくわかります。

実際にどんな文脈で使われたことがあるのかは不明。

しかしいちおう国字(和製漢字)の一つということになっているようです。

ちくはにはもちろん「竹輪」という漢字もありますが、魚偏の方も味わいがあるので、ぜひ広まってもらいたいと思います。(無理?)


photo credit: bruce... via photopin cc

photo credit: bruce… via photopin cc

[v]の音をカタカナで表わすときに「ウ」に濁点を付けた「ヴ」を使うことがあります。

今では特に違和感無く使われていますが、この表記が市民権を得たのはいつ頃のことなのでしょう?

自分が子供の頃(1980年代)には、今ほど広まっていなかったように思います。

例えば、この楽器。

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Wikipedia 日本語版では「ヴァイオリン」と表記されています。

ヴァイオリン – Wikipedia

しかし Google の検索ヒット件数を調べてみると、バイオリンが若干リードしています。

  • ヴァイオリン → 1,910,000件
  • バイオリン → 2,390,000件

(2014年9月現在)

ただし「バイオリン」で検索したとき、トップに表示されるのはやはりこちらのページなのでした。

ヴァイオリン – Wikipedia

さて「ヴァイオリン」と表記するのはよいとして、その表記を見たときに実際に[v]の音で発音するという人はどれくらいいるのでしょう?

おそらく大半の日本人は[b]の音で発音しているはず。

しかし日本語の音韻というのは、この数百年さまざまに変化してきました。

(昔は「ず」と「づ」、「じ」と「ぢ」の発音の区別もありました。)

そう考えると、いずれ「ヴ」の文字を見たときに[v]の音で発音する世代が登場する可能性もあるのでは?などと夢想してしまいます。

でも「ヴェネツィア」には違和感がないのに「ヴァンクーヴァー」には違和感を感じてしまったり。。。このあたりの感覚はなかなか繊細ですね。


人一倍、頑張っているあなたへ

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勉強や仕事で人一倍、頑張っているのになかなか結果が出ない、報われない。

そんな嘆きをお持ちの方もいるかもしれません。

でもよく考えてみると、人一倍、頑張っているのでは人と同じ。人二倍、頑張らなくては他人に差を付けられないのでは?と気付いたあなたは(成功するかどうかはさておき)言語感覚が鋭いと思います。。。

そもそも人一倍ってどんな意味なんでしょうか?

ひといちばい【人一倍】

その人の熱心さやなまけぶりなどが普通の人の二倍であること。

『新明解国語辞典 第七版』

熱心さだけでなく、なまけぶりも二倍になってしまうんですね!

いやそれはさておき、人一倍なのに、普通の人の二倍とはどういうことでしょうか?

倍(ばい)は、数学上の概念であるが、その定義は東洋数学と西洋数学では異なっている。

(中略)

日本では、江戸時代以前においては東洋数学の定義が用いられてきた(例えば、「一倍」とは今日で言うところの2倍に該当する。また同じく「半倍」とは、今日で言うところの1.5倍に該当する)が、近代以後に西洋数字が用いられるようになるとその意味合いも変化して、今日のように乗法を指すようになった。

Wikipedia「倍」より

「二倍」や「三倍」という表現に慣れている現代の私たちは「倍」という文字から乗法の「×」を連想してしまいます。

しかし東洋数学においては、もともと「倍」単独で「×2」の意味を持っていたということのよう。

ただし現在でも「倍返しだ!」のように倍を単独で使ったときには二倍の意味になる訳なので、人一倍の「一倍」という表現だけが宙に浮いてしまった感じでしょうか。

いずれにしても、人の二倍も頑張るというのはなかなか難しいもの。とりあえず人の1.2倍くらい(昔の言い方だと五分の一倍?)から始めてみるのはどうでしょう?


涼しげな四字熟語

Cliff of Ice

連日蒸し暑い日が続きます。暑気払いに涼しげな四字熟語を探してみました。

こううんりゅうすい【行雲流水】

空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ。また、一定の形をもたず、自然に移り変わってよどみがないことのたとえ。

『新明解四字熟語辞典』

まずは「水」の熟語。空行く雲と流れる水というのは、涼しげなイメージですね。いつの日か、こんな心境になれる日は来るのでしょうか?

せいふうめいげつ【清風明月】

明るい月夜の静かで清らかな様子。明月と清らかな風の中の静かですがすがしいたたずまいの形容。また、風雅な遊びのこと。

『新明解四字熟語辞典』

続いて「風」の熟語。月明かりと清らかな風というのも、また涼しげなイメージ。とりあえず一献?

いっぺんのひょうしん【一片氷心】

俗塵(ぞくじん)に染まらず清く澄みきった心、また心境のこと。名利を求めず、汚れなく清らかな品行のたとえ。ひとかけらの氷のように清く澄んだ心の意から。

『新明解四字熟語辞典』

続いて「氷」の熟語。心の中にひとかけらの氷があれば、灼熱の浮世も渡って行くことができそうです。

しらかわよふね【白河夜船】

正体もなく、ぐっすり寝こむこと。よく眠っていて、何も気づかないこと。

『新明解四字熟語辞典』

ひとしきり涼を取ったところで夢の中へ。それではみなさん、おやすみなさい。


「憤死」する人

photo credit: Ferran. via photopin cc

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中国の後漢末期から三国時代にかけての群雄割拠を描いた歴史書『三国志』。

その登場人物に陸遜(りくそん)という人がいます。

陸遜は三国時代の三国の一つ呉(ご)の重臣として活躍した人物。

若くして重用され、軍事・内政の最高責任者にまで上り詰めましたが、最後は皇帝孫権の後継者争いに巻き込まれ悲運の最期を遂げます。

後継者問題が紛糾し、孫和廃立の声が強くなると、太子太傅の吾粲は陸遜に手紙を送り事態を報告した。陸遜は嫡子と庶子の区別は明確にすべきだとして孫和を擁護する上奏を行った。さらに首都の建業に出向いて孫権を直接説得しようとしたため、孫覇派が孫権に讒言。孫和派の家臣達が次々に失脚した。孫権は陸遜に対しても問責の使者を何度も送り、これによって陸遜は憤死した(二宮の変)。

Wikipedia『陸遜』より

さて今日のトピックはこの陸遜の死因である「憤死」について。

三国志には、この陸遜のほかにも「憤死」する人がよく出てきます。

しかしそもそも憤死とはどんな死に方なのでしょう?

ふんし【憤死】

憤慨して死ぬこと。

『広辞苑 第五版』

ふんし【憤死】

激しい怒りのうちに死ぬこと。

『デジタル大辞泉』

辞書によると、憤死というのは「怒り」のために死ぬこと。

しかし人が怒りだけで死ぬなどということが本当にあるのでしょうか?

なんとなく憤死というのは「怒りのあまり自殺してしまうこと」というイメージがあったのですが、さまざまな辞書を調べてもそのような意味に触れたものはありませんでした。

となると、あまりに怒り過ぎて脳内の血管が破裂して死んでしまうとか?

??

あまり現実味はありません。

少なくとも現代の死亡記事において、◯◯憤死などと報じられているのは見たことがないので、これは比喩的な表現なのかなと思います。

つまり医学的な死因は別にあるものの、憤懣やるかたない気持ちを表すために「憤死」という表現を使っているのかと。

いずれにしても、憤死というのはなかなか壮絶な最後。

ただ、それほどの激情を噴出して逝った人というのは、ある意味人生を全うした人なのかもしれません。

凡人である自分などは、できれば心穏やかに最後の時を迎えたいと思ってしまうのですが、あなたはどちらでしょうか?


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