cialis viagra online accutane

フィンランド語学習記 vol.326 − インプットとアウトプットの格差

photo credit: shelf via photopin (license)

photo credit: shelf via photopin (license)

ここ数日、フィンランド語教室のテキスト『suomea suomeksi』の総復習をしていました。

わからない単語の意味を調べながら、本文をどんどん読み進めていきます。

そんな中、改めて思ったのは、

  • 以前に比べるとかなりすらすらと文が読めるようになっているということ。
  • 一方、それらの表現を会話で使いこなすのは並大抵のことではないなということ。

そもそもアウトプットの際にそこまで正確性にこだわる必要はないのかもしれませんが、それでも複数分格のような形をぱっと言えるようになるにはまだまだ練習が必要だと感じます。

例えば、次のような文。

Liisan kirjahyllyssä on paljon mielenkiintoisia kirjoja.(リーサの本棚には、たくさんのおもしろい本があります。)

この文を構成する6つの単語のうち、原形をとどめているのはわずか2語のみ。残りの4つの単語は何らかの語形変化をしています。

Liisa Liisan 単数属格
kirjahylly kirjahyllyssä 単数内格
mielenkiintoinen mielenkiintoisia 複数分格
kirja kirjoja 複数分格

 

これが英語なら、”There are many interesting books in the Liisa’s bookshelf.” というシンプルな文になるところ。

このあたり、フィンランド語のアウトプットの難しさというものをひしひしと感じています。


英語のネイティブスピーカーが世界の主要言語を学ぶのに必要な時間

15101201

世界の公用語として、現代のグローバリズムを牽引している英語も、ネイティブスピーカーの数では世界第3位。

ネイティブスピーカーの数トップ10の言語を多い方から並べると、中国語、スペイン語、英語、ヒンディー語、アラビア語、ポルトガル語、ベンガル語、ロシア語、日本語(!)、ジャワ語となるのだそう。

すなわち現代社会において第二言語として英語を話す人の数は増えても、第一言語としてはそれほど世界を席巻している訳ではありません。

そこで英語のネイティブスピーカーも、少しだけ謙虚になって上記の言語を学ぶとしたら、それぞれの言語を習得するのにいったいどれくらいの時間がかかるのでしょう?

そんな情報を扱ったインフォグラフィックが www.visualistan.com に掲載されていました。

How Long Does It Take To Learn: The 9 Most Common Languages #infographic

上記の言語を表にまとめてみると、次のようになります。

言語 話者数 習得時間
スペイン語 2位 23週
ポルトガル語 6位 23週
ジャワ語 10位 36週
ヒンディー語 4位 44週
ベンガル語 7位 44週
ロシア語 8位 44週
アラビア語 5位 88週
日本語 9位 88週
中国語 1位 88週

 

こうして見ると、

  • 日本語がネイティブスピーカーの数では世界のトップ10に入るということ
  • 言語の影響力は、ネイティブスピーカーの数とは必ずしも関係がないこと
  • 言語の習得に時間がかかる最大の要因はおそらく「文字」であること

などなど、さまざまな気付きを得ることができます。

またこの種のデータを見たときに知りたくなるのが、この逆向きのデータ。

すなわちスペイン語やロシア語や日本語のネイティブスピーカーが英語を学ぶ際の平均習得時間をまとめた資料があったら、ぜひ見てみたいと思うのですが、あまりそういった資料に出会ったことがありません。

もしご存知の方がいたら、ぜひ情報提供をお願いいたします。


カディブックス『馬語手帖』

言葉についてあれこれ考えているときに思い浮かぶ疑問の一つは「動物に言葉はあるのか?」というもの。

人間のような言葉はないとしても、動物と動物の間に、あるいは動物と人間の間に何らかのコミュニケーションはあるはず。だとすれば、その仕組みはいったいどのようになっているのでしょう?

今回紹介する『馬語手帖』はそんな素朴な疑問に答えてくれるユニークな一冊。

15101102

多くの人にとって、馬の言葉と言うと、まず思い浮かぶのはあの「ヒヒヒーン」といういななき声かもしれません。

本書にはそのような馬の声についての解説もありますが、ページの多くが割かれているのは馬のさまざまなボディーランゲージについて。

馬という動物が、その身体を通してこんなにもさまざまな感情を表現していると知って、新鮮な驚きがありました。

その中でも特に面白いと思ったのは、馬の耳と馬の気持ちの関係について。

例えば、馬の耳が少し開いているときには馬はくつろいでいるとか、馬の耳がピクピク動いているときには馬の気持ちがざわめいているとか、馬の耳を見ると馬の気持ちがわかるのだそう。

そんな視点から馬を見たことはなかったので「なるほど」と思うとともに、人間もそんな風に耳を見るだけで相手の気持ちを推し量ることができたら便利なのに、などと考えてしまいました。

そんな『馬語手帖』を出版しているカディブックスは、日本の最西端、与那国島在住の河田桟さんという方が一人でやっている出版社。

よって、本書を取り扱っている書店はかなり限られているよう。自分は池袋のジュンク堂で入手しましたが、カディブックスのホームページから直接注文することもできるようです。

与那国島から本を送ってもらうというのも、考えてみるとめったにできない体験ではありますね。

 
kadi books | はしっこの島の小さな出版社


myself の使い方 − from TED-Ed

15101001

英語を外国語として学んできた私たちにとって、I と me の使い方を説明することはそれほど難しいことではありません。

文の主語には I、目的語には me を使う、それだけのこと。

I love her, but she doesn’t love me.

ただしこれが myself となるとどうでしょう?

「myself というのは、どんなときに使うのですか?」と聞かれても、すぐに答えられない人も多いのではないでしょうか。

今回紹介するTED-Ed の動画「When to use “me”, “myself” and “I”」では、その myself の使い方を、I, me の使い方と対比することで、実にシンプルに説明しています。

言われてみれば「あ、たしかにそういうことだよね」という内容なのですが、 3分弱の動画で改めて I, me, myself の使い方を整理してみるのも面白いと思います。


亜麻色ってどんな色?

photo credit:  via photopin (license)

photo credit: via photopin (license)

ある日のこと、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」を聞きながら、亜麻色というのはどんな色なのだろう?とふと疑問に思いました。

あま【亜麻】

北海道で栽培する一年草。夏、紫青色の小さい花を開く。繊維から糸 ・織物を作り、種から亜麻仁油(アマニユ)をとる。〔アマ科〕

「新明解国語辞典 第七版」

あまいろ【亜麻色】

黄色みを帯びた褐色。「ーの髪」

「新明解国語辞典 第七版」

「黄色みを帯びた褐色」というのは何となくイメージできるようなできないような。

百聞は一見に如かずということで、実際の色を探してみると、おおむね以下のような色を亜麻色と呼ぶことがわかりました。

15100902

亜麻色という言葉を知ることなしにこの色を見たなら、おそらく薄い茶色というような表現しかできなかったことでしょう。

それが亜麻色という言葉一つを知っただけで、そのような色として認識できるようになるのだから、言葉というのは面白いものだと思います。

 
新明解国語辞典 第七版 公式アプリ 新明解国語辞典 第七版 公式アプリ
価格: ¥1,900(記事公開時)
カテゴリ: 辞書/辞典/その他, 教育
App Storeで詳細を見る


「左右」という言葉を使わずに車のナビをする方法 − アボリジニの言語より

15100801

例えば、友人とドライブを楽しんでいるとき、

助手席のあなたは運転している友人に次のように言うかもしれません。

「えーと、次の信号を左ね。」

ここでちょっと想像してもらいたいのですが、もし日本語に「左右」という語彙がなかったとしたら、あなたはいったいどのようにナビをするでしょう?

??

これはなかなかの難題ですが、この広い世界には実際に「左右」という語彙を持たない言語もあるのだそうです。

その例であるオーストラリアの先住民族アボリジニのいくつかの言語においては「左右」の代わりに「西東」という方位の語彙を用いるのだとか。

改めて考えてみると「左右」というのは話し手の向きによって変動する相対的な位置表現であるのに対して、「西東」というのは話し手の向きによって変動しない絶対的な位置表現です。

日本語や英語を含む世界のほとんどの言語は、この相対的な表現と絶対的な表現を文脈によって使い分けています。

しかしアボリジニの言語においては、多くの言語において相対的な表現を使うような身の回りのことに対しても常に絶対的な表現を用いるのだそう。

つまり、日本語なら、

「えーと、次の信号を左ね。」

と言うところ、前述のアボリジニの言語においては、車が北に向かっているときには、

「えーと、次の信号を西ね。」

と言わなければなりませんし、車が南に向かっているときには、

「えーと、次の信号を東ね。」

と言わなければなりません。

こういうフレーズがぱっと口から出てくるというのは、日常生活の中で常に方位を意識しているのでしょうか? あるいは意識しなくても経験によって方位の感覚が身に付いているのでしょうか? おそらくは後者なのでしょう。

ちょっと気になるのは、車が南東に向かっているときには、

「えーと、次の信号を北東ね。」

となどと言えるのでしょうか? もしそんなことができるのなら人間の潜在能力というのは本当にすごいものだと思います。


cialis viagra online accutane