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ポーランド語とフィンランド語のアルファベット順の違いについて

photo credit: book via photopin (license)

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ポーランド旅行のおみやげに買ってきた英語・ポーランド語辞書を眺めていて気付いたことを一つ。

まずはポーランド語とフィンランド語のアルファベットを並べてみましょう。

ポーランド語 a ą b c ć d e ę f g h i j k l ł m n ń o ó p r s ś t u w y z ź ż
フィンランド語 a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z å ä ö

 

ポーランド語のアルファベットは32文字、フィンランド語のアルファベットは29文字。

この両言語の「アルファベット順」には一つ大きな違いがあります。

それはダイアクリティカルマーク付き文字(ą ć ę ł ń ó ś ź ż å ä ö)の場所。

ポーランド語では[a ą][s ś]という順番で並べているのに対して、フィンランド語では[å ä ö]をまとめて最後に置いています。

このルールは辞書の単語の配列にも反映されています。

ポーランド語の辞書で śniadanie(朝食)という単語を引きたければ、[s]のすぐ後にある[ś]の項を探します。

一方、フィンランド語の辞書で äiti(お母さん)という単語を引きたければ、[a]のすぐ後ではなく、巻末近くにある[ä]の項を探さなければなりません。

正直、フィンランド語のこの感覚にはいつまでたっても慣れることがありません。

実際のところ、フィンランド語で一文字目に[ä ö]が来る単語は少ないのですが、二文字目以降に[ä ö]が来る単語は多いです。

例えば käsi(手)という単語を引きたいとき、

うっかり ka と探しそうになって「違う! kä だから ky の後だ!」などということは日常茶飯事。

ポーランド語の辞書でも同じ問題は起こると思いますが、フィンランド語の[a]と[ä]ほど距離が離れていないので、目当ての単語に辿り着きやすいのではないかと想像します。

たかがアルファベット順、されどアルファベット順。なかなか奥深い問題です。

ポーランド人の名字のはなし

ポーランドへ行く前は、ポーランド人の多くは「◯◯スキー」さんなのだと思っていました。

旧ユーゴスラビアに「◯◯ッチ」さんが多いのと同じようなイメージです。

ただガイドブックやその他の本を読んでいる限り、どうもそこまで多くはなさそうだとわかってきました。

そもそも今回の旅行へ行く前から知っていたポーランド人の名前を挙げてみると、

  • レフ・ワレサ(政治家)
  • ヨハネ・パウロ2世(ローマ教皇)
  • チェスワフ・ミウォシュ(詩人)
  • アンジェイ・ワイダ(映画監督)
  • ロマン・ポランスキー(映画監督)
  • クシシュトフ・キェシロフスキ(映画監督)

*いちおうポーランド語の綴りも拾っておきます。

  • Lech Wałęsa(本当はヴァウェンサと読むんですね)
  • Jan Paweł II(本名:Karol Józef Wojtyła)
  • Czesław Miłosz
  • Andrzej Wajda
  • Roman Polański
  • Krzysztof Kieślowski

数えてみるとこの時点で「◯◯スキー」さんは2人しかいません。6分の2(=33%)です。

サンプルは少ないものの、おそらく右も左も「◯◯スキー」さんだらけというほどではないのでしょう。

ところでポランスキーは「スキー」と伸ばすのに、キェシロフスキは「スキ」と止めるのはなぜなのでしょう?

調べてみると、ポランスキーは例外で、ポーランド人の場合は「◯◯スキ」と止める人が大半のようです。

一方、ロシア人などの場合は「ドストエフスキー」「タルコフスキー」「チャイコフスキー」のように伸ばすのが普通。

表記はさておき、ポーランド語の実際の発音は伸ばすのに近いのか、止めるのに近いのか。

またポーランド語とロシア語の「スキー」の伸ばし方は本当に違うのか、違うとすればどのくらい違うのか。

などなどちょっと気になります。

ポーランド旅行記④ − アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

ポーランド旅行記4日目の記録です。

 

クラクフからオシフィエンチムへ

この日は第二次世界大戦の際にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所と呼ばれていた場所、現在のアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の見学へ向かいます。

博物館はクラクフから西へ60kmのオシフィエンチム(Oświęcim)という街にあります。

アウシュヴィッツ(Auschwitz)という名前は、このオシフィエンチムのドイツ語読みなのだそう。

博物館は4〜9月の10〜15時は個人での見学は不可。ガイドツアーによる見学のみとなります。ツアーはこちらの博物館公式ホームページから予約可能(英語)。

Auschwitz-Birkenau

並べば当日の入館もできるようですが、確実にその日に見学したい場合は事前に予約しておくのが無難でしょう。

などと言っている自分も数日前になって予約しようとしたら、この日の一般ツアー(3.5時間)はすでに売り切れ。スタディツアー(6時間)という長時間の本格コース(?)が一枠だけ残っていたので、こちらに予約を入れておきました。

*最初は6時間は長いと思ったのですが、結果的にはこのコースを選んで良かったと思える充実した内容でした。じっくり回りたい人はこのコースでも全く問題ないと思います。

ただ6時間のスタディツアーは朝の9時にスタートするので、それまでには博物館に着いていなければなりません。

博物館への交通はバスと電車があり、バスは博物館前に停車、電車は博物館から徒歩20分のオシフィエンチム駅に到着するとのこと。

それでも電車の方が好きなので、最初は電車で行こうと思っていたのですが、、、

【電車の場合】クラクフ中央駅5:41発 オシフィエンチム駅7:39着
(この次の電車だと8:39着になってしまうので、おそらく間に合わない。)
【バスの場合】クラクフMDAバスターミナル7:10発 博物館前8:35着

電車を選ぶと4時半起き(!)になってしまうので、ここは素直にバスを選ぶことにしました。

バスは定刻に博物館前に到着。30×20×10cmより大きなカバンは入館前に預けなければいけないという規定なので、荷物預かり所にリュックを預け、ツアーのスタート地点へ。

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ガイドさんはマイクを付けていて、その声を聞けるヘッドセットを貸してくれるので、ガイドさんと少々距離が離れてしまっても声が聞こえるという親切設計。

ただ調子にのってグループからはぐれないように注意しなければなりません。(この日は2度もはぐれかけてしまい、冷や汗ものでした。)

 

アウシュヴィッツ第一強制収容所(Auschwitz I)

午前中は第一強制収容所(いわゆるアウシュヴィッツ)の方を回ります。

正直、ここに来るまではとんでもない負のオーラが漂っているような場所を想像していたのですが、そこまでの雰囲気はなく、歴史的な建築物の一画にいるという感じ。

収容所入り口の「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」という有名なプレートをくぐって敷地内へ。

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最初に訪れたのは block 4 という建物。

当時の写真がたくさん展示されていて、それらを見ているうちに「ここで起こったこと」が少しずつリアリティを持って迫ってきます。

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収容者の大量虐殺に使われたチクロンBという劇薬の空き缶の山。

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この他にも収容者から刈り取った髪の毛の山など、忘れられなくなりそうな強烈な展示の数々。

ただガイドさんの説明に泣き出しそうな表情をしている参加者もいるのですが、なかなかそこまで強い感情が湧き上がってきません。

率直に言えば、まだ「ここで起こったこと」を十分に理解できていないという感じ。

自分はどこか人間として偏っているところがあるのかもしれないな、などということを考えていました。

その後は収容者から没収した所持品の展示、収容者の写真(一人一人の氏名、生年月日、職業などが書いてある)、収容者の居住スペース、数千人の収容者が銃殺されたという死の壁、マキシミリアン・コルベ神父が収監された地下牢などを見学。

地下牢はそこにいるだけで息苦しくなるような重苦しい雰囲気。ここで餓死刑や窒息刑になるというのは完全に想像を超えた世界です。

建物内の見学を終えて、明るい戸外に出るとホッとします。

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収容所の周囲には鉄条網が張り巡らされています。当時は高圧電流が流されていたのだそう。

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さらにアウシュヴィッツの初代所長であったルドルフ・フェルディナント・ヘスの死刑を執行した絞首台や復元されたクレマトリウム(ガス室と焼却炉)なども回りました。

さまざまな展示の中で特に印象に残ったのは、収容されていた子供たちが描いたという絵の数々。

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午前中のツアー最後はアウシュヴィッツだけではなくホロコースト全体に関する展示が行われている建物に入り、収容所からの生存者のインタビュー動画などを見ました。

11:40くらいに一旦解散。お昼休みを挟んで、各自12:20に出発するビルケナウ(アウシュヴィッツ第二強制収容所)行きのシャトルバスに乗って、ビルケナウの入り口に集合とのこと。

博物館に併設のカフェレストランで、チキンスープ・野菜の盛り合わせ・エスプレッソなどを注文し、軽い昼食にします。

 

アウシュヴィッツ第二強制収容所 ビルケナウ(Auschwitz II – Birkenau)

急いで昼食を済ませ、シャトルバスにのって第二強制収容所ビルケナウへ。

アウシュヴィッツから3キロほどの田舎道を走っていくと、ビルケナウの門が見えてきました。門の中に線路が入っていく光景は写真などで見たことがあります。

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12:30頃、無事に参加者全員が門の前に集合。ここからはヘッドセットなし。ガイドさんの近くに付いて行動します。木造のバラック、SS監視塔、レンガのバラックを順番に回っていきます。

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レンガのバラックの中には3段の木造ベッドが連なっており、地面からは土ぼこりがもうもうと舞い上がっていました。

ここに至って、実際にここで寝起きしていた収容者の生活を想像して、しめつけられるような気持ちになりました。

ここへ来る前に読んでいたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』に描かれていた収容者の内面世界がリアリティを持って立ち上がってきたのです。

 

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比較的コンパクトにまとまっているアウシュヴィッツとは異なり、このビルケナウはとにかく広い。あるポイントからもう一つのポイントへ歩いていくだけでも、なかなか大変です。幸いにもこの日は快晴だったので助かりました。

収容所として使われていた当時はこの広大な敷地の中に300以上のバラックがあったそうです。

ビルケナウへ到着した人々は、プラットホームの上でSSによって労働者/ガス室送りのいずれかに分別されました。

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ツアーではガス室送りになった人が歩いた道と同じ道を歩いていきます。

ガス室が満室のときには、人々は森で待機を強いられたこともあったそうです。

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近くには収容者が隠れて撮影したという死体の山の写真が展示されていました。

その後、証拠隠滅のためにSSが破壊したガス室の跡や収容者用のサウナ(消毒などを行う)を見学。

結局、一連の見学を終えて思ったことは「わからない」ということ。

収容者の体験は想像の限界を超えていて、彼らがいったいどのような気持ちでいたのか、ありありと感じるまでには至りませんでした。

そしてなぜこのようなことが起こってしまったのか、人間になぜこのようなことができたのか、その答えももちろんわかりません。

ツアーの最後にはビルケナウの中心にあるモニュメント(犠牲者国際追悼碑)へ。さまざまな言語でメッセージが書いてあります。

日本語はありませんでしたが、英語のメッセージは一番右端に。

FOR EVER LET THIS PLACE BE
A CRY OF DESPAIR
AND A WARNING TO HUMANITY,
WHERE THE NAZIS MURDERED
ABOUT ONE AND A HALF
MILLION
MEN, WOMEN, AND CHILDREN,
MAINLY JEWS
FROM VARIOUS COUNTRIES
OF EUROPE.

AUSCHWITZ-BIRKENAU
1940-1945

わからないことはわからないままに、静かに目を閉じて犠牲者を追悼することにしました。

ポーランド旅行記③ − 古都クラクフへ

ポーランド旅行記3日目の記録です。

 

ワルシャワからクラクフへ

今日は南部の街クラクフ(Kraków)へ向かいます。

9時ちょうどにワルシャワのアパートメントを出て、ワルシャワ中央駅へ。

9時45分ワルシャワ発、12時07分クラクフ着の特急列車の切符を購入。150ズウォティ。

駅構内の costa coffee でアメリカンコーヒーを買って、少し早めにホームへ。

なかなか電車が来ないと思っていたら、ワルシャワ中央駅は始発駅ではなかった模様。ただ特急は指定席なので、始発駅でなくても問題はありません。

到着した列車に乗り込むと車内は満席に近い感じ。ワルシャワを出発した列車はポーランドの平原をひたすらに走っていきます。

ちなみにポーランドという国名は「平原の国」という意味なのだそう。

たしかにクラクフまで2時間半の間、列車はずっと平原を走っていました。日本とは全く異なる地形の国なのだということを実感。

12時07分着ということでしたが、20分ほど遅れて電車はクラクフ中央駅(Kraków Główny)に到着。ワルシャワと比べると、ずいぶん落ち着いた印象の駅です。

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まずは今晩の宿である Rakowicka Apartment へ向かいます。ワルシャワのときとは異なり、すんなりと辿り着くことができました。

新しい建物で、部屋はこんな感じ。

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壁にこのようなプレートがかかっています。

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自己啓発系(?)のアパートメントなのでしょうか。

 

クラクフ旧市街へ

宿で小休憩の後、旧市街方面へ向かいます。

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美しい街並みを抜けて中央広場へ出ると、、、広い! そして広場全体が多くの観光客で賑わっています。一人旅をしていると、こういう華やかさにホッとすることも。

広場の中央にあるのは織物会館(Sukiennice)と呼ばれている建物。一階にはお土産屋さんなどがぎっしりと並んでおり、見て回るだけでも楽しいです。

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こちらは聖マリア教会(Kościół Wniebowzięcia Najświętszej Maryi Panny)。

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ワルシャワからの移動もあって疲れたので、広場に面した Cafe Restaurant Europejska で一休みをすることに。

カプチーノとチーズケーキを注文したら、なぜかケーキが二切れも登場。この写真の印象よりボリュームがあって、全部食べきれません。

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お腹も膨らんだところで、旧市街の南側にあるヴァヴェル城(Zamek Królewski na Wawelu)というお城のある方へ歩いてみることに。

遠足風の集団がお城の方角へ歩いていくので、その後を着いていったら、いつの間にかお城の敷地内に入っていました。

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こちらはワルシャワにも流れていたヴィスワ川(Wisła)。ポーランドの南部からクラクフ・ワルシャワを通ってバルト海へ流れています。全長は1,000km以上もあるのだそう。

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このヴァヴェル城には旧王宮・ヴァヴェル大聖堂などの見所もあるのですが、この日はあまり建築や美術を見る気分ではなかったので、中庭のベンチに横になって、ぼーっと風に吹かれていました。

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いつの間にか夕方になっていたので、宿の方へ戻ることに。

駅前のショッピングモール、ガレリア・クラコフスカ(Galeria Krakowska)を散策し、スーパーマーケットのカルフールで買い物。その後、駅の裏にあるMDAバスターミナルへ立ち寄って、明日のバスチケットを購入。

明日は朝が早いので、早めに宿へ戻って備えることにしました。

ポーランド旅行記② − ワルシャワしみじみ観光編

ポーランド旅行記2日目の記録です。

 

ワルシャワ旧市街へ

昨日は結局2時くらいまで起きていましたが、時差の影響もあるのか7時過ぎには起床。ただすっかり体調は回復したので、軽快に出発。

まずは今日最初の目的地、ワルシャワ旧市街(Stare Miasto)へ向かいます。

ワルシャワのメインストリート、イェロゾリムスキェ通り(Aleje Jerozolimskie)を東へ進み、新世界通り(Nowy Świat)で左折。

新世界通りは美しい建物やおしゃれなお店が並んでいて、とても気持ちの良い界隈。

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朝から何も食べていなかったので、途中の Costa Coffee に入り、フラットホワイトとキッシュを注文。

このキッシュがなかなかのボリュームで、結局、朝昼兼用の食事になってしまいました。

お店の棚にポーランド語版の Scrable が置いてあるのを発見! やはり[ł]や[ś]などの文字もあるのでしょうか?

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お腹も膨らんだので、新世界通りをどんどん歩いていくと、途中からはクラクフ郊外通り(Krakowskie Przedmiescie)という名前に変わります。

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こちらは大統領官邸。

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そのまま歩いていくと、ほどなくワルシャワ旧市街の入り口へ到着。旧王宮前の広場は多くの人で賑わっています。

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そこから細い道を抜けて旧市街広場へ。一昨年の旅行で訪れたエストニアの首都タリンの旧市街を思い出しました。

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円形状の砦、バルバカン(Barbakan)。

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川の方へ行くとキュリー夫人の銅像を発見。「84 Po」というのは、キュリー夫人が発見した元素、ポロニウムの原子番号と元素記号。

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ヴィラヌフ宮殿へ

旧市街の散策後は郊外にあるヴィラヌフ宮殿(Pałac w Wilanowie)へ行ってみることに。

さきほど歩いて来たクラクフ郊外通りからヴィラヌフ宮殿行きのバスが出ています。

初めての街でバスに乗るのは結構ハードルが高いのですが、このバスはヴィラヌフ宮殿行きなので、とにかく終点まで乗っていればよいのだろうと一安心。

後ほどわかったことですが、ここで切符の改札を忘れるというミスをしていました。電車でも、バスでも、トラムでも、券売機で切符を買ったら、車内の黄色の自動改札機に切符を入れて自分で改札をしなければならないとのこと。そういえば、空港からワルシャワ中心部への電車に乗ったときも改札をしていませんでした。検札があったら一発でアウト! 危ない危ない。。。

バスは中心部を抜けて郊外へ。観光で訪れた街ではあまり郊外を見る機会はないので、地元の人々の暮らしに思いを馳せながらバスに揺られていました。30分程でヴィラヌフ宮殿へ到着。

本によるとヴィラヌフ宮殿というのは、17世紀にポーランド王のヤン3世ソビエスキ(Jan Ⅲ Sobieski)という人が夏を過ごすための宮殿として建てたものなのだそう。

一帯は公園になっているので、途中のベンチで仰向けになってしばらく休憩。

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ちょうど12時を告げる鐘の音が周囲に響き渡っていました。

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宮殿の中には当時の貴族の暮らしを想像できるような多くの調度品と肖像画が。

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仲の良さそうな二人。

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お茶の時間〜ヴィスワ川へ

宮殿の見学を終え、14時前にふたたび町の中心部へ。

このブログを通して知り合ったワルシャワ在住の kiki さんと新世界通り入り口のスターバックスで待ち合わせ。kiki さんはワルシャワの日本語学校で日本語を教えていらっしゃるとのこと。

そんなこともあり、日本語や英語やポーランド語やその他の言語に関するマニアックな話題に3時間も付き合っていただきました。

生徒さんに質問されて考えたという「ざっと」と「ざくっと」の違いに関する説明はまさに絶品。日本語を教えるというのは、想像以上に奥深い世界なんですね。

じっくりとこんな話をする機会はなかなかないので、とても楽しい時間を過ごしました。ありがとうございます!

その後は新世界通りとイェロゾリムスキェ通りの交差点にある empik という書店へ。

この empik はチェーン展開をしているお店のようで、この二日間ワルシャワのあちこちで見かけました。

ここでお目当ての英語・ポーランド語辞書を購入(49.90ズウォティ)。これをこの旅の自分へのお土産にします。

ところで辞書を買ったときにポーランド語ができる人だと思われたのか、店員さんにポーランド語でばーっと話しかけられてしまいました。本当は挨拶もろくに出来ないというのに、、、店員さんごめんなさい。

外に出るとまだ18時頃。宿へ戻るのもちょっと早いと思ったので、ヴィスワ川(Wisła)の方へ歩いてみることにしました。

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夕暮れ時、川沿いにはたくさんのワルシャワっ子が集まっています。

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昼間はあんなに暑かったのに、この時間はすっかり涼しくなっています。

川を眺めながら、これまでに海外で出会った様々な人たちのことを考えていたら、どんどん感傷的な気分になってきたので、ほどよいところで宿へ戻ることにしました。

ポーランド旅行記① − ワルシャワぐだぐだ到着編

本日より数回に分けて、2016年の9/12(月)〜9/16(土)に訪れたポーランドの旅行記を綴っていきます。

ポーランドは前から行ってみたい国の一つでしたが、単純に「遠い」ということで後回しにしていました。

しかし去年の夏に、2016年の1月からポーランド航空の直行便ができるというニュースを聞いて、行くなら今年しかない!と思い、遅い夏休みを取って旅立つことに。

 

成田からワルシャワへ

今回のワルシャワ行きのフライトは午前10:15発。

5時頃に起きれば、出発当日の朝に成田へ移動することはできます。ただ早起きに自信がなかったのと、成田空港内のカプセルホテルに泊まってみたかったので前泊することに。

深夜便のない成田空港では、20時くらいにほとんどのお店が閉まってしまいます。

ただ構内で早朝便を待っている人はそれなりにいて、椅子に寝転がっていたり、スマホをいじっていたり、みな思い思いの時間を過ごしています。そんな夜の成田空港には独特の雰囲気があって、非日常の世界に紛れ込んだようでした。

フライト当日は7時に起きて、ポーランド航空のカウンターでチェックイン。

成田10:15発、ワルシャワ14:25着。時差は7時間なので、トータル11時間10分のフライトです。

機内の時間はとても快適に。。。と言いたいところでしたが、途中から原因不明の頭痛+吐き気がひどくなってしまいグロッキー状態に。着陸前の機内食には全く箸を付けられず、散々な飛行機の旅になってしまいました。

しかしワルシャワに着いたらすぐに回復したので、単なる飛行機酔いだったのかもしれません。年々飛行機に弱くなっているような気がするので、何とかしたいものです。

出国審査を終えて、空港内を歩いているとマックカフェがあったので、とりあえず休憩することに。

フラットホワイトを注文。12ズウォティ。

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この時点ではズウォティのレートを覚えていなかったので、高いのか安いのかわからず。いずれにしてもコーヒーを飲んでいたら、気分が落ち着いてきたので良しとします。(後から調べたら1ズウォティ=26.5円くらいでした)

 

ワルシャワ中心部へ

空港から電車へ乗ってワルシャワの中心部へ向かうことに。

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地図を見てワルシャワ中央駅(Warszawa Centralna)で降りればよいのだろうと思っていたのですが、どうも中央駅には止まらない路線に乗ってしまったようで、東の方まで行ってしまい、慌ててUターン。

ワルシャワ・シルドミエシチェ駅(Warzsawa Śródmieście)で降りるのが正解だったようです。

<これからワルシャワへ行く人が読むかもしれないので補足>
市内中心部で降りたい場合、
S2 という路線に乗った場合はワルシャワ・シルドミエシチェ駅(Warzsawa Śródmieście)
S3 という路線に乗った場合はワルシャワ中央駅(Warszawa Centralna)
で降りるのが正解のようです。(2016年9月現在)
両駅の間は歩いて5分ほどなので、どちらを選んでも大差はないでしょう。

とにもかくにも Warzsawa Śródmieście(長い)で降りて、今晩の宿である Apartament Centrum ArtHome というアパートメントへ向かいます。
*アパートメントというのはマンションの一室を宿泊場所として貸している施設のこと。

しかしお約束通り道に迷ってしまい、10分で着ける距離を1時間以上歩いて到着。

このワルシャワ中央駅付近の地下道は迷宮のようで、本当に参りました。。。横断歩道や歩道橋がないので、地下へ潜るしか移動手段がないのですが、地下へ潜ると方向感覚がなくなって、どの方角へ歩いているのかわからなくなってしまいます。(自分だけ?)

さて何とかアパートに辿り着いたものの、それらしい看板は一切出ていません。

近くに受付らしいブースがあったので、そこにいた人に声をかけてみたものの、そこは別のオフィス。アパート関係の人ではないようです。肝心のアパートのドアは鍵がかかっていて入れません。

そのオフィスの人が親切にもアパートの管理人さんに電話をしてくれたのですが、全くつながらず。仕方ないのでアパートの前でしばらく待つことに。

20分ほどしてアパートの管理人さんが登場。「なんで電話してくれないのー、ずっと待ってたのに」とのこと。

「そうかホテルじゃなくてアパートだから着いたら電話しなくちゃいけないのか、でもさっき隣のオフィスの人が電話してくれたけど、、、」と思いつつ、とにかく今夜の宿が確保できてほっと一安心。

部屋は落ち着いた感じの雰囲気。アパートなのでキッチンも付いています。

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もう18時になっていましたが、荷物を解いて少し外を歩いてみることにしました。

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中央駅の辺りを歩いていると、明らかに目立っている建物が一つあったので、そこへ行ってみることに。

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これは文化科学宮殿(Pałac Kultury i Nauki)という有名な建物のよう。展望台があるというので、いかにもだなあと思いつつ、登ってみることにしました。

30階にある展望台はロの字の回廊になっていて四方を見渡すことができます。風が吹き抜けてとても気持ちがいいスペースでした。

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アウトドアで使うキャンプチェアのようなものがたくさん置いてあるので、ごろんと寝転がったり、写真を撮ったりしていたら、いつの間にか1時間が過ぎていました。

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外に出ると、宮殿もライトアップされています。

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その後は書店とスーパーマーケットを覗いてささっと帰宅。

、、、と言いたいところでしたが、またしてもワルシャワ中央駅周辺の地下道をぐるぐる迷ってしまうはめに。

わからない!と文句を言いつつ初日は終了。なかなか大変な一日でした。

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