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もみの木と樅の木

photo credit: Stella VM ... via photopin (license)

photo credit: Stella VM via photopin (license)

あなたにとってのクリスマスの定番クラシックは、いったい何でしょう?

もしかしたらこの曲を思い浮かべた人もいるかもしれません。

「もみの木(O Tannenbaum)」はドイツにルーツのあるクリスマスキャロル。

そしてこの季節に聞きたいもう一曲の「もみの木」がこちら。

「樅の木(kuusi)」はフィンランドの作曲家ジャン・シベリウスの「樹の組曲」の中の一曲。

フィンランド語原題の kuusi には数字の「6」という意味もあります。

Wiktionary には次のような例文が出ていました。

kuusi

(cardinal) six

kuusi kuusta joulukuussa
(six spruce trees in December)

「Wiktionary」

こちらはクリスマスソングという訳ではありませんが、この季節にぴったりの佇まいを持った曲だと思います。

今日でクリスマスシーズンも終わり。新年に向けて、残り一週間を走り切りましょう。


Christmas の短縮形はなぜ Xmas なのか?

photo credit: Markus Grossalber Christmas candles via photopin (license)

photo credit: Markus Grossalber Christmas candles via photopin (license)

クリスマスシーズンに街中を歩いていると、気になるのは何といってもイルミネーションやデコレーション、、、ではなくクリスマスの英語表記のこと。

よくお店の掲示などで Chirstmas の代わりに Xmas という表記を見かけることはありませんか?

Xmas はもちろん Christmas の短縮形。ただ何となくその説明を受け入れている人も多いと思いますが、改めて考えてみるとなぜ X が Christ の代わりになるのでしょう? 十字架を連想させるからでしょうか?

Oxford Dictionaries には次のような説明が出ていました。

Xmas

NOUN

informal term for Christmas

Origin
X representing the initial chi of Greek Khristos Christ.

Oxford Dictionaries

これによると Xmas の X は、ギリシア語でキリストを意味する Khristos(ギリシア文字:Χριστός)の頭文字 Χ(キー)に由来するとのこと。ギリシア文字の Χ はただ一文字でキリストを表すのだそうです。

なおキリストを表すのはあくまで大文字の Χ であって、小文字の χ ではありません。

ただいずれにせよアルファベットの一文字が特定の人に割り当てられているのは、さすがにキリストだけではないでしょうか。そういう意味では最高に贅沢なアルファベットの使い方と言えるでしょう。


フィンランド語学習記 vol.434 − kysyä

フィンランド語の動詞 kysyä(質問する)の使い方に関する覚書です。

いわゆる英語の ask に当たる動詞ですが、後続の語の格変化が少々変わっているので注意が必要。

フィンランド語の語法書『Tarkista Tästä』には、次のような説明が出ていました。

KYSYÄ(verbi, transit)

kysyä + O par Kysyin neuvoa lääkäriltä.
kysyä + N ela/abl Mistä voin kysyä asiaa?

 

『Tarkista Tästä』P.66

最初の ‘Kysyin neuvoa lääkäriltä.’(私は医者にアドバイスを求めた。)という例文では、後続の単語が次のように格変化しています。

分格
〜を
離格
〜から
Kysyin neuvoa lääkäriltä.
neuvo lääkäri

 

個々の単語は「私は尋ねた(Kysyin)」「アドバイスを(neuvoa)」「医者から(lääkäriltä)」という形になっています。

この中で難しいのは lääkäriltä という形。

同様の意味を伝えるときに、日本語では「医者にアドバイスを求めた」、英語では ‘I asked the doctor for advice.’ と言うのが普通なので、ここで離格(〜から)を使うという発想が浮かびません。

おそらくフィンランド語の場合は「相手に尋ねる」というより「相手から答えを引き出す」という発想なのでしょう。

実際、アドバイスを求めると言うときのアドバイスの動きは「私→医者」ではなく「私←医者」なのですから、フィンランド語の構造は十分にロジカルです。

ただいつもそうであるように、頭で理解することとぱっと言えるようになることの間には大きな溝があります。日本語や英語の構造に慣れた頭で kysyä を使いこなすには、練習あるのみ!なのでしょう。


ぬるいことは悪いこと?

photo credit: Kalense Kid kahawa via photopin (license)

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フィンランド語教室のテキスト『suomen mestari 2』に次のような文が出てきました。

Olen aivan kyllästynyt haaleaan kahviin.
(ぬるいコーヒーには飽き飽きなのよ。)
*kyllästyä(飽きる)、haalea(ぬるい)

先生曰く haalea(ぬるい)という単語は基本的にマイナスの意味で使われるとのこと。

これを聞いたときに、日本語の「ぬるい」はどうなのだろう?という疑問が頭をよぎりました。

例えば、次のような表現を考えてみましょう。

ぬるいお茶(熱さが足りない)
ぬるいビール(冷たさが足りない)
ぬるい上司(厳しさが足りない)

日本語のぬるいには何かが足りないという含意があります。よってプラスかマイナスかと言われれば、フィンランド語の haalea と同じようにマイナスの意味で使われる単語ということになるのでしょう。

それでは「私はぬるい温泉が好き!」などという場合はどうでしょう?

この場合はもちろんプラスの意味。ただしこれはあくまで文脈の支えがあるからで、単に「ぬるい温泉」と言えば、マイナスの意味に捉える人の方が多いでしょう。(熱がりの人は別かもしれません。)

それでは文脈の支えなしに「ぬるい◯◯」がプラスの意味になることはあるでしょうか?

ぬるい味噌汁やぬるいコーラのように、もともと熱いことや冷たいことが求められているものに「ぬるい」を足せば、当然ながらマイナスの意味になってしまいます。

よって、ぬるいがプラスの意味になるためには、熱過ぎて困るものや冷た過ぎて困るもの、あるいはそもそも適温という概念がないものに付ければよいということになります。

例えば、次のような表現はどうでしょう?

ぬるいお灸(熱過ぎない)
ぬるいプール(冷た過ぎない)
ぬるい石(温かくて気持ちいい?)

このように考えていくと、日本語のぬるいは一概にマイナスの意味で使われるとは言い切れないのかもしれません。

あるいはこの世の中に完全な善人や悪人がいないように、どんなことばにも良いところと悪いところがあるということなのでしょうか。


フィンランド語学習記 vol.433 − ひとりぼっち

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ひとりぼっち

仲間や、たよりにする人などが居なくなった人(状態)。孤独。ひとりぽっち。

「新明解国語辞典 第七版」

語源由来辞典によれば「ひとりぼっち」というのは特定の宗派に属さないお坊さんを「独法師」と呼んだことに由来するのだそう。

ひとりぼっちの他に「◯◯ぼっち」という言葉はあるのだろうか?と考えてみても、なかなか思い付かず。そういう意味では独特の日本語表現と言えるのかもしれません。

先日のフィンランド語教室では、この「ひとりぼっち」に近いニュアンスの ypöyksin という単語を習いました。

ypöyksin

all alone

Koira jätettiin ypöyksin.
(The dog was left all alone.)

「Wiktionary」

フィンランド語の yksin は「一人で」の意味。それではその前に付いている ypö の意味は何なのだろう?と思って調べてみたものの、はっきりしたことはわかりませんでした。

意味というより、単に[y-y-]という音のリズムにポイントがあるのかもしれません。フィンランド語には同様のリズムを持った次のような単語もあります。

upouusi

brand new

「Wiktionary」

täpötäysi

full to the brim, as full as possible

Huone oli täpötäysi.
(The room was packed.)

「Wiktionary」

ypöyksin[y-y-], upouusi[u-u-], täpötäysi[t-t-]はどれもユニークな語感の単語。

もしかしたら日本語のオノマトペに近い感覚で使われているのでしょうか?


漢字の中の女性

photo credit: DailyPic Woman resting in bed via photopin (license)

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ことばは、さまざまな理由で時代とともに移り変わっていきます。

例えば、過去に「看護婦・看護士」と呼ばれていた職業は、現在「看護師」に統一されています。

同様に「保母・保父」も「保育士」に統一されました。

このような人の職業を表すことばというのは、ポリティカル・コレクトネスの観点から、この数十年でいろいろと変化したように思います。

ただし日本語にはこのような変化の及ばない保守的な世界が一つあります。それは漢字の世界。

例えば、次の表現はどうでしょう。

かしましい【姦しい】

なんにんかのしゃべり声がして、うるさい。

「新明解国語辞典 第七版」

語義では「なんにんかのしゃべり声」となっていますが、うるさくしているのは男性でしょうか、女性でしょうか。

「姦」という漢字は女性差別だから、別の漢字に変えるべきだ!

、、、という議論はもしかしたらあるのかもしれませんが、少なくとも実際に漢字を変更するという事態には至っていません。

またここまであからさまな例ではなくても、私たちは日常的に次のような漢字を使っています。

姉・妹・妻・姑・妾・姪・娘・嫁・婆

ただ意味の上でこれらの対になる漢字には必ずしも「女」という字が入っている訳ではありません。

*調べてみたら「舅・甥」にのみ、男が入っていました。

そもそもおんなへんという部首はあるのに、おとこへんという部首は存在しないようです。

この非対称性はいったい何に由来しているのか?

なぜ女性「性」だけが明示されなければならないのか?

こういった漢字のあり方が私たちの深層意識に何らかの影響を及ぼしている可能性はあるのか?

そんなことを一度じっくりと考えてみるのもおもしろいのかもしれません。


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