cialis viagra online accutane

フィンランド語学習記 vol.252 − 昼は長く、夜は短い

14111101

Suomessa keväällä ja kesällä päivät ovat pitkät ja yöt lyhyet.
(フィンランドでは春と夏には、昼は長く、夜は短い。)

フィンランド語教室で使っているテキスト『suomea suomeksi』にこんな文が出てきました。

この文のすごいところは、接続詞の ja を除く全ての単語が語形変化しているところ。

Suomi kevät ja kesä
Suomessa keväällä ja kesällä

 

päivä olla pitkä ja lyhyt.
päivät ovat pitkät ja yöt lyhyet.

 

これを縦向きにして、品詞と語形変化の詳細を付してみると、次のようになります。

名詞 単数主格 Suomi 単数内格 Suomessa
名詞 単数主格 kevät 単数接格 keväällä
接続詞 ja ja
名詞 単数主格 kesä 単数接格 kesällä
名詞 単数主格 päivä 複数主格 päivät
動詞 辞書形 olla 三人称
複数形
ovat
形容詞 単数主格 pitkä 複数主格 pitkät
接続詞 ja ja
名詞 単数主格 複数主格 yöt
形容詞 単数主格 lyhyt 複数主格 lyhyet

 

フィンランド語では主語が複数形のときには、補語に当たる形容詞も複数形になるというルールがあります。

そのため pitkä(長い)や lyhyt(短い)といった形容詞まで複数形になっているんですね。

このこだわりがフィンランド語だなあという感じです。

フィンランド語学習記 vol.251 − しなければならない/しなくてよい

14111001

以前のエントリーで「〜しなければならない」という意味を表す動詞 täytyy を使った構文を扱いました。

フィンランド語学習記 vol.224 − täytyy を使った文 | Fragments

まずは前回のおさらいから。

Minun täytyy opiskella suomea.(私はフィンランド語を勉強しなければならない。)
*opiskella(勉強する)、suomi(フィンランド語)

täytyy 構文では、主語は属格、動詞は三人称単数の形になります。

主格 minä 辞書形 täytyä
属格 minun 三人称単数 täytyy

 

フィンランド語の属格は「〜の」という意味なので、ちょっと不思議な感じもしますが、とにかくこの形を覚えておきましょう。

ここまでは前回のおさらい。

今回はこの täytyy 構文の否定形を取り上げてみたいと思います。

日本語で考えると「〜しなければならない」の否定形は、

「〜しなければならないということはない」=「〜しなくてよい」

という意味になりますね。

実際の会話例を、フィンランド語教室で使っているテキスト『suomea suomeksi』のスキットから紹介してみたいと思います。

Täytyykö meidän tulla huomenna?(私たちは明日来なければなりませんか?)
Ei. Teidän ei tarvitse tulla.(いいえ。あなたたちは来なくていいですよ。)
*tulla(来る)、huomenna(明日)

下の文の ei tarvitse というのは「〜を必要とする」という意味の動詞 tarvita(タイプ5)の三人称単数否定形。

つまり täytyy の否定形は、täytyy(täytyä)とは別の動詞を使って表すということ。

念のため tarvita の語形変化を見ておきましょう。

肯定 否定
minä tarvitsen en tarvitse
sinä tarvitset et tarvitse
hän tarvitsee ei tarvitse
me tarvitsemme emme tarvitse
te tarvitsette ette tarvitse
he tarvitsevat eivät tarvitse

 

肯定文と同じように否定文でも、主語は属格、動詞は三人称単数の形になっています。

主格 te 辞書形 tarvita
属格 teidän 三人称単数
(否定)
ei tarvitse

 

この täytyy(〜しなければならない)と ei tarvitse(〜しなくてよい)の関係は、英語の must(〜しなければならない)と not have to(〜しなくてよい)の関係と同じなので、英語に馴染みのある人にはわかりやすいかもしれません。

以上、今回はフィンランド語の täytyy と ei tarvitse の関係についてまとめてみました。

Minun täytyy opiskella suomea!

「たい焼き」と「焼きたい」の違いとは?

14110901

職場の近くにおいしいたい焼き屋さんがあるので、たまにお腹が空いたときに買うことがあります。

あつあつのたい焼きはおいしいですよね!

さて、世間にはこの「たい焼き」や「たこ焼き」のように「○○焼き」に属する食べ物と「焼きそば」や「焼き鳥」のように「焼き○○」に属する食べ物があります。

そのあたりの使い分けはどのようになっているのでしょう?

まずはざっと並べてみました。

○○焼き 焼き○○
お好み焼き 焼き芋
すき焼き 焼きそば
たい焼き 焼き魚
たこ焼き 焼き鳥
卵焼き 焼き肉
どら焼き 焼き飯
目玉焼き
もんじゃ焼き

 

こうして見ると「焼き○○」の方は、基本的に○○をそのまま焼いた食べ物であるのに対し、「○○焼き」の方はそうではないということがわかります。

(すき焼きはすきを焼いたものではないし、どら焼きはどらを焼いたものではない。)

卵焼きだけは卵を焼いたものなのでは?と思いますが、そのまま焼くのではなく「溶く」一手間が入っているので、焼き○○のグループとは微妙に異なるのかもしれません。

もし殻付きのままあぶるのなら「焼き卵」になるのでしょう。たぶん。

冒頭のたい焼きにしても、たい焼きではなく「焼きたい」になると、網の上でじゅうじゅう焼いたような鯛を想像してしまいます。

(それはそれでおいしそうではありますが。。)

これも日本語のおもしろい使い方の一つだなあと思います。

前後ありといへども、前後際断せり

14110801

前後際断(ぜんごさいだん)

前際(過去)・後際(未来)が断ち切れていること。或いは前後の際(あいだ)が断たれていること。現在の状況を過去や未来と対比させてみるあり方を否定すること。…

つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉より

最近読んだ本の中で一番ワクワクしたのが『すらすら読める正法眼蔵』という一冊。

これは鎌倉時代の禅僧、道元禅師(1200-53)の主著『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の抜粋に宗教評論家のひろさちやさんが現代語訳と解説を加えたもの。

正法眼蔵の原著は87巻から成る大著であり、分量的にも内容的にも素人が読破するのはなかなか難しいと思いますが、この本ではそのエッセンスをわかりやすく教えてくれます。

膨大な世界の一端を覗いているだけという謙虚さは持ちつつ、ページをパラパラとめくっていると実にさまざまな発見があります。

今回は正法眼蔵第1巻の「現成公案(げんじょうこうあん)」より、特に心に残った一節を紹介してみたいと思います。

たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。

私たちは、薪(たきぎ)が燃えて灰になるとき、薪が灰に変化したと考えます。

しかしそうではない、薪は薪という本質において前と後があり、灰は灰という本質において前と後があるのだと。

道元禅師は、人間の生と死もまた同じであると語りかけます。

かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆゑに不滅といふ。

薪は灰になった後に薪になることはない。人も死んだ後に生き返ることはない。よって生が死になるということもない。

このあたりのロジックは少しわかりにくいかもしれません。

もう少し続きを見てみましょう。

生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。

季節の移り変わりを考えたとき、冬が春に変化したり、春が夏に変化したりするのではない。

冬は冬という本質において前と後があり、春は春という本質において前と後があるのだと。

この季節の例えは、薪と灰の例えより、もう少しわかりやすいような気がします。

春夏秋冬を一続きのものとして考えるのではなく、時には「前後裁断」して考えること。

一日一日を一続きのものとして考えるのではなく、時には「前後裁断」して考えること。

そういった思考が、せわしない日常を乗り切る上で力になってくれることもあるのではないでしょうか。心に留めておきたい言葉です。
 

すらすら読める 正法眼蔵
ひろ さちや
講談社
売り上げランキング: 108,891

フィンランド語学習記 vol.250 − Supisuomea ふたたび

photo credit: Markus V via photopin cc

photo credit: Markus V via photopin cc

1年半前ほど前のエントリーで紹介した、フィンランド語初心者向けの動画シリーズ Supisuomea を最近また見ています。

Supisuomea − フィンランド語初心者向けの動画シリーズ | Fragments

久しぶりに見ると、理解できる表現がずいぶん多くなっていて嬉しい!

また今年の9月に初めてフィンランドに行ったので、動画に出てくるヘルシンキのさまざまな名所を見ながら「あ、ここは行ったことがある!」なんて言う楽しみもあり、前回よりもワクワクしながら見ています。

語学というとどうしても本やCDが中心になりますが、動画というのは非常に強力なツールだなあということを改めて認識させられました。

さらに一年前とは異なり、強い見方が手元にあるのです。

それがこちらの Supisuomea テキストブック。

14110702

9月のフィンランド旅行の際にアカデミア書店(Akateeminen Kirjakauppa)で購入してきました。

残念ながら全文ではないのですが、番組中に流れるスキットの一部がこんな風に収録されているので、例えば聞き取れなかった会話の内容を文字でも確かめることができます。

14110703

フィンランド語を始めたばかりの人にとってはやや難しいと思いますが、フィンランド語を学び始めたもののまだまだ生のニュースなどを聞いて理解するのは厳しいというレベルの人(準中級くらい?)にはぴったりのプログラムなのではないかと思います。

ぜひお試しください。

フィンランド語学習記 vol.249 − 受け取ったり、受け取ってもらったり

14110601

フィンランド語を勉強していて面白いなあと思うことの一つは、目的語の形がさまざまに変化すること。

例えばこんな文。

Minä pidän sinusta.(私はあなたが好きです。)
*minä(私は)、pitää(〜が好き)

この文で目的語の sinusta は出格という形になっています。

主格 sinä あなたは
出格 sinusta あなたの中から

 

つまり「あなたが好き」というのは、あなたから何かを受け取るようなイメージになるんですね。

あるいはこんな文。

Minä tutustui sinuun talvella.(私は冬にあなたと知り合った。)
*tutustua(〜と知り合う)、talvi(冬)

この文で目的語の sinuun は入格という形になっています。

主格 sinä あなたは
入格 sinuun あなたの中に

 

つまり「あなたに会う」というのは、あなたに何かを受け取ってもらうようなイメージになるんですね。

こんな風に動詞の種類によって、人と人のつながりを丁寧に示すフィンランド語というのは、暖かな言語だなあと思います。

cialis viagra online accutane