西瓜糖とクローバー
正月休みにリチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』を再読しました。
この小説を読み始めたときに、まず頭に浮かぶ疑問は「西瓜糖(watermelon sugar)って何?」ということ。
いま、こうしてわたしの生活が西瓜糖の世界で過ぎてゆくように、かつても人々は西瓜糖の世界でいろいろなことをしたのだった。
『西瓜糖の日々』P.9
ここから始まる物語は、<アイデス>と<忘れられた世界>と呼ばれる場所で起こる断片的なエピソードを淡々と紡いでいきます。
最後まで読んでも西瓜糖の正体を知らされることはなく、その答えは読者一人一人の想像力に委ねられています。
今回再読していて、ひとつおもしろいと思ったのは翻訳者の藤本和子さんによる訳者あとがきの一節。
原題は In Watermelon Sugar だが、これはきっと We lived in clover というような場合のイディオムが発想のはじめのところにあったように思う。We lived in clover というのは、牛がじゅうぶんにクローバーの葉を食べて暮すように、「われわれはなに不足なく暮した」という意味で、この in clover が in watermelon sugar になったのだろうと思う。
『西瓜糖の日々』P.197〜198 訳者あとがきより
この live in clover というイディオムを辞書で調べてみると、次のように出ていました。
be/live in clover
(informal) to have enough money to be able to live a very comfortable life
「Oxford Advanced Learner’s Dictionary」
西瓜糖というのは、牛にとってのクローバーのようなもの。
しかしこの小説で描かれる西瓜糖の世界は、ユートピアのようでユートピアではない、何かが欠落した世界です。
そんな西瓜糖の世界で生きる人間は幸福なのか?
私たちを私たちの世界につなぎとめているものは何なのか?
答えのない問いが次々に浮かんでくる不思議な小説です。
河出書房新社
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