文法上の「複数形」の必要性について
先日のフィンランド語クラスにて、フィンランド人の先生が日本語にいわゆる「複数形」がないことを話題にしていました。
なかなか面白い話だったので、以下に記しておきます。
例えば、以下の文をご覧ください。
英語やフィンランド語では、置いてある本が一冊なのか、二冊以上なのかは、名詞の形を見れば判断することができます。しかし日本語の場合、文の中にそのような情報はありません。
単数 | 複数 | |
---|---|---|
英語 | book | books |
フィンランド語 | kirja | kirjat |
日本語 | 本 | 本 |
複数形を持つ言語のネイティブスピーカーからすると、このとき日本人のアタマの中には何冊の本が浮かんでいるのだろう?と疑問に思ってしまうそうなのです。
さて??
私の場合は、「机の上に本が置いてあります」と言われたら、単純に一冊の本をイメージしているような気がします。実際の私の机には本が山積みになっているのですが、なぜかそれを思い浮かべることはありません。
それでは、次の文ではどうでしょう。
ここでたった一輪の花を思い浮かべる人はおそらく少ないでしょう。庭の大きさや花の種類については個人差があっても、ある程度多くの花が咲いている光景が浮かぶはずです。
ということは、結局、単数か複数かは文脈次第ということなのかもしれません。実際、英語やフィンランド語の複数形でも、それが2つなのか、3つなのか、4つなのかは数詞が付いていない限りわかりません。
よって英語やフィンランド語のネイティブであっても、「庭に花が咲いています」と言われて、思い浮かべる花の数は千差万別だと思います。だとすれば、なぜ「1」と「2以上」だけ、文法上明確に区別する必要があるのでしょう?
複数形というものを持たない日本語を母語とする立場から見ると、むしろそちらの方を疑問に思ってしまいます。
おそらく、そのことに関する歴史的な経緯や説明はあるのでしょうが、解らしい解を見つけることができなかったので、今回は疑問を疑問のままに記しておくことにします。
4月 04, 2016 @ 11:06:51
たしかになぜ、「1」と「2以上」だけを区別して、たとえば「3」「4以上」の区別をしないのかという疑問はあります。しかし例えば3つなのか、4つ以上なのか、ということが重要であれば具体的に4つの、とか7つのとか具体的に表現するでしょう。
私は、日本語に複数形表示が通例なされないことについて不便を感じていますので、「々」を複数形接尾語として使うことを提案しています。よかったら見てください。
http://p.booklog.jp/book/96964/read
4月 05, 2016 @ 01:12:03
nagamitzさん
「々」に関するコラム拝読致しました。言われてみれば、島々や山々はあるのに、犬々や本々がないのは不思議ですね。商業小説などで、nagamitzさんの提言する「々」をこそっと紛れ込ませるような作家がいたら面白いのにと思いました。
4月 05, 2016 @ 13:24:10
whitebearさん
ご関心、ご意見、ありがとうございました。内容のリッチな貴サイトに感心しています。仕事の合間のオアシスとしてこれからも訪問させていただきます。
4月 08, 2016 @ 02:34:13
ありがとうございます! また遊びに来てください。