「私が好きな人」と「ネコが好きな人」の違いとは?

14032201

昨日のエントリーで、フィンランド語の目的語が文のタイプによってさまざまな形に変化するという話を書きました。

フィンランド語学習記 vol.171 − 命令文の目的語 | Fragments

フィンランド語の学習者にとっては、習得への高いハードルになっています。

その後、日本語はどうなのか?とあれこれ考えていたら、日本語には日本語なりの高いハードルがあるということに気付きました。

日本語では、目的語が格変化することはありませんが、その代わりさまざまな格助詞を使い分けます。

例えば、こんな文。

1)私はあなたが好きです。
2)私はあなたを愛しています。

どちらも普通の文ですが、二つの文の格助詞[が、を]を入れ替えると、とたんにおかしなことになってしまいます。

3)私はあなたを好きです。
4)私はあなたが愛しています。

3はやや不自然ですが、間違いとまでは言えないかもしれません。4は明らかにおかしいですね。

似た意味の動詞なのに、このように助詞を使い分けなければならないのは、なかなかやっかい。

日本語を学んでいる人に、

なぜ1の文では「が」を使い、2の文では「を」を使うのですか?
どうやって使い分けるのですか?
と聞かれたら、何と答えたらよいでしょう?

続いて別の例を。

次のフレーズから想像するのはどんな意味でしょう?

私が好きな人
ネコが好きな人

おそらく「私が好きな人」では「私が」を主語と解釈し、「ネコが好きな人」では「ネコが」を目的語と解釈するのではないかと思います。

わかりやすくするために文の中に入れてみましょう。

1)彼女は、私が好きな人を知っている。
2)ネコが好きな人に悪い人はいない。

この文をじーっと見つめてみれば、「私が」を目的語、「ネコが」を主語と解釈することも不可能ではありません。

[1のやや不自然な解釈]彼女は、「私のことを好きな人」を知っている。
[2のやや不自然な解釈]「ネコが好む人」に悪い人はいない。

しかし日本語ネイティヴなら第一感、「私が」を主語、「ネコが」を目的語と解釈するのが普通でしょう。

[1の自然な解釈]彼女は、「私が誰のことを好きか」を知っている。
[2の自然な解釈]「ネコを好む人」に悪い人はいない。

これもまた日本語を学んでいる人に、

なぜ1の文では「私が」が主語になり、2の文では「ネコが」が目的語になるのですか?
どうやって見極めるのですか?
と聞かれたら、何と答えたらよいでしょう?

日本語教師の人なら、すぱっとした説明ができるのかもしれませんが、到底思い付きません。実に深遠な世界だと思います。