憐れみ給え、わが神よ − 映画『サクリファイス』より

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いつもと変わらない日常の風景。

スーパーに行けば、いつものように商品が並んでいたり、駅に行けば、いつものように電車が走っていたり。

そんな日常が成り立っているのは、この世界のどこかで自分の身を「犠牲」に供して、祈りを捧げている人がいるからではないか?

アンドレイ・タルコフスキー監督の『サクリファイス』という映画は、そんな世界観がモチーフになっています。

主人公の元舞台俳優アレクサンデルは無神論者。

しかし核戦争が勃発し、崩壊に直面する世界の中で、アレクサンデルは初めて「神」と真正面から対峙します。

「犠牲」と引き換えに、愛する人々を救ってほしいと祈りを捧げるアレクサンデル。

ここでいう「犠牲」というのは、具体的なあれこれというよりも、象徴的なものであり、映画全体を一つの寓話と見ることもできるでしょう。

そして想像力を働かせてみれば、この世界をそんな視点から捉えてみることも可能ではないでしょうか。

この映画の中で使われているのが、バッハの「マタイ受難曲」の第39曲、アリア「Erbarme dich, mein Gott(憐れみ給え、わが神よ)」です。

イエス・キリストの受難を題材としたマタイ受難曲において、この曲が扱うのは「ペテロの否認」と呼ばれる場面。

最後の晩餐の後、キリストは捕縛・連行され、使徒のペテロは「おまえもキリストの仲間か」と問われますが、恐怖のあまり「違う」と答えます。

再三の詰問を受けたペテロが三度否認した後、鶏の鳴き声が聞こえ、ペテロは涙を流します。

最後の晩餐の後、キリストはペテロに「あなたは鶏が鳴く前に三度、私を知らないというだろう」と予言していたのでした。

そんな人間の弱さに、さきほどの『サクリファイス』の世界観を重ねてこの曲を聴いてみると、また違った風景が見えてくるようにも思います。