cialis viagra online accutane

About

Posts by :

fairly good な映画と pretty good な映画はどちらがおもしろい?

14090601

手元の英和辞書をパラパラとめくっていたら、こんな例文が出ていました。

  • The movie is pretty good.
  • The movie is fairly good.
  • The movie is very good.
  • The movie is quite good.
  • The movie is rather good.

『アンカーコズミカ英和辞典』

これらの感想をつまらないものからおもしろいものへ順番に並べると、どのような順番になるでしょう?

??

辞書にのっていた順番は次のとおり。

  1. The movie is fairly good.
  2. The movie is quite good.
  3. The movie is rather good.
  4. The movie is pretty good.
  5. The movie is very good.

(つまらない)1→2→3→4→5(おもしろい)

それぞれのニュアンスを確認していきましょう。

1)fairly good は「まあまあ良い」の意味。

「悪くはないけど。。。」とお茶を濁す感じでしょうか。

2)quite good は「かなり良い」の意味。

「いちおう、おすすめ」という感じでしょうか。

3)rather good は「普通以上に良い」の意味。

これには「あまり期待していなかったけど、思ったより良かった」というニュアンスがあります。

4)pretty good は「なかなか良い」の意味。

これにも「思ったより良かった」というニュアンスがあります。

友人に感想を話す際に pretty good とは言えても、この映画の監督に感想を話すとしたら pretty good とは言いづらいのではないでしょうか。

5)very good は「とても良い」の意味。

シンプルですが、褒め言葉としては安心して使えます。

英語の副詞が持つニュアンスはとてもデリケートなもの。

きちんと使えるようにしっかりと感覚を磨いておきたいところです。

週の初めは何曜日? − エストニアの場合

14090501

週の初めは日曜なのか月曜なのかという議論がなされることがあります。

個人的には「さあ、仕事をするぞ!」という意味で月曜の方が週のスタートにふさわしいような気がしますし、一方で日曜はカレンダーの左端にあってほしいような気もします。

またキリスト教では日曜が週の初めということになっているという話があったり、それなのに weekend という単語が存在したり、さまざまな意見と証拠が錯綜しているのがこの分野。

もちろん、どちらか一つが正解という話ではないのでしょう。

しかし、少なくともエストニアでは、週の初めは月曜ということになっているのではないかと推察します。

その理由はエストニア語の曜日の名前にあります。

エスト
Esmaspäev
Teisipäev
Kolmapäev
Neljapäev
Reede
Laupäev
Pühapäev

 

「水曜日」を意味する kolmapäev(コルマパエヴ)は「3の日」の意味。

そして「木曜日」を意味する Neljapäev(ネルヤパエヴ)は「4の日」の意味。

その他の曜日に数字は入っておらず、どうしてこの二つだけが数字を含んでいるのかはわかりません。

しかし水曜が3で木曜が4なら、週の初めは月曜だと考えるのが自然でしょう。

日本語では「1月、2月」のように月に数字を使いますが、曜日に数字を使う言語もあるんですね。

[th]と[ð]と[þ]

14090401

次の二つの英単語の発音を思い浮かべてみましょう。

this
think

カタカナで表記するなら「ズィス」と「スィンク」。

発音記号で表記するなら、次のようになります。

this /ðɪs/
think /θɪŋk/

何を当たり前のことをと思われたかもしれませんが、同じ[th]の文字をあるときは有声音 /ð/、またあるときは無声音 /θ/ で発音するというのはなかなか難しいこと。

頭の中ではいったいどのように処理されているのでしょう?

知らず知らずのうちに使い分けているというのは、考えてみると実に不思議なこと。

ただしこれら /ð/ と /θ/ の音は、古英語(old English)の時代には[th]ではない二種類の文字で表わしていたのだとか。

その文字というのは以下の二つ。

ð
þ

なるほどー。古英語の時代には有声音 /ð/ を[ð]の文字、無声音 /θ/ を[þ]の文字で表わしていたんですね。納得、納得。

。。。

と想像してしまいますが、実際にはどちらの文字も有声音と無声音の両方を表わすことがあったのだとか。

あくまで文字に頼らず単語ごとの発音を覚えなさいということなのですね。

なぜもっと効率的な体系が作れないのだろう?と思いつつ、同時にこの混沌がいかにも英語らしいとも思います。

フィンランド語学習記 vol.230 − 思い切ってやってみる

14090301

前回のフィンランド語教室で扱ったトピックをまた一つ。

フィンランド語で「思い切ってやってみる」は uskaltaa(ウスカルター)。

Uskallatko lasketella tuosta rinteestä?(スキーであの斜面を滑り降りることができますか?)
*lasketella(スキーをする)、rinne(斜面)
*例文は「MOT Finnish-English」より

上記のような例文を自然な日本語に訳すと、uskaltaa には「できる」という日本語を当てることになります。

しかし先生曰く「フィンランド語を話すことができる」というときの「できる」と「スキーで斜面を滑り降りることができる」というときの「できる」の意味は本質的に異なっていると。

つまり前者は能力の問題なのに対して、後者は勇気の問題なのだということ。

(スキーをやったことがないなら能力の問題になるかもしれませんが、それはさておき。)

英語にはこの概念を表わす dare という動詞がありますが、日本語には同様の動詞がありません。

もし日本語にもこんな動詞があったら、できる/できないという時に、それが能力の問題なのか勇気の問題なのかはっきりするので、わかりやすいのではないかと思います。

あるいは、そういうことはできることなら隠しておきたいというのが本音でしょうか?

勇気がなくてできないとは言いづらいときもありますし。。。
 
MOT Finnish-English MOT Finnish-English
価格: ¥1,200(記事公開時)
カテゴリ: 辞書/辞典/その他, ビジネス
App Storeで詳細を見る

trying & failing

14090201

Next to trying and winning, the best thing is trying and failing.

(一生懸命にやって成功することの次によいことは、一生懸命にやって失敗することよ。)

− Lucy Maud Montgomery, Anne of Green Gables

『世界文学の名言』(IBCパブリッシング)より

最近心に響いた名言を一つ。

生まれつきの性格なのか、育ちのせいなのかはわかりませんが、失敗に対する耐性が高い人と低い人がいるように思います。

若い頃には失敗を恐れなかったのに、年を重ねるにつれて慎重になってしまうこともあるでしょう。

それでは自分の場合はどうか?とこれまでの人生を振り返ってみると、やはり挑戦する前に自重してしまうことが多かったように思います。

どちらかと言うと先回りして失敗の目を潰してしまうような。

しかしこの頃、それではつまらないなーというか、上手くいくかどうかわからないものに自分を賭けてみたいという思いが年々強くなってきました。

「年を重ねるごとに破天荒になってきたね」なんていう生き方もいいですよね?
 

世界文学の名言
世界文学の名言

posted with amazlet at 14.09.02
クリストファー・ベルトン
IBCパブリッシング
売り上げランキング: 257,362

フィンランド語学習記 vol.229 − 夫と妻

14090101

前回のフィンランド語教室で扱ったトピックを一つ。

フィンランド語で「男」は mies(ミエス)、「女」は nainen(ナイネン)。

mies(男) ←→ nainen(女)

 

また、フィンランド語で「夫」は mies(ミエス)、「妻」は vaimo(ヴァイモ)。

mies(夫) ←→ vaimo(妻)

 

??

同じ単語が二回出てきました。

図式化すると次のような関係になります。

mies(男、夫) ←→ nainen(女)

vaimo(妻)

 

フィンランド語には、英語の wife に当たる単語はあるのに、husband に当たる単語がありません。

そのため「男」を意味する mies を husband の意味でも使います。

この話を聞いて最初に思い出したのは英語の敬称の区分のこと。

男性の敬称は Mr. しかないのに、女性の敬称は未婚・既婚の違いによって Miss/Mrs. の使い分けがあります。(最近では未婚・既婚に関係ない Ms. を使うことも多いようですが。)

フィンランド語ではこのような区分を敬称だけではなく「男・女」を意味する基本単語にも当てはめているというイメージでしょうか。

フェミニズム的な見地からは怒られてしまいそうな使い分けですが、言葉というのは何よりも慣習。そのようになっているからなっているということなのでしょう。

とはいえ「夫」に当たる独立した単語がないというのは、いろいろと不便じゃないのかなあとも思ってしまいます。

実際のところはどうなのでしょう?

cialis viagra online accutane