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マルクス・アウレリウス『自省録』を読む

日々の仕事の中で、うまくいかないことがある。また原因はわからないもののどうしようもなく気分が塞いでしまう。

そんなときには、気持ちを落ち着かせるため、寝床で『自省録』を読むことにしています。

この書物を書いたマルクス・アウレリウスという人は、古代ローマ帝国の皇帝で、五賢帝と呼ばれた名君の一人です。

昨年、映画が公開されて話題になった漫画「テルマエ・ロマエ」にも子役(?)で出ているので、それで知っている人もいるかもしれません。

『自省録』は彼が残した手記の伝承であり、誰かに見せるために書かれた文章ではありません。原題の ta eis heauton は「自分自身に」という意味だとか。皇帝としての執務の間に、ただ自分の心を穏やかにするために書かれた思索の記録がそこにあります。

本文は全12章から成っており、それぞれの章は主に数行程度の断章によって構成されています。もともとはギリシア語で書かれた手記ですが、いくつかの言語に翻訳されており、日本では岩波文庫から神谷美恵子さんの訳本が出ています。

一度、全編を読んだ後は、適当なページをパラパラとめくって拾い読みをするというスタイルで、何度か読み返してきました。

面白いのは同じ文章を読んでも、その時に自分が置かれている状況によって、文章の受け取り方が違うということ。ある時には素通りした文章が、別の時には深く心に残るということもあるのです。

今回はその中からいくつかの断章を紹介してみたいと思います。

君に害を与える人間がいだいている意見や、その人間が君にいだかせたいと思っている意見をいだくな。あるがままの姿で物事を見よ。

第4章 十一

当たり前のことを言っているように聞こえるでしょうか? しかしよくよく考えてみると、他人のフィルターを通さず、眼前の状況をありのままに受け取るということほど難しいことはありません。私たちは少し油断すると、歪んだ価値観に影響され、物事の本質が見えなくなってしまいます。
 

もしある神が君に「お前は明日か、またはいずれにしても明後日には死ぬ」といったとしたら、君がもっとも卑劣な人間でないかぎり、それが明日であろうと明後日であろうとたいして問題にしないだろう。というのは、その間の期間などなんと取るに足らぬものではないか。これと同様に何年も後に死のうと明日死のうとたいした問題ではないと考えるがよい。

第4章 四七

あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。

第4章 十七

人生は有限です。終わりの日は50年後かもしれませんし、明日かもしれません。そのことは理屈ではわかっていても、雑多な日常の中に埋没してしまいます。

ここでいう「善き人」が何を意味するのかは個々人が考えるほかありませんが、確かなのは自分の人生に責任を持つことができるのは自分自身だけだということ。最後の日に、それなりに面白い一生だったと思えるよう、日々を過ごしていきたいものです。

ということで、今回は『自省録』の紹介でした。やや抽象的な話になってしまいましたが、読んだ人それぞれの受け取り方があると思います。ぜひ枕元に一冊置いてみてください。

 

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『キャパの十字架』沢木耕太郎著 − 文藝春秋新年特別号より

photo credit: Kikasz via photopin cc

毎年クリスマスイブに放送する沢木耕太郎さんのラジオ番組「MIDNIGHT EXPRESS 天涯へ」は、冬の楽しみのひとつ。

今年の放送では、今年一年かけて取り組んできたというロバート・キャパに関する作品やその取材の裏話などをお話しされていました。

その作品「キャパの十字架」はまだ単行本にはなっていないのですが、発売中の文藝春秋・新年特別号に掲載されているということでさっそく購入してきました。

そして一気読み。ほんとうに面白い。面白い本といっても「感動した」「勉強になった」などなど様々な読後感があると思いますが、この作品はとにかく面白かったとしか言いようがないくらい、時間を忘れてのめりこみました。

本作の主人公であるロバート・キャパは、1936年に勃発したスペイン内戦や第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦の報道写真で世界的な名声をつかんだ、ハンガリー出身の戦場カメラマンです。

日本でもキャパに関する本は多く出版されていて、私もキャパの自伝「ちょっとピンぼけ」や、リチャード・ウィーランによる伝記「キャパ その青春」「キャパ その死」を読んだことがあります。

さて本作「キャパの十字架」はキャパの写真の中でも、おそらく最も有名な「崩れ落ちる兵士」を巡って展開します。キャパの名前を知らない人でも、どこかでこの写真を見たことがある人もいるのではないでしょうか。

銃弾に撃たれて、背中から崩れ落ちる兵士。この写真はあまりにも決定的瞬間であるが故にその真贋について様々な議論がありました。すなわち本当に撃たれたところを撮影したものではなく、演技(=やらせ)ではないかと言うのです。

「キャパの十字架」ではこの写真について、世界各地での文献調査や関係者の取材、撮影に使用されたカメラの構造に関する考察などを通して、著者独自の仮説に到達します。

著者の綿密な調査と執念、仮説を導きだす推理のプロセスはまさに推理小説のようで、ぐんぐん引き込まれてしまいます。

フィクションの推理小説でも、これだけ劇的な展開はなかなかないのではないでしょうか。近々、単行本も出るのかもしれませんが、年末年始に面白い本が読みたい方にはぜひおすすめです。

沢木さんの本を読んでよく思うのは、人間にとって何かを面白がる能力というのは、この世界を生き抜いて行く上で一番大切なものかもしれないということです。実際、それ一つがあれば、金銭や名声に恵まれなくても、満足のいく一生を送れると思うのですが、どうでしょうか。

沢木さんの本にはいつもそのような「熱」があり、読み終わった後には自分も少し熱が上がったような気がするのです。

 

文藝春秋 2013年 01月号 [雑誌]
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『エストニア紀行』梨木香歩著

昔、ニュージーランドの南島をドライブしたときのこと。当時住んでいたダニーデンという町から内陸の方へ車を走らせると、すぐに一面の荒れ地となり、次の町までは数十キロメートルもあるとの表示。ときどき羊や牛はいるものの、民家や人影は全くありません。

日本であれば、町から町へと車を走らせても民家が完全に見えなくなるということはそうそうないでしょう。しかしニュージーランドでは町を出るとそこには巨大な「空間」がありました。

この記憶は自分にとって外国というものの原風景になっています。それもそのはず、ニュージーランドは日本の約4分の3の面積に400万人程度が住んでいる国で、人口密度は日本の約20分の1なのでした。

梨木香歩さんの「エストニア紀行」の舞台になっているエストニアも人口は約130万人。ヨーロッパ北東部の小国です。本書の中で、首都タリンの観光を終えた一行が、車で内陸の街タルトゥに向かう描写が出てきます。

だんだん車窓から家が消えていく。車はさらに郊外へと走り続け、広い畑と、森の断片のようなものだけになっていく。

P52

このような描写を読んでいて、ふと昔見たニュージーランドの広大な荒れ地を思い出したのでした。エストニアという国には全く馴染みがなく、おそらくエストニアについての本を読んだのも初めてですが、不思議と懐かしい感情が涌き上がってくるのです。

旅というのは、慣れれば慣れるほど「非日常」という感覚が薄れて行くものだと思います。しかし旅慣れているはずの著者によるこの旅行記で非日常感がふんだんに漂っているのは、一つは舞台がエストニアという珍しい国であること、もう一つは旅の日常を描写する著者の感性が独特のものであることが大きいのではないでしょうか。

本書には幽霊が出てくるホテルや、ヒル治療を行うおじいさんなど、強烈なエピソードも出てくるのですが、読み終わって印象に残るのは、むしろ空港で本を買い込むエピソードや、タリンとトゥルクを行き来する車窓からの風景描写だったりするのです。派手なエピソードよりも旅の中の日常に感応している自分がいました。

 

著者は自然や野生動物に対する思い入れのある人で、コウノトリの渡りを見ることが旅の目的の一つとして挙げられています。その目的が果たせたかどうかは本書を読んでいただくとして、自然に対する深い洞察や、ヒトという種族について、また現代の文明批評など、さまざまな随想が旅のエピソードとともに語られて行きます。読者はそのあたりの著者の思いに共振しつつ、エストニアを巡る旅を追体験していくことになります。

本書にはエストニアの街頭や風景の写真もたくさん納められています。その中でも鮮やかな色彩の民族衣装を着たエストニアの人たちは、強く異国情緒というものを感じさせてくれます。

それから一つこれは面白いと思ったエピソードは、エストニア本土と近隣の島の間の海が冬の間は凍ってしまうため、氷上に車の通行路ができるというエピソード。バルト海は湾状になっているため、もともと外海との海水の循環が少なく、そこへ近隣の河の水が流れ込み塩分濃度が低くなるため凍ってしまうのだそうです。氷上を車で走るというのは、なかなかスリルがありそうですね。

そしてこの本を読み終えての最初の感想は「しばらく旅をしていないな」ということ。仕事を持っていてしばらく旅らしい旅をしていない人におすすめの一冊だと思います。

 

エストニア紀行: ――森の苔・庭の木漏れ日・海の葦
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『外国語をはじめる前に』黒田龍之助著

第二言語習得におけるモチベーション研究の嚆矢となった Gardner and Lambert (1972) では外国語を学ぶモチベーションを integrative motivation と instrumental motivation の両面から分析しています。

おおまかに定義すれば、integrative motivation(統合的動機)とは、その外国語が話されているコミュニティ自体に帰属したいというモチベーション。一方、instrumental motivation(道具的動機)とは、その外国語を試験やビジネスに役立てたいというモチベーションと言えるでしょう。

これらは相反する要素という訳ではなく、一人の学習者の中に共存していることもあるはずです。

現代のモチベーション理論はもっと複雑で、必ずしも上記の二項に帰せられる訳ではありませんが、外国語学習のモチベーションを考える上ではしばしば言及される古典的な理論です。

しかし英語や中国語といった言語であれば、このような視点から学習者の胸中を忖度することもできるのですが、これがフィンランド語やエストニア語となるとどうでしょう?

そのような言葉を学んでいる人がいれば、なぜその言葉を選んだのですか?と真っ先に聞いてみたいところです。どんな気持ちで学習を続けているのですか?どんな目標を持っているのですか?ということも。

さて、そんなことを考えながら黒田龍之助さんの「外国語をはじめる前に」という本を読みました。

外国語をはじめる前に (ちくまプリマー新書)
黒田 龍之助
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この本は中高生対象の新書シリーズ・ちくまプリマー新書の一冊で、外国語に興味がある中学生・高校生を対象に言語学の基礎を紹介するための本です。実際、ことばに興味がある人なら立ち止まって考えてみたくなるような言語学的なトピックがたくさん紹介されています。

そして、この本の特徴は著者の教え子である大学生の声(レポート)がたくさんのっていること。例えば、カンボジア語やウルドゥー語を専攻する学生が、自分の専攻言語について自分の言葉で様々な視点から語っています。これがとてもおもしろい。

ポルトガル語専攻の学生が[ç]の発音について巧みな比喩で説明したり、ラオス語専攻の学生が自作の辞書について語ったりする、そのこだわりや熱い語り口に共感してしまうのです。

外国語は英語だけじゃないよなと思っている学生さんや、少数言語(この言い方は好きではないですが)を学んでみたいと思っている人にはおすすめの一冊です。

また多言語学習を支持する本ではいわゆる「英語帝国主義」に対する批判がなされることも多いのですが、著者の英語に対するスタンスは非常にクールです。少々長いですが引用してみます。

世間では過剰なまでに重要視され、学校では試験や成績と関係してくる英語。外国語にはいろいろ興味があるけれど、この英語だけはどうも好きになれない。そういう人もいるだろう。

だが、英語を嫌ってはいけない。

冷静になってほしい。あなたが嫌いなのは、英語ができないと人生真っ暗のように脅迫する教師や、ちょっとばかり英語ができるだけで妙に威張るクラスメートではないか。・・・(中略)・・・

大切なのは、英語で必要な情報が得られることである。本でも辞書でも、あるいはインターネットでもいいけれど、英語を読んで理解する実力がほしい。

P182

このくだりを読んで、そうそう確かに英語自体は何も悪くないのだ、と思いました。

現代の日本における英語の位置付けはどこかいびつなものではあるけれど、それは英語自体とは何の関係もないことです。一介の言語好きとしては、英語も他の言語と同じように愛すべき対象であり、英語ができればそこから他言語へのアクセスも格段に便利になるということもまた事実。過度に英語一極主義になったり、アンチグローバリズムを英語批判に結びつけたりすることなく、このように冷静なスタンスでいたいものだと思い直したのでした。

『あたらしい書斎』いしたにまさき著

Study

いしたにまさきさんの「あたらしい書斎」という本を読みました。

書斎という響きには昔からあこがれがあります。本好きなら一度は理想の書斎について考えたことがあるのではないでしょうか。

本書は単に書斎の外観やデザインを取り上げるだけではなく、そこでの知的生産のあり方をさまざまな視点から論じています。

いしたにさんによると書斎に必要な機能は3点。

  • 「こもる」ための空間
  • 集中の「スイッチを入れる」ための装置
  • 学びや思索の「質を高める」ための本と本棚

書斎というと贅沢なイメージもありますが、著者は明治時代に建てられた「一畳敷」という書斎に習って、リビングの片隅に一畳の書斎スペースを作る方法も紹介しています。

実際、見た目ばかり立派な書斎を作っても、それを何にどう役立てるのかという視点がなければ、宝の持ち腐れになってしまうことでしょう。

この本でおもしろいと思ったのは、第3章の「開かれた書斎」というコンセプトです。

書斎というのは、歴史的に見れば、周囲から隔絶して自分一人の世界に没頭するための空間でした。しかし現代の書斎では、机の中心にあるのはおそらくPCであり、インターネットによってどこまでも外部につながっています。

そのため書斎を拠点として、ソーシャルメディアやクラウドツールを活用するということも、現代の書斎を考える上では必要な視点となってきます。

またこの章では、ブログでアウトプットをすることにより、様々な情報交換を行い、人とのつながりをつくるメリットにも触れられています。著者によると、ブログを初めても記事の数が300〜500くらいになるまでは、準備期間だと思って地道に活動するのがよいとのこと。

 

そしてこの本の最後に紹介されているのが「三鷹天命反転住宅」という聞き慣れない名前の建築物です。

三鷹天命反転住宅

これは美術家の荒川修作さんと、そのパートナーのマドリン・ギンズさんという方が設計した共同住宅で、ゲストルームにショートステイをすることもできるようです。

ウェブサイトを見てもらうとわかりますが、たいへんカラフルな色彩と刺激的なデザイン(球形の部屋があったりする)で、こんなところで暮らしたらどんな感じだろう?と思ってしまいます。

この本を読み終わって、自分の日常空間のデザインをもっときちんとしてみたいという欲求が湧いてきました。まずは机回りの見直しくらいから始めたいと思います。

 

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『スフィンクスか、ロボットか』レーナ・クルーン著

フィンランド語のクラスで先生がすすめてくれたレーナ・クルーン著「スフィンクスか、ロボットか」という本を読みました。

スフィンクスか、ロボットか (はじめて出逢う世界のおはなし)

一冊の中に「スフィンクスか、ロボットか」「太陽の子どもたち」「明かりのもとで」という3編が収録されています。

表題作「スフィンクスか、ロボットか」はリディアという女の子が、ちょっと風変わりなお父さんやスレヴィという友達とこの世界の成り立ちについて様々な対話をしながら進んで行く、SF的・哲学的(?)な物語。

いやSF的とか哲学的という言葉を使ったものの、正直に言ってどんな形容詞がふさわしいのかよくわからない不思議な小説です。

物語の中には、かきまぜていると渦巻きが発生して飲み込まれてしまうスープや、庭ごと空中に浮かび上がる家など、奇想天外なエピソードがたくさん出てきます。

「太陽の子どもたち」では、スミレという女の子が、花屋のお使いで様々な人たちに花を届けます。その過程でかいま見る大人の世界を子どもの視点から描いています。

「明かりのもとで」は、ルスという女の子を中心に小さな村の暮らしを描いています。子どもたちは学校でクラスメイトの病気を通して人の生死を学んだり、45年後の2,000年を想像しながら未来の夢を語ったり。

3編を通して強く印象に残るのは子どもたちのまなざしです。私たちが、子どもの頃どういう風にこの世界を見ていたのか、深く眠っていた記憶をこれらの物語が呼び起こしてくれるようです。

そして当たり前のように受け取っているこの世界の現実を、もっと豊かなものとして受け取るためのきっかけを与えてくれます。どこかなつかしい場所に連れて行ってくれるこの小説、おすすめです。

 

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