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言語を比較する

雪片と粉雪

気がつけば2018年もあとわずか。

毎年、この時期に聴きたくなる曲の一つにパルムグレンの「粉雪」があります。

「粉雪」の英題は snowflakes。

ただ改めて考えてみると、snowflake は「雪片(雪のひとひら)」という意味ですし、粉雪は「こまかな雪」という意味。似ているようで別のものだということに気が付きます。

粉雪の英訳としては、powdery snow, fine snow のような表現が一般的でしょうか。

では、そんな「雪片」と「粉雪」はフィンランド語で何と言うのでしょう?

調べてみると、こんな単語が見つかりました。

フィン
lumihiutale snowflake 雪片
puuterilumi powdery snow
fine snow
粉雪

 

lumihiutale の hiutale は「薄片」、puuterilumi の puuteri は「粉」の意味。

なおパルムグレンの「粉雪」のフィンランド語タイトルは英題の snowflakes と同じ lumihiutaleita となっているようです。

*lumihiutaleita は lumihiutale の複数分格の形

 

まとめ

フィンランド語の lumihiutale、英語の snowflake と日本語の粉雪は次のように意味が異なります。

フィン
lumihiutale snowflake 雪片
puuterilumi powdery snow
fine snow
粉雪

 

snowflakes という曲のタイトルから連想するのは、空から無数の雪のかけらが舞い落ちているイメージ。

それは粉雪かもしれないし、もっと大粒の雪かもしれません。

ただそのイメージを適切に写し取る日本語を見つけるのは案外難しいなとも思います。

机の上の本

いわゆる複数形のある言語を母語とする人が日本語を学ぶと、日本語に複数形の概念がないということにびっくりするようです。例えば、

「机の上に本があります」というフレーズを聞いて、日本語のネイティブは何冊の本を想像しているの?

というような質問をされたことがあります。

まあ一冊かなあ。。。と思いつつ、自信がなかったので Google 翻訳で英訳してみると、

机の上に本があります。
→ There is a book on the desk.

と変換されました。

ただ改めて考えてみると、英語のように複数形があったとしても結局わかるのはそのものが「1」か「2以上」かということ。

  • There is a book on the desk.
  • There are (some) books on the desk.

上の文で本は一冊に決まっていますが、下の文では本は三冊かもしれないし五冊かもしれません。そういう意味では、

There are (some) books on the desk. というフレーズを聞いて、英語のネイティブは何冊の本を想像しているの?

という逆質問も成り立つのではないでしょうか。

結局、日本語を母語とする人は「複数形なんてなぜあるの?」と言い続けるでしょうし、複数形のある言語を母語とする人は「なぜ複数形がないの?」言い続けることになるのでしょう。

いつの日か、この両者がわかり合える日は訪れるのでしょうか?

りんごとメロン

今日11月5日は「いいりんごの日」。

りんごは一年中スーパーにあるので、これまであまり旬を意識することがありませんでした。

ただ調べてみると今の時期がまさに旬のよう。

それなら「いいりんごの日」というちょっと無理のある語呂も許してあげたくなります。

今回はそんなりんごを世界の言葉で何というのか『13か国語でわかるネーミング辞典』 で調べてみました。

アップル apple
ポム pomme
アップㇷェル Apfel
メーラ mela
西 マンサーナ manzana
マッサ maça
アッポル appel
マールム malum
メーロン μηλον
ヤーブラカ яблоко
ピングオ 苹果
サグァ 사과
トゥッファーハ تفاح

 

ヨーロッパの言語では、英語の apple に音や綴りが似ているものが多いですが、スペイン語のマンサーナ(manzana)のように全く異なるものもあります。

そしておもしろいのはギリシア語のメーロン(μηλον)でしょうか。

メロン?

イタリア語のメーラ(mela)とラテン語のマールム(malum)も何となくメロン寄りな感じ。

このあたり、りんごとメロンの間には何か隠された関係があるのでしょうか?

 

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ファルファッレと世界の蝶

このところ料理によく使っているのが蝶ネクタイの形をしたパスタ、ファルファッレ(farfalle)。

この farfalle というのはイタリア語で「蝶」の意味なのだそう。

ファンファーレ(fanfare)によく似ているせいかもしれませんが、最初に聞いたときには華やかな響きの単語だなあと感じました。

英語は butterfly、イタリア語は farfalle となると、他の言語では蝶のことを何と言うのでしょう?

手元の『13か国語でわかる 新・ネーミング辞典』で調べてみました。

バタフライ butterfly
パピヨン papillon
シュメッターリング Schmetterling
ファルファッラ farfalla
西 マリポッサ mariposa
ボルボレッタ borboleta
フリンダラ vlinder
パーピリオー papilio
プシューケー ψυχή
バーバチカ бабочка
フーディエ 蝴蝶
ナビ 나비
ファラーシャ فراشة

 

これによるとイタリア語の蝶はファルファッラ(falfalla)となっています。

調べてみると、パスタの名前になっているファルファッレ(farfalle)はこの複数形であるとのこと。

それにしてもドイツ語のシュメッターリング、スペイン語のマリポッサ、ポルトガル語のボルボレッタなど、イタリア語のファルファッラに負けず劣らずカラフルな音の蝶が世界各国にいるものだなあと思います。

あの浮世離れしたような不思議な存在に、昔の人々は精一杯の素敵な音を当てようとしたのでしょうか?

 

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ここから富士山は見えない

今日は昨日のエントリーの続き。というかスピンオフのような内容です。

ここから富士山が見える

昨日取り上げた例文とその否定形について考えてみましょう。

Täältä näkyy Fujivuori.(ここから富士山が見える。)
Täältä ei näy Fujivuori.(ここから富士山は見えない。)

今日注目したいのはフィンランド語ではなく日本語訳の方。

特に意識して使い分けた訳ではないのですが、肯定文は「富士山が」と訳したのに対して、否定文は「富士山は」と訳しました。

この「が」と「は」を入れ替えるとどのようになるでしょう?

ここから富士山は見える。

もちろん日本語としては間違っていません。ただここには、例えば「本当は他の山が見たかったのにその山は見えず、代わりに富士山なら見える」というようなニュアンスが含まれるような気がします。

ここから富士山が見えない。

おそらく日本語ネイティブならこの文に微妙な違和感があることに同意してもらえると思います。しかしこの違和感の理由を論理的に説明するのが難しい。。。とにかく何かが微妙にずれているのです。

少なくともフィンランド語と英語においては、このような使い分けを考える必要はありません。

フィン Täältä näkyy Fujivuori.
Täältä ei näy Fujivuori.
We can see Mt. Fuji from here.
We cannot see Mt. Fuji from here.
ここから富士山が見える。
ここから富士山は見えない。

 

日本語を外国語として学んでいるフィンランド語ネイティブ・英語ネイティブに、

どうして「ここから富士山は見える」「ここから富士山が見えない」は不自然なの?

と聞かれたらどのように説明するべきでしょうか?

ここから富士山が見える

先日、フィンランド語教室で次のような例文を扱いました。

Täältä näkyy Fujivuori.(ここから富士山が見える。)

näkyy は「見える」を意味する動詞 näkyä の三人称単数形。

この文を見たとき、ふと思ったのは、

同じ意味を英語で表すとしたらどのような文になるだろう?

ということ。

試しに Google 翻訳で英訳すると次のようになりました。

Täältä näkyy Fujivuori.
→ Here is Fujivuori.

。。。伝えている内容は同じですが、力技という感じ?

また日本語を Google 翻訳で英訳すると次のようになりました。

ここから富士山が見える。
→ Fuji can be seen from here.

なるほど。受動態を使うという方法がありました。

ただこれも間違いではないのでしょうが、おそらく、

We can see Mt. Fuji from here.
You can see Mt. Fuji from here.

のように主語を置いた形の方が英語としては自然なのかなとも思います。

一方、日本語ではこの we や you を訳出すると極めて不自然な文になってしまいます。

△ 私たちはここから富士山が見える。
△ あなたはここから富士山が見える。

ただ本来「富士山が見える」という状況は富士山とそれを見ている人を抜きには成立しません。

ならばその人を明示するべきと考える英語と、あくまで富士山を主役に人は背景に溶け込むフィンランド語と日本語。

改めて比べてみると面白い対比だなと思います。

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