サハリン・ウラジオストク旅行記(2)− ユジノサハリンスク街歩き前編
今日は一日ユジノサハリンスク市内を回ります。
まずはホテルに併設されたレストランで朝食。
バイキング形式だったので、つい満腹になるまで食べてしまいました。
コミュニスト大通り
ホテルを出て、市街の中心を東西に伸びるコミュニスト大通り(Коммунистический проспект)を西へ歩いていきます。
こんな感じの広々とした大通り。車は右側通行です。
これはサハリン州政府庁舎(だったはず)。
歩いていくと、左手に目立つ建物が。
赤いので郵便局かな?と思ったら、映画館のようです。октябрь を辞書で引くとこのように出ていました。
октя́брь
[アクチャーブリ]〔October〕
- 10月
- Октя́брь 十月革命(1917年);その記念日(新暦11月7日)
「プログレッシブ ロシア語辞典」
十月革命にちなんで赤い建物なのでしょうか?
レーニン像
さらに歩いて行くと駅前広場のような場所に出ました。
ここで巨大なレーニン像がお出迎え。
その奥には駅のような建物が見えます。
建物に書いてある вокза́л は何の意味だろう?と思って調べてみました。
вокза́л
[ヴァグザール]〔station〕
(鉄道、バス、飛行機の)ターミナル、中央駅(⇔ста́нция)…
「プログレッシブ ロシア語辞典」
そのままの意味でした。
また広場の中でこんなモニュメントを発見。по́мним も気になったので調べてみました。
по́мнить
[ポームニチ]〔remember〕
…を覚えている、記憶している、忘れない
「プログレッシブ ロシア語辞典」
さきほどのモニュメントに書いてあった по́мним はこの по́мнить の一人称複数形のよう。つまり「私たちは忘れない」という意味になります。
忘れないというのはいったい何を忘れないのでしょう?
モニュメントの脇にはこんな説明文がありました。
意味はわかりませんが、1995年5月28日という日付が書いてあるので検索してみると、この日にサハリン北部で大地震が起こり、ネフチェゴルスクという町が壊滅したとの情報が見つかりました。これは地震の犠牲者を慰霊するモニュメントだったんですね。しばし黙祷。
レーニン通り
駅前広場から市街の中心を南北に伸びるレーニン通り(улица Ленина)を南へ歩いていきます。
通り沿いにあるテフニカ市場(Техник)へ立ち寄ってみました。
野菜、果物、肉、魚。何でも揃うユジノサハリンスク市民の台所という感じでしょうか。
敷地はかなり広く、多くの露店と建物内の店舗から構成されています。
駐車場の片隅でこんなトラックを発見。
ユジノサハリンスク市内を走っている車の多くは日本車ですし、こんな風に日本語が書かれたままの商用車も多く見かけました。日本と地理的に近い場所であるということを再認識することに。
またレーニン通りではロシア国旗と同じ白、青、赤の三色に塗られた建物を多く見かけました。
ウォーターボトルのガス問題
レーニン通りのスーパーマーケットに立ち寄って、食料と飲み物を調達することにしました。
ウォーターボトルはうっかりガス入りのものを選ばないようパッケージを吟味。
店員さんに聞けば済む話なのですが、ここは何とかラベルの文字を頼りに見極めたいところ。
水色のキャップのボトルには негазированная、青のキャップのボトルには газированная と書いてあります。このブランドに限らず、
- 水色 = негазированная
- 青 = газированная
という割り振りは全ブランド共通のよう。
ロシア語の не が否定の意味であることは知っていたので、негазированная がガスなしに違いないと判断。スーパーを出てから恐る恐る飲んでみると当たりでした!
旭川通り?
買い物を済ませた後、レーニン通りの一本東側にあるアムールスカヤ通り(Амурская улица)を通って中心部へ戻ります。
その途中でこんな看板のある公園を発見。
旭川通りと書いてあります。日本統治時代の名残なのでしょうか?
穏やかで雰囲気の良い公園です。
ところでユジノサハリンスクの市街を歩いていると、やたらとこの看板を見かけます。
何か重要な意味があるに違いない!と思って調べてみました。
сто́п
[ストープ]〔stop〕
間 ストップ、止まれ、止めろ;やめろ、たくさんだ
…
「プログレッシブ ロシア語辞典」
何のことはない単なるストップサインでした。
たしかに сто́п はラテン文字に転写すると stop になります。思い当たらなかったのは残念。。。
そろそろ歩き疲れたので、コミュニスト大通りにあるカフェで休憩することに。続きは明日のエントリーにて。