maŋkət kuri?(どこから来たの?)
白水社の語学入門書ニューエクスプレスシリーズの中のマニアックな一冊『日本語の隣人たちⅡ』では、ロシアのカムチャッカ半島北部で話されているアリュートル語という言葉を扱っています。
そのスキットの冒頭部分はこんな感じ。
mititta: mej jatti! nukarija: an!
mitutta: maŋkət kuri?
nukarija: wajənu=qun nutaŋ tətkurək.
tənunuɣilik / təvənʔənalək / təɣunanalək.ミティッタ:いらっしゃい ヌカリヤ:うん。
ミティッタ:どこから来たの?
ヌカリヤ:ツンドラに行ってきたよ。
ヤナギラン/ベリー/ハイマツの実を採りに行ってきたよ。
『日本語の隣人たちⅡ』P.37
この中の maŋkət kuri?(どこから来たの?)という三行目のフレーズに関して、次のような説明が出ていました。
アリュートル語で挨拶の表現としてよく使われるのは maŋkət kuri?[マンクト クーリ]「どこから来たの?」です。聞かれたほうは「川に(魚釣りに)行ってきた」「店に(買い物に)行ってきた」などのように、出かけた場所を答えます。
『日本語の隣人たちⅡ』P.38
「どこから来たの?」というのは挨拶の表現だったんですね。
改めて考えてみると、これはとてもユニークな挨拶。
私たちの生活を振り返ってみたときに、顔を合わせた人に「どこから来たの?」と聞けるような場面というのはどれくらいあるでしょうか?
朝、職場で顔を合わせた同僚に「どこから来たの?」と聞くのはおかしいですし、仕事の後に会った友人に「どこから来たの?」と聞くのもおかしな感じがします。
あえて言うなら、週末の夜に会った友人に「どこから来たの?(=今日はどこへ行っていたの?)」と聞くのはありかもしれません。
つまりこれって月曜から金曜まで毎日違うところへ行って、違うことをするような暮らしをしていない限り、成立しない挨拶なのではないでしょうか?
たった一つの挨拶の中から、知らない人たちの暮らしが見えてくるようでおもしろいですし、毎日同じ職場に行くというルーティーンの中にいる自分のような人間にとっては、とても魅力的な世界に映ります。
白水社
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