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日本語

疲労困憊

photo credit: Hangover via photopin (license)

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このところ仕事が忙しかったこともあり、今日は久しぶりに体の芯から疲労困憊という感じ。

しかも朝から高熱を出してしまい、解熱剤を飲んでベッドに臥せっていました。

ところでこの疲労困憊の「困憊」とはいったい何を意味しているのでしょう?

何となく気になったので、ベッドで辞書を引いてみました。

こんぱい【困憊】

〔「困」は疲れる、「憊」は疲れきる意〕何をする気力も無いほど疲れきること。「疲労ー(する)」

「新明解国語辞典 第七版」

新明解によると、困憊の「困」は疲れる、「憊」は疲れきるという意味であるとのこと。

この「憊」という字は「備える心」と書きますが、なぜこれが疲れるの意味になるのでしょう?

周囲の人に気を遣いすぎて気疲れするということでしょうか? もしそうだとすれば、疲労困憊というのはいかにも現代人らしい表現なのかもしれないなとも思います。

またこの困憊という単語を疲労困憊以外の組み合わせで使うことはあるのだろうか?と思い、用例を探してみたのですが見つけられず。この疲労困憊から抜け出したら改めて探してみたいと思います。

 
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「ございます」と「いらっしゃいます」

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外国語として日本語を学んでいる人にとって、もっとも高い壁はおそらく漢字と敬語の使い方ではないでしょうか。

ただ考えてみれば、その二つというのは日本語のネイティブスピーカーにとっても簡単なものではありません。

先日、敬語のチェックテストを解いていて迷ってしまったのが、相手の名前を確認するときの次のような言い方。

「田中様でございますね」
「田中様でいらっしゃいますね」

どちらが正しいかわかりますか?

??

??

??

正解はこちら。

×「田中様でございますね」
◯「田中様でいらっしゃいますね」

「ございます」というのは「です」の丁寧語で、相手に対する敬意は含まないので、この場合は尊敬語である「いらっしゃいます」を使うのが正解。

ただこれまでの自分の言動を振り返ってみると「◯◯様でございますね」という表現をよく使っていたように思います。

言葉というのは習慣なので、一度身に付けてしまったものを変えるというのはなかなか難しいこと。

しかし職場に新人さんも入ってくる季節、今一度きちんとした敬語を使えるよう、そして教えられるよう我が身を振り返っていきたいと思います。

シャベルとショベル

photo credit: Power shovel via photopin (license)

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あの足を掛けて土を掘り起こす道具は「シャベル」なのでしょうか? それとも「ショベル」なのでしょうか?

まずは国語辞典を覗いてみましょう。

シャベル〔shovel〕

土砂や石炭などをすくったり穴を掘ったりするのに使う道具。ショベル。〔スコップと同義にも用いられる〕

「新明解国語辞典 第七版」

ショベル〔shovel〕

  1. シャベル
  2. 〔←shovel loader〕動力で土・砂などを(掘って)すくうための、バケットのついた土木工事用の機械。

「新明解国語辞典 第七版」

新明解ではシャベル=ショベルと定義しつつ、ショベルの方には「土木工事用の機械」という語義が付加されています。

これは工事現場などで見かけるあのショベルカー(油圧ショベル)のことですね。

そう言われてみれば、後ろに「カー」が付くとシャベルカーよりもショベルカーの方がしっくりくるような気もします。

いずれにしても、シャベル/ショベルというのはあくまで日本語表記の揺れの話であって、英語表記では shovel の一択。発音記号は次のようになります。

ʃˈʌv(ə)l

[ʌ]の音を考えると英語の発音はショベルよりシャベルに近いはず。

ただ日本語としてはどうなのか?と聞かれたときには、今のところシャベルとショベルの両方があると答えるよりほかないのかもしれません。

 
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「グルになる」の「グル」は何語なのか?

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あまりよい意味ではありませんが「グルになる」と言うときの「グル」というのは、いったいどこから来ているのでしょう?

第一感はグループのグルなのかな?と思いましたが、どうも違うようです。

グルはどちらかというとカタカナで書くことが多いので、外来語なのだろうと思っていました。

しかし調べてみると、この「グル」というのは純粋な日本語のよう。

ちなみに国語辞典にはカタカナの「グル」とひらがなの「ぐる」がのっています。

グル

ヒンズー教の導師。グルー。

「新明解国語辞典 第七版」

ぐる

仲間。「ーになる」

「新明解国語辞典 第七版」

「グルになる」の「グル」はもちろん後者ですから、本来はひらがな表記をするのが正しいのかもしれません。

なお語源由来辞典によると、この「ぐる」というのは着物の帯のこと。

車座になって悪巧みをする様子を帯のイメージに重ねているのでしょう。

その他にも「ぐる」の由来には諸説あるようですが、外来語ではなく純粋な日本語であることは間違いないようです。

それではなぜカタカナ表記をすることが多いのか?という疑問は残るものの、考えてみると日本語には「キノコ」や「ケータイ」のように外来語でなくてもカタカナ表記をする例はいくつかあります。

よって「グル」もそのような仲間の一つということになるのでしょうか。

 
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同事

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「どうじ」という音から、多くの人が真っ先に思い浮かべる漢字はおそらく「同時」だと思いますが、国語辞典をめくってみると同音異字の「同事」という単語も見つけることができます。

どうじ【同時】

  1. おなじ時間
  2. おなじ時代

「広辞苑 第五版」

どうじ【同事】

  1. 同じことがら。
  2. かわらないこと。同様。

「広辞苑 第五版」

この同事というのは仏教用語の一つで、道元禅師の『正法眼蔵』の中に次のような一節が出てきます。

同事というは、不違なり。自にも不違なり、他にも不違なり。

ここで言う「不違」というのは自分と他人の区別をしないということ。

例えば、あなたの周りにいる人が喜んでいるときには一緒に喜び、悲しんでいるときには一緒に悲しむ、そんな心の働きを想像してみてもよいでしょう。

とはいえ、言うは易く行うは難しで、実際にそんな境地に達するのはなかなか難しいこと。

それでも人との関わりの一つ一つをそんな境地へ近づくための行と捉えてみれば、そこから何か違った世界が見えてくるかもしれません。

 
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言語における水まわりの問題

この前のフィンランド語教室のときに、フィンランド人の先生が「日本語にはなぜ水とお湯があるの? 水は水なのに。。。」というようなお話をしていました。

今回はそんな水まわりの問題について考えてみたいと思います。

 

水とお湯の関係

フィンランド語・英語・日本語の「水」と「お湯」の関係を見てみると、次のようになります。

フィン
vesi water
kuuma vesi hot water お湯

 

フィンランド語・英語では「お湯」は「熱い水」という表現になるのに対して、日本語では「お湯」という別の単語を用います。

ただよくよく考えてみると、日本語においても水とお湯というのは対等の関係ではありません。

例えば「お湯は水なのか?」と聞かれたら、おそらく答えは Yes でしょうが、「水はお湯なのか?」と聞かれたら答えは No になるでしょう。

水とお湯という異なる単語を使っていても、水が総称であり、お湯はその一つの状態であるという点はフィンランド語・英語と同じ。

このあたりは言葉の表層だけを見ていると、なかなか気付きにくい点かもしれません。

 

水と氷の関係

フィンランド語や英語のネイティブスピーカーにとって、日本語の「水」と「お湯」という表現はやや奇妙に聞こえるのかもしれませんが、温度が低い方、すなわち「水」と「氷」の関係を見てみると、フィンランド語や英語においても、日本語同様に別の単語を用いていることがわかります。

フィン
vesi water
jää ice

 

こうして見ると、言語というのは結局「そうなっているから、そうなっている」としか言えない面もあるのでしょう。

理屈の上では「氷」を「冷たい水」と表す言語のネイティブスピーカーがやってきて「英語にはなぜ water と ice があるの? water は water なのに。。。」というような感想を漏らすこともあるかもしれません。

ここからさらに「ぬるま湯の場合はどうなのか?」などと考えを広げていくと、世界を言語によって切り取るという行為の無限の可能性に行き当たってしまうように思います。

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