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日本語

凸凹〆乄卜丫卅丗 − 変わった漢字を集めてみる

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きのうのエントリーで「卍」という漢字について取り上げました。

「卍」の正しい書き順とは? | Fragments

現在の日本で使われている漢字の中には、この「卍」のようにちょっと変わった雰囲気を持つものもあります。

今回はそんな漢字を集めてみました。

 

凸凹(でこぼこ)

この二つはいわゆる常用漢字。

どちらも一筆書きができますが、正しい書き順は次のとおり。

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〆、乄(しめ)

「〆」と「乄」は字体の異なる同じ文字。

左の部分がつながっているか、つながっていないかの違いです。

封書の口に「封がしてある」の意味で書いたり、「〆切」の「〆」に使ったりしますね。

 

卜(うらなう)

カタカナの「ト」に似ていますが、こちらはれっきとした漢字。

訓読みは「うらなう」、音読みは「ボク」。

ぼく【卜】

亀の甲を焼いて、そのひび割れで吉兆をうらなうこと。うらない。

『広辞苑 第五版』

「卜」は「卜部(うらべ)」などの名字にも使われています。

カタカナの「ト」に混ざってしまうと、すっかりカメレオン状態に。

トトトトトトトトトトトトトトト卜トトトト

 

丫(ふたまた、あげまき)

アルファベットの「Y」に似ていますが、こちらもれっきとした漢字。

木の枝分かれを表した象形文字です。

こちらも「Y」の中に混ぜてみましょう。

YYYY丫YYYYYYYYYYYYYYY

「Y」は香港の「南丫島(ラマとう)」という島の名前に使われています。

 

卅、丗(さんじゅう)

これは数字の30。10の倍数にはこんな漢数字が存在します。

十(10)
廾、廿(20)
卅、丗(30)
卌(40)

棒の数で十の位が示されているので、わかりやすいと言えばわかりやすいですよね。

「廿」は広島の「廿日市」に使われていますが、「卅、丗」はさすがに現役では使われていないでしょうか。

 

以上、今回はちょっと変わった漢字を集めてみました。

ほとんど使われなくなった文字もありますが、このまま消えてしまうのは惜しいもの。ぜひもう一花咲かせてほしいと思います。

「卍」の正しい書き順とは?

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お寺の地図記号は「卍」。

この卍は「まんじ」という漢字でもあります。

卍(まんじ)

1 インドのビシュヌ神の胸の旋毛を起源とする瑞兆の相。仏教に入り、仏の胸など体に現れた吉祥の印の表象となった。日本では、仏教や寺院の記号・紋章・標識として用いる。

2 紋所の名。1を図案化したもの。左まんじ・右まんじなど。

『デジタル大辞泉』

インド起源の「卍」は吉祥の印。

日本では谷崎潤一郎の小説を思い浮かべる人も多いかもしれません。

なお上記の語義にもあるとおり「まんじ」には左まんじと右まんじがあります。

  • 左まんじ → 卍
  • 右まんじ → 卐

ワープロソフトやブラウザ上で「まんじ」と入力したときに変換されるのは、いわゆる左まんじの方。

右まんじはナチスのハーケンクロイツが有名です。(右まんじが右に45°傾いている)

ところで、ふと思い立ってこの「卍」の書き順を調べてみたところ、思いもよらない書き順だったのでびっくり。

どのような書き順だと思いますか?

特に意識しなければ、左上から二画でぐしゃっと書いていた人も多いのではないでしょうか。(それを正しいと思っていたかどうかは別として。)

正解はこちら。

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なんと六画の漢字だったんですねー。これは複雑。

でも、このとおりに書けば、きれいに整ったバランスの良い「卍」を書けるような気がします。

そんな機会があるかどうかはまた別の話。

シマウマはシマのあるウマなのか?

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フィンランド語で「シマウマ」は seepra(セープラ)。

関係があるのかどうかはわかりませんが、英語の zebra にちょっと音が似ています。

なおフィンランド語で「ウマ」は hevonen(ヘヴォネン)なので、さきほどのシマウマとはあまり似ていません。

フィン
seepra zebra シマウマ
hevonen horse ウマ

 

こうして見ると、日本語では「ウマ」に縞を足して「シマウマ」になっていますが、フィンランド語と英語では全く独立した単語が用意されているということになります。

このことは「シマウマ」のアイデンティティ(?)を考える上で、かなり大きな意味を持っているのではないでしょうか。

日本語の母語話者は、シマウマを単に縞のあるウマであると考えがちだと思うんですね。

しかしフィンランド語や英語の母語話者は、シマウマをウマに似てはいるけれどもウマとは別の同格的存在であると考えるのではないかと。

ヒトは言葉という装置によって、この世の中に存在する事物や抽象概念を識別します。

例えば、この色。

000000000000

 

この色を light blue と呼ぶ人は、blue の一種であると認識するでしょうし、水色と呼ぶ人は、青とは独立した一つの色であると認識するのではないでしょうか。

この light blue/水色の関係は、シマウマ/zebra の関係にも当てはまると思います。

試しに英英辞書による zebra の定義を見てみましょう。

zebra

an African wild animal like a horse with black and white lines(=STRIPES)on its body

『Oxford Advanced Learner’s Dictionary』

zebra は horse の一種ではなく、horse のような動物と定義されています。

動物学的にはシマウマの立ち位置は一義的に定まるのかもしれませんが、言語的には揺らぎの中にある。そんなシマウマの気持ちはどんなものでしょうか?

『学問のすゝめ』の「ゝ」は何と呼ぶ?

Spyglass on a Map

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず

『学問のすゝめ』

福沢諭吉の『学問のすゝめ』は、明治維新直後の時代に300万冊以上が読まれたという当時の大ベストセラー。

当時の人口が3,000万人だったそうなので、10人に1人が読んだことになります。

さて、今回のエントリーは、そんな『学問のすゝめ』のおしまいから二文字目にある「ゝ」の文字について。

この文字はいったい何なのだろう?と気になったので調べてみました。

今ではすっかり使わなくなってしまったこの「ゝ」は、一の字点(いちのじてん)と呼ばれる踊り字の一種なのだとか。

おどりじ【踊り字】

同一の漢字または仮名を重ねることをあらわす符号。「〻」(二の字点)・「々」(同の字点)・「ゝ」(一の字点)・「〵〳」(くの字点)など。おくり字。かさね字。畳字。繰返し符号。

『広辞苑』

何だかいろいろと出てきました。

この中で一番馴染みがあるのは、やはり「々」の字でしょう。(同の字点という名前は知りませんでしたが。)

佐々木などの人名から、代々木などの地名まで、現在でも幅広く使われています。

同の字点「々」は漢字の繰り返しに使われるのに対して、一の字点「ゝ」はかなの繰り返しに使われます。

踊り字
ひらがな 清音 学問のすゝめ
ひらがな 濁音 いすゞ自動車
カタカナ 清音  ?
カタカナ 濁音  ?

*Wikipedia「踊り字」より

このほか、広辞苑の語義に出てきた二の字点「〻」、くの字点「〳〵」は縦書きの文章で用いる繰り返し符号。

そういえば、以前うちの祖母が使っているのを見たことがあります。

今ではあまり使われなくなってしまった繰返し符号ですが、こうして見返してみると味わいがあって、捨て去るには惜しいような気がします。

せめていくつかの固有名詞の中で生き続けてほしいですね。

「白、黒、赤、青」の共通点

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現在の日本語の語彙には色を表す言葉は百花繚乱。

「あずき色」「よもぎ色」のように自然界に由来するものや、「オレンジ」「ピンク」のような外来語まで、いったいいくつの色名があるのかもはや数えることは不可能でしょう。

しかし日本語固有のことば、いわゆる「大和言葉」において、色を表す言葉は「白、黒、赤、青」の4つしかなかったのだとか。

モノクロームの二色以外は、暖色系を赤、寒色系を青と呼んでいたんですね。

なお「白、黒、青、赤」には次のような文法上の共通点があります。

 

「〜い」を付けると形容詞になる

「白い、黒い、赤い、青い」とは言えますが、例えば「緑い」とは言えません。

ただし「色」を挟めば「黄色い、茶色い」と言うことができます。しかし同じ○色でも「水色い、灰色い」と言えないのは不思議なところ。

 

二つ重ねると畳語になる

畳語というのは「人々、山々」のように同じ文字を繰り返して作る単語のこと。

日本語では主に「々」の字を使って表しますが、色の場合はそのまま書くケースも多いようです。

しろじろ【白白】

めだって白いさま。

くろぐろ【黒黒】

はなはだ黒いさま。

あおあお【青青】

いちじるしく青いさま。一面に青いさま。

あかあか【赤赤】

まっかなさま。

『広辞苑』

ほかの色でこのような畳語を作ることはできるかな?と考えてみても、なかなか思い付きません。

「緑緑、黄黄」という表現もありそうですが、少なくとも広辞苑にはのっていませんでした。

唯一見つけたのはこちら。

きんきん【金金】

(江戸で明和・安永頃からの流行語)立派なさま。また、身なりを立派につくってすましたり得意になったりするさま。

ただしこれは色を表す単語ではないので、今回の趣旨とはやや異なります。

そんな訳で、古来の日本語に存在した4つの色名「白、黒、赤、青」は、現在の日本語でも文法上特別な位置を占めていると言えるでしょう。

あらゆる外国語を柔軟に取り込んでしまう日本語にも、このように後発の単語が決して入り込めない領域が存在しています。日本語にはこのような頑な一面もあるんですね。

「私が好きな人」と「ネコが好きな人」の違いとは?

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昨日のエントリーで、フィンランド語の目的語が文のタイプによってさまざまな形に変化するという話を書きました。

フィンランド語学習記 vol.171 − 命令文の目的語 | Fragments

フィンランド語の学習者にとっては、習得への高いハードルになっています。

その後、日本語はどうなのか?とあれこれ考えていたら、日本語には日本語なりの高いハードルがあるということに気付きました。

日本語では、目的語が格変化することはありませんが、その代わりさまざまな格助詞を使い分けます。

例えば、こんな文。

1)私はあなたが好きです。
2)私はあなたを愛しています。

どちらも普通の文ですが、二つの文の格助詞[が、を]を入れ替えると、とたんにおかしなことになってしまいます。

3)私はあなたを好きです。
4)私はあなたが愛しています。

3はやや不自然ですが、間違いとまでは言えないかもしれません。4は明らかにおかしいですね。

似た意味の動詞なのに、このように助詞を使い分けなければならないのは、なかなかやっかい。

日本語を学んでいる人に、

なぜ1の文では「が」を使い、2の文では「を」を使うのですか?
どうやって使い分けるのですか?
と聞かれたら、何と答えたらよいでしょう?

続いて別の例を。

次のフレーズから想像するのはどんな意味でしょう?

私が好きな人
ネコが好きな人

おそらく「私が好きな人」では「私が」を主語と解釈し、「ネコが好きな人」では「ネコが」を目的語と解釈するのではないかと思います。

わかりやすくするために文の中に入れてみましょう。

1)彼女は、私が好きな人を知っている。
2)ネコが好きな人に悪い人はいない。

この文をじーっと見つめてみれば、「私が」を目的語、「ネコが」を主語と解釈することも不可能ではありません。

[1のやや不自然な解釈]彼女は、「私のことを好きな人」を知っている。
[2のやや不自然な解釈]「ネコが好む人」に悪い人はいない。

しかし日本語ネイティヴなら第一感、「私が」を主語、「ネコが」を目的語と解釈するのが普通でしょう。

[1の自然な解釈]彼女は、「私が誰のことを好きか」を知っている。
[2の自然な解釈]「ネコを好む人」に悪い人はいない。

これもまた日本語を学んでいる人に、

なぜ1の文では「私が」が主語になり、2の文では「ネコが」が目的語になるのですか?
どうやって見極めるのですか?
と聞かれたら、何と答えたらよいでしょう?

日本語教師の人なら、すぱっとした説明ができるのかもしれませんが、到底思い付きません。実に深遠な世界だと思います。

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