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憐れみ給え、わが神よ − 映画『サクリファイス』より

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いつもと変わらない日常の風景。

スーパーに行けば、いつものように商品が並んでいたり、駅に行けば、いつものように電車が走っていたり。

そんな日常が成り立っているのは、この世界のどこかで自分の身を「犠牲」に供して、祈りを捧げている人がいるからではないか?

アンドレイ・タルコフスキー監督の『サクリファイス』という映画は、そんな世界観がモチーフになっています。

主人公の元舞台俳優アレクサンデルは無神論者。

しかし核戦争が勃発し、崩壊に直面する世界の中で、アレクサンデルは初めて「神」と真正面から対峙します。

「犠牲」と引き換えに、愛する人々を救ってほしいと祈りを捧げるアレクサンデル。

ここでいう「犠牲」というのは、具体的なあれこれというよりも、象徴的なものであり、映画全体を一つの寓話と見ることもできるでしょう。

そして想像力を働かせてみれば、この世界をそんな視点から捉えてみることも可能ではないでしょうか。

この映画の中で使われているのが、バッハの「マタイ受難曲」の第39曲、アリア「Erbarme dich, mein Gott(憐れみ給え、わが神よ)」です。

イエス・キリストの受難を題材としたマタイ受難曲において、この曲が扱うのは「ペテロの否認」と呼ばれる場面。

最後の晩餐の後、キリストは捕縛・連行され、使徒のペテロは「おまえもキリストの仲間か」と問われますが、恐怖のあまり「違う」と答えます。

再三の詰問を受けたペテロが三度否認した後、鶏の鳴き声が聞こえ、ペテロは涙を流します。

最後の晩餐の後、キリストはペテロに「あなたは鶏が鳴く前に三度、私を知らないというだろう」と予言していたのでした。

そんな人間の弱さに、さきほどの『サクリファイス』の世界観を重ねてこの曲を聴いてみると、また違った風景が見えてくるようにも思います。

Carpe diem(その日を摘め)

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ついに2015年のスタート!

。。。と思ったら、あっという間に1月6日。

今年も残すところ359日となりました。

そんな言い方は大げさだとしても、気が付けば桜が咲き、花火が上がり、鈴虫が鳴いて、また年末を迎えるのだと思います。

2015年は一日一日を丁寧に生きたいという気持ちが強いです。

ではどんなことができたら、その日一日を丁寧に生きたことになるのか?と考えてみると、

  • どんなに小さいことでもよいので、一つは新しいことをやってみる
  • 自分の気持ちをきちんと把握する
  • 身の回りの人にやさしい気持ちを送る

ささやかなことですが、これがなかなか難しい。

さて、表題の Carpe diem[カルペ・ディエム]というのは、古代ローマの詩人ホラティウスの『詩集』の中の一節。

どうなるかわからない未来のことで思い悩むよりも、まずは目の前の一日をしっかりと生きようという意味が込められています。

carpe というのは「摘む」を意味する動詞 carpo の命令形。

当然その目的語には「花」や「花の名前」を連想するところですが、ホラティウスはそこに「日」を意味する dies(対格=diem)という単語を置きました。

限りある一日を花にたとえてその一日を摘み取る。わずか二語の中に豊かなイメージが広がっています。

 

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一刹那の長さとは?

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せつなしゅぎ【刹那主義】

過去や将来を考えず、ただこの瞬間を充実すれば足りるとする考え方

「広辞苑 第五版」

なかなかに充実感を持ちづらい今の世の中。ドラッグのような一時の快楽に堕ちてしまった人のニュースも珍しくありません。

刹那主義の刹那というのは、短い時間という意味ですが、それはいったいどのくらいの時間を指すのでしょう?

せつな【刹那】

…極めて短い時間。一説に、一弾指(指ではじく短い時間)の間に65刹那あるという。…

「広辞苑 第五版」

短い!

これではお酒一杯を飲むことすらできません!

この他、日本語の刹那という単語には小数の単位としての用法もあります。

10分の1を表す「分」、100分の1を表す「厘」あたりは馴染みのあるところでしょうが、その下の単位をずっと見ていくと。。。

100 一(いち)
10-1 分(ぶ)
10-2 厘(りん)
10-3 毛(もう)
10-4 糸(し)
10-5 忽(こつ)
10-6 微(び)
10-7 繊(せん)
10-8 沙(しゃ)
10-9 塵(じん)
10-10 埃(あい)
10-11 渺(びょう)
10-12 漠(ばく)
10-13 模糊(もこ)
10-14 逡巡(しゅんじゅん)
10-15 須臾(しゅゆ)
10-16 瞬息(しゅんそく)
10-17 弾指(だんし)
10-18 刹那(せつな)
10-19 六徳(りっとく)
10-20 虚空(こくう)
10-21 清浄(しょうじょう)
10-22 阿頼耶(あらや)
10-23 阿摩羅(あまら)
10-24 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)

 

見つけましたか?

10のマイナス18乗が刹那となっています。

よって一刹那の長さは1000000000000000000分の1(=0.000000000000000001)ということに。

想像もできないくらい小さな単位ですが、宇宙の生成や滅亡といったスケールから人の一生を覗いてみれば、それこそほんの一刹那なのかもしれません。

アゲハチョウの寿命は約3週間。人の寿命は約80年。

それでは、アゲハチョウは人よりもその一生を短く感じているのか?と言えば、案外そんなことはないのかも。

アゲハチョウはアゲハチョウなりに、人は人なりに「それぞれの時間を生き切った」という感覚があるのではないかと想像します。

労いのすすめ

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ねぎらう【労う・犒う】

その人の骨折りに対して、ご苦労だという気持を何らかの行為で示す。「労をー」

「新明解国語辞典 第七版」

もしも最近、職場の雰囲気がちょっとぎすぎすしているなと思ったら、労いの気持ちが不足しているのかもしれません。

冬の朝に白い息を吐きながら出勤して来た人には「寒かったでしょう」。

忙しくてお昼に出るのが遅れた人には「お腹が空いたでしょう」。

残業をしてため息を付いている人には「疲れたでしょう」。

書き出してみると、どれも当たり前の言葉なのですが、こういう言葉の使い方というのは今の日本社会から急速に失われているようにも思います。

自分は労いの言葉くらいかけるよ!と言う人も、よくよく振り返ってみると、

「お疲れー」

くらいで終わっていませんか?

相手の気持ちにきちんと降りていくというのは、案外難しいことですよね。

ある一日、もしも世界中の人がみな一言、身の回りの人に本当の労いの言葉をかけたなら、それだけで地球上のさまざまな紛争が解決に向かうのではないか。そんな幻想すら抱きます。

そんな「労う」は英語で何と言うのだろう?と思い、Google翻訳で英訳してみたものの結果は次のとおり。

  • ねぎらう → Negirau
  • 労う → Negirau

たしかに「労う」に当たる英単語というのは、考えてみてもなかなか思い付きません。

実際、日本語の「労う」という動詞の持つ意味を端から端まで日本語を解さない人に伝えようと思ったら、かなりの言葉を費やさなければならないでしょう。

そういう意味で「労う」というのは実に日本語らしい日本語なのだと思います。

せっかくこんな素晴らしい動詞を持っているのだから、身の回りの人にしっかりと労いの気持ちを伝えていきたいものですね。

 
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ネコと王様

photo credit: Picture Zealot via photopin cc

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飛田茂雄さんの『探検する英和辞典』を読んでいたら、cat の項目に面白い表現がのっていました。

A cat may[can]look at a king.

ネコは(恐れ入る気配などまるでなく)平気で王様を見ることができる

『探検する英和辞典』より

解説によると、これで「あんたには負けないよ、こっちにも意地ってものがある」という意味になるのだそう。

ここでの cat は身分の高くない人の象徴。

身分にかかわらず、生きとし生けるものはみな平等であるという信条を表しています。

数ある動物の中からなぜネコが選ばれたのかはわかりませんが、権力と対峙する一匹狼、もとい一匹猫の心意気を感じることができる表現ですね。

また『探検する英和辞典』によると、この表現には次のようなバリエーションもあるのだとか。

A cat can laugh at a king.

A cat may shake hands with a king.

『探検する英和辞典』より

王様の方も、ネコに見られるだけでなく、笑われたり、握手を求められたり(?)とずいぶん振り回されています。

何だか王様に同情を感じてしまうのは私だけでしょうか?

 

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『グレープフルーツ・ジュース』オノ・ヨーコ

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世界中のすべての時計を二秒ずつ早めなさい。

誰にも気づかれないように。

(Make all the clocks in the world fast by two seconds without letting anyone know about it.)

オノ・ヨーコ『グレープフルーツ・ジュース』より

久しぶりに、オノ・ヨーコさんの『グレープフルーツ・ジュース』という詩集を読み返しました。

この詩集の初版はオノ・ヨーコさんが、まだジョン・レノンと出会う前の1964年に出版したもの。

手元にあるのは、その初版を編集し、さまざまな写真家によるモノクロームの写真を添えた1993年の再発版。

冒頭に紹介した一節のように、全てが命令形で書かれたこの詩集はジョン・レノンの「イマジン」のインスピレーションの源となりました。

思い返してみると、最初にこの詩集に出会ったのは高校生の頃。

あの頃、この本を読みながらどんなことを考えていたのか、思い出そうとしてみるものの全く思い出せません。

今、改めて読んでみると、すっと通り過ぎるページとはっと立ち止まるページがあって、そういった感受性というのは年とともに変化しているのだろうと思いました。

はっと立ち止まるページというのは、この世界の新しい見方を教えてくれるものであったり、何か新しいことをやってみようという気持ちを後押ししてくれるものであったり。

いずれにしても、新しい年の初めに読むのにふさわしい一冊なのかなと思います。

立ちつくしなさい。

夕暮れの光の中に。

あなたが透明になってしまうまで。

じゃなければ

あなたが眠りに落ちてしまうまで。

(Stand in the evening light until you become transparent or until you fall asleep.)

 

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