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先生と後生

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「先生」の対義語は何でしょう?

と聞かれたら、おそらく普通の答えは「生徒」でしょう。

しかしちょっとひねって答えると「後生(こうせい)」という言葉もあります。

先生というのは、もともと読んで字の如く「先に生まれた人」の意味。そこから派生して「教師」の意味になりました。

一方の後生というのは「後に生まれた人」の意味。

日常会話で使うことはなかなかありませんが、論語の有名な一節に次のようなものがあります。

後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。

【原文】後生可畏也、焉知來者之不如今也

【一般的な和訳】 後輩はおそれるべきだ。将来の彼らが今の私に及ばないなどと、どうしてわかるものか。

【意訳】 全員が同意しただけで、それが真実だということにはならない。

Don’t make light of younger coworkers. They may get ahead of you sooner or later.

『英語で論語』より

考えてみると、この言葉の本当の意味が分かるようになってきたのはここ数年のことかもしれません。

後輩を見ていて「いつかはこの人に追い抜かれるのだろう」という感覚。

いや全然そんな気持ちになったことはない、という人はまだまだ若いのだと思います。

逆にしみじみとそれを感じるようなら、いつの間にか人生のステージを一つ上がったということなのかもしれません。

 

英語で論語
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仝(どう)

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iPhoneで「々」という字を入力しようとしたら「仝」という字が変換候補に出てきました。

一瞬、全体の「全」かと思いましたが、よく見ると「王」の部分が「工」になっています。

この文字は何だろう?と思って『漢字源』を調べてみたものの、のっていません。

次に Wikipedia を見てみると、こんな説明がのっていました。

仝(どう)は文字のひとつであり、特殊な漢字である。「同」の「古字」とされる。一般に、繰り返しを表す記号として用いられ「同上記号」という。

Wikipedia「仝」より

日常最も使われている繰り返し符号は、おそらく「々」でしょう。

しかし「々」が漢字ではないのに対して、「仝」はれっきとした漢字。

これらの文字の成り立ちについては「同→仝→々」と変化したという説もあるようです。

繰り返し符号には、この他にも「〻」(二の字点)、「ゝ」(一の字点)、「〵〳」(くの字点)など、さまざまな文字が存在します。

ただ「仝」という文字は見たことがなかったので、ちょっと新鮮な感じでした。

ところでこの文字が実際に使われている例はあるのでしょうか?

調べてみると、一つは人名で、例えば中国唐代の詩人に盧仝(ろどう)という人がいたとのこと。

もう一つは堅めの書類などで、「同上」を「仝上」と書くことがあるのだとか。

書類を読んでいて突然「仝上」という文字が出てきたら、一瞬「??」と思ってしまいそうですね。

フィンランド語学習記 vol.288 − いつものこと

フィンランド語で「慣れる」は tottua(トットゥア)。

後ろに動詞の第3不定詞入格[-mAAn]を伴うと、「いつも〜する」という意味になります。

フィンランド語教室で使っているテキスト『suomea suomeksi』には次のような文が出てきました。

Minä olen aina tottunut polttamaan yhden savukkeen kahvin jälkeen.
(私はコーヒーの後にいつもタバコを一本吸います。)

polttaa は「(タバコ)を吸う」の意味なので、tottua polttamaan で「いつも(タバコ)を吸う」の意味に。

*例文では tottua が olen tottunut と現在完了形になっています。

フィンランド語の語法書『Tarkista Tästä』を調べてみると、この形も出ていました。

TOTTUA(verbi, intransit)

tottua + V -mAAn Olen tottunut nousemaan joka aamu kello 6.
Totuin polttamaan tupakkaa armeijassa

 

『Tarkista Tästä』P.137

例文を自分なりに訳してみると、次のように。

Olen tottunut nousemaan joka aamu kello 6.(私は毎朝いつも6時に起きます。)
Totuin polttamaan tupakkaa armeijassa.(私は軍隊ではいつもタバコを吸っていました。)

冒頭の例文に続いて、再びタバコの例文が出てきました。

フィンランドでは、習慣と言ったらタバコなのでしょうか? おそらくそんなことはないはずですが。。。

フィンランド語学習記 vol.287 − vieras

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先日のフィンランド語教室で vieras という単語を習いました。

vieras は形容詞として使うと「知らない」という意味に。

こんな表現もあります。

フィン
kieli 言語
vieras kieli 外国語

 

vieras kieli(知らない言語)で「外国語」の意味になります。

あるいはこんな表現も。

フィン
maa
vierasmaalainen 外国人

 

vierasmaalainen(知らない国の人)で「外国人」の意味になります。

この vieras は名詞として使うと「お客さん」という意味に。

先日習った様格[-nA]の形にすると、こんな使い方もできるとのこと。

Minulla on suomalainen ystävä vieraana.(ウチにお客さんとしてフィンランド人の友達がいます。)
[主格]vieras(お客さん)
[様格]vieraana(お客さんとして)

vieraana 一語で、単にフィンランド人の友達がいるということだけではなく、今まさにお客さんとしてお迎えしているというニュアンスが出せるんですね。

なかなか便利な表現だと思います!

コテンパン

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どこかで聞いて、最近すっかり頭から離れなくなってしまったのが、町あかりさんの「コテンパン」という曲。

サビの「コテンパーン、コテンパーン」の部分を聞いていると、コテンパンというのも面白い日本語の一つだということに気が付きます。

こてんぱん

論争などで徹底的にやり込めるさま。「ーに批判される」

「広辞苑 第五版」

この「こてんぱん」の語源はいったい何なのでしょう?

もしかしたら、パン・カステラ・コンペイトウなどと同じポルトガル語なのでは?と推測したものの、調べてみるとハズレでした。

「こてんぱん」は新明解を引くと、類語の「こてんこてん」に飛ばされます。

こてんぱん

こてんこてん「ーにやっつけられた」

「新明解国語辞典 第七版」

「こてんぱん」が「こてんこてん」から来ているのは確かなようです。

こてんこてん

肉体的または精神的な打撃が徹底的であるさま。完膚(かんぷ)なきさま。「ーにやられた」

「広辞苑 第五版」

こうして「こてんこてん」や「こてんぱん」の語義を見ていると、かなり辛辣な印象がありますが、実際の会話で使われる「こてんこてん」や「こてんぱん」にはどこかユーモラスでのんびりした雰囲気もあります。

こてんぱんにやっつけられたとしても、次の瞬間には何事もなかったかのように立ち上がることができる、

そんなイメージがあるのは、あるいは町さんの「コテンパン」のせいなのでしょうか?

Lady Gaga の Gaga ってどんな意味?

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Lady Gaga さんの Gaga という名前はクイーン(Queen)のヒット曲「Radio Ga Ga」から取られているのだそう。

ただそれはそれとして、英単語の世界には gaga という単語も存在しています。

gaga

  1. (offensive) confused and not able to think clearly, especially because of old age
  2. slightly crazy because you are very excited about sb/sth, or very much in love

「Oxford Advanced Learner’s Dictionary」

gaga の一つ目の意味は年をとって「もうろくしている」ということ。

語義の offensive というラベルに見られるように、うかつに使える表現ではありません。

そこから派生した二つ目の意味は何かに「夢中である」ということ。

ランダムハウスにはこんな例文がのっていました。

The public went gaga over the new fashions.
(人々は新しいファッションに夢中になった。)

He’s gaga over[or about]the new girl in class.
(彼はクラスの新しい女の子にぞっこんだ。)

「ランダムハウス英和大辞典 第2版」

年をとってもうろくすることと何かに夢中になることを同じ単語で表すことができるというのはおもしろい話。

ただ考えてみると、優柔不断なことを慎重だと言ってみたり、だらしがないことをおおらかだと言ってみたり、人の長所と短所というのはそもそも紙一重なもの。

年をとってさまざまなことがわからなくなっていくということは、私たちが何か一つのものに夢中になっているということと、あるいは大差がないのかもしれません。

 
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