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フィンランド語学習記 vol.290 − 過去形と現在完了形

まずは穴埋め問題を三つ。

  1. Minä                                suomea eilen.(昨日、私はフィンランド語を勉強しました。)
  2. Minä                                suomea eilen.(昨日、私はフィンランド語を勉強しませんでした。)
  3. Minä                                suomea kaksi vuotta.(私は2年間フィンランド語を勉強しています。)

*opiskella(勉強する)

1・2は過去形、3は現在完了形の文です。

正解はこちら。

  1. Minä  opiskelin  suomea eilen.(昨日、私はフィンランド語を勉強しました。)
  2. Minä  en opiskellut  suomea eilen.(昨日、私はフィンランド語を勉強しませんでした。)
  3. Minä  olen opiskellut  suomea kaksi vuotta.(私は2年間フィンランド語を勉強しています。)

それぞれの内容は次のとおり。

  1. 過去形の肯定文 = 動詞の過去形
  2. 過去形の否定文 = 否定動詞(en, et, ei, emme, ette, eivät)+過去分詞
  3. 現在完了形の肯定文 = olla(olen, olet, on, olemme, olette, ovat)+過去分詞

フィンランド語の特徴は2の過去形の否定文で過去分詞を使うこと。

これが3の現在完了形の文と混ざって出てくると、どうしても混乱してしまいます。

前回のフィンランド語教室ではまず次の8つの形をきちんと押さえようという話が出ていました。

opiskella(勉強する)
[現在語幹]opiskele
[過去語幹]opiskeli
*以下は一人称単数(minä)の変化

肯定 否定
現在形 opiskelen en opiskele
過去形 opiskelin en opiskellut
現在完了形 olen opiskellut en ole opiskellut
過去完了形 olin opiskellut en ollut opiskellut

当面の目標は opiskella という動詞の辞書形から、opiskelin(過去形・肯定)、en opiskellut(過去形・否定)、olen opiskellut(現在完了形・肯定)の三つの形をぱっと作ることなのですが、これがなかなか難しい。

先日はそのあたりの反射神経を養うため『フィンランド語トレーニングブック』の Kappale 55「過去形・否定」、Kappale 56「現在完了形」あたりをせっせと解いていました。

これを素早く作れるようになると基礎の作文はかなり楽になりそうなので、もうひと頑張りしてみたいと思います。

 

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「いる」と「ある」

photo credit: P1030297 via photopin (license)

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There is a cat on the bed.(ベッドの上にネコがいます。)
There is a book on the desk.(机の上に本があります。)

英語ではどちらも同じ there is〜 の構文。

しかし日本語に訳すときには「いる」と「ある」を使い分けなければなりません。

人や動物など主語が動くものなら「いる」、動かないものなら「ある」というのは、日本語ネイティブなら意識することなく使い分けられるところ。

しかし日本語を外国語として学ぶ人にとっては、果たしてどうなのでしょう?

日本人にとって冠詞の使い方が難しいように、自分の母語で区別しないものを区別するというのは難しいもの。

ネコは。。。えーと、動物だから。。。います!

というように、立ち止まって考える必要があるのかもしれません。

日本人が英語を学ぶときに「冠詞って何のためにあるの?」とか「単数・複数って何のために区別するの?」なんて、日本語にないルールを槍玉に挙げることがありますが、英語ネイティブの視点から日本語を眺めてみれば、この「いる」と「ある」のように他言語には見られない区別をすることも多々あります。

日本語ではなぜ「いる」と「ある」を区別するのですか?

と聞かれたら、何と答えるべきでしょうか?

フィンランド語学習記 vol.289 − ストライプ/チェック

前回のフィンランド語教室でちょっと面白い単語が出てきたのでメモしておきます。

フィン
raidallinen striped ストライプの
ruudullinen checked
checkered
チェックの

 

フィンランド語で「ストライプの」は raidallinen(ライダッリネン)。

「縞」を意味する raita という単語から派生したのだそう。

またフィンランド語で「チェックの」は ruudullinen(ルードゥッリネン)。

こちらは「四角」を意味する ruutu という単語から派生したのだそう。

「ストライプ/チェック」など、この手の図柄を伴う単語はGoogle画像検索をしてみると、イメージをよりよく理解することができます。

raidallinen(←クリック)

ruudullinen(←クリック)

さすがフィンランド? 素敵な洋服がたくさん出てきました。

これはいい、というものはあったでしょうか?

季節の始まり

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英語の大文字と小文字の使い分けというのは、一見厳密なようでいて、なぜそのようなルールになっているのかわからないものもあります。

British Council のホームページを見ていたら、大文字の使い方に関して次のようなルールがのっていました。

We use capital letters for the days of the week but not for seasons.

• One Saturday in autumn.

言われてみれば確かに、なぜ曜日(Saturday)は大文字で始めるのに、季節(autumn)は小文字で始めるのでしょう?

その後「Practical English Usage」を調べてみると、次のような記述が。

We use capital (big) letters at the beginning of the following kinds of words:

the names of days, months and public holidays (but not usually seasons)

  • Sunday
  • March
  • Easter
  • Tuesday
  • September
  • Christmas
  • (BUT normally summer, autumn)

考えてみると、曜日だけではなく、月の名前(March)も、祝日の名前(Easter, Christmas)も大文字で始めるのに、季節だけは小文字で始めるというのは何だか不思議な話。

もともと人や神様の名前に由来する単語は大文字で始めるということなのか。。。いや、それ以外でも大文字で始める単語はありそうです。

これは!というような説明をお持ちの方はぜひ教えてください。

段取り/ダンドリ

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先日、何となく電車の窓上広告を見ていたら、ゼクシィの広告で「結婚のダンドリ」という文言が目に付きました。

「ケータイ」のように、さまざまな日本語がカタカナ表記になる昨今ですが「ダンドリ」というのはあまり見たことがなかったような気がします。

段取りを「ダンドリ」とカタカナで表記することのメリットは何でしょう?

思い付くままに挙げてみれば、

  1. 何となくおしゃれな感じ
  2. 普段と異なる表記にして耳目を引く
  3. 地味な作業をイベントっぽく見せる

個人的には3番の要素が強いのかなあと思いました。

段取りを考えるというのは本来地味な作業。

でも「ダンドリ」と書かれると、何となく非日常な雰囲気が漂ってきませんか。

それならば引っ越しなども「ヒッコシの科学」などとカタカナ表記にすれば、楽しそうになるのかと思いましたが、必ずしもそうではないようです。

このあたりは、おそらくカタカナ表記に適した言葉と適していない言葉があるのでしょう。

そこを分ける法則のようなものが見つかったら面白いのですが。

ワープする心

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例えば、鎌倉で古いお寺の伽藍を見ているとき、

昔の人の暮らしぶりや心の内に思いを馳せることがあります。

当時の人というのはいったいどんな思いを抱えて、このお寺を訪れていたのだろう?

そんなことを考えているとき、私たちの心というのはその時代へ「ワープ」しているのだと、新明解に書いてありました。

ワープ

〔SFで、宇宙船が〕宇宙空間のひずみを利用して超高速飛行をすること。〔広義では、(心が)時間・空間を超えて瞬間的に移動する意にも用いられる。例、「本堂に向かって手を合わせ、歌をくちずさむと、心は平安朝にーする」〕

「新明解国語辞典 第七版」

語義には「(心が)時間・空間を超えて瞬間的に移動する」とありますが、考えてみると私たちの心というのは一日のうちに数十回あるいは数百回、時間と空間を超えて移動しているように思います。

だとすると、私たちの心にとって「ワープする」という行為は日常そのものなのかもしれません。

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