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英語の語順について、つらつらと考える

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英語は「語順」の言語と言われます。

それでは語順を間違えたときには、いったいどのような不都合があるのでしょう?

今回はいくつかのケースに分けて見てみたいと思います。

 

ケース1

a. I played tennis yesterday.
b. Tennis played I yesterday.
「テニスが私をプレイする」ことはあり得ないので、b のように言われても a の意味なのだろうと推測することはできるはず。それでもやはり b は間違いということになります。

 

ケース2

c. Popeye loves Olive.
d. Olive loves Popeye.
どちらも文法的には問題なし。ただ伝える内容は異なります。もちろん相思相愛の可能性もありますが「c ならば d」「d ならば c」とは限らないのが現実世界の難しいところ。

 

ケース3

e. I played baseball yesterday.
f. Yesterday I played baseball.
これはほとんど同じ意味? ただし聞き手にとって未知の情報(新情報)が文末に来るという文末焦点の法則を考えれば、それぞれ次のような質問に対する答えであると解釈することもできるでしょう。

When did you play baseball?
− I played baseball yesterday.

What did you do yesterday?
− Yesterday I played baseball.

 

ケース4

g. Happily he did not die.
h. He did not die happily.
これは副詞の位置一つで意味が真逆になってしまうという珍しいケース。

g は「幸運にも彼は死ななかった」という意味になるので彼は生きていますが、h は「彼は幸せな死に方をしなかった」という意味になるので、彼はこの世にはもう、、、

 

結論

英語の語順にはくれぐれも注意しましょう。

フィンランド語学習記 vol.425 − 楽しむこと、信じること

photo credit: sergecos Mer matinale. Explore. via photopin (license)

photo credit: sergecos Mer matinale. Explore. via photopin (license)

フィンランド語で「住居」は asunto(アスント)。

この単語は「住む」を意味する動詞 asua に名詞接尾辞の[-nto]を付けたもの。

asunto(住居) asua(住む)

 

。。。という成り立ちに気付いたのは実は最近のこと。

そこで、ほかにも動詞+[-nto]という成り立ちの単語はあるのか探してみました。

すると、、、

käytäntö(習慣) käyttää(使う)
luonto(自然) luoda(創造する)
nautinto(満足) nauttia(楽しむ)
näytäntö(上演) näyttää(見せる)
olento(存在) olla(ある、いる)
sovinto(和解) sopia(同意する)
uskonto(宗教) uskoa(信じる)

 

思いのほか、たくさん見つけることができました。

満足とは楽しむこと、宗教とは信じること、などという成り立ちを見ていると、人生について何かを学んでいるような気持ちにさせられます。

新しい Google 翻訳に触れる(2)

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数日前のエントリーで、ニューラルネットによる機械翻訳(Neural Machine Translation)を取り入れた新しい Google 翻訳の話題に触れました。

新しい Google 翻訳に触れる

今回は二つの異なるタイプの英文を日本語に訳してみたいと思います。まずはアメリカの作家クリス・ギレボーのエッセイから。

My motivation is to help people challenge authority and live unconventional, remarkable lives. The mission is to support a full-scale revolution with a simple underlying message: You don’t have to live your life the way other people expect you to.

Chris Guillebeau 『The Art of Non-Conformity』

Google 翻訳の和訳結果がこちら。

私のモチベーションは、人々が権威に挑戦し、慣習的で驚異的な生活を送るのを助けることです。 使命は、単純な根底にあるメッセージで本格的な革命を支援することです。他の人々の期待どおりの生活を送る必要はありません。

翻訳の精度はやはりなかなかのもの。特に最後の一文は、主語を省略することで自然な日本語を生み出しています。

唯一の問題点は、unconventional(=慣習に従わない)がどういうわけか真逆の意味に訳されているところでしょうか。「慣習的で驚異的な生活」というのも、何だか魅力的な響きではありますが。。。

また細かい点としては、最後の一文が直前の a simple underlying message の内容に当たるということを何らかの言葉を補って示すことができていれば、より完璧だったのではないかと思います。

それではこのようなエッセイよりもハードルが高いと思われる詩的な文章の場合はどうでしょう? 続いてはボブ・ディランの「My Back Pages」の歌詞から。

Crimson flames tied through my ears
Rollin’ high and mighty traps
Pounced with fire on flaming roads
Using ideas as my maps
“We’ll meet on edges, soon,” said I
Proud ‘neath heated brow
Ah, but I was so much older then
I’m younger than that now

Bob Dylan 「My Back Pages」

Google 翻訳の和訳結果がこちら。

私の耳にかかった炎の炎
Rollin ‘highとmighty traps
燃える道路に火を吹き込んだ
マイマップとしてのアイデアの使用
「私たちはすぐに縁で会います」と私は言った
誇らしげにした ‘
ああ、でも私はとても年上でした
私は今よりも若い

さすがにこのレベルの文はまだまだという感じ。

そもそも詩的な文の場合は、多様な解釈ができることもあるため、その処理をどうするかという問題があります。(e.g., We’ll meet on edges.)

ただこの曲の要であり、英文としては比較的シンプルな最後の二行がきちんと訳せていないのは、まだまだ経験不足(?)なのかと。

上記の「私は今よりも若い」という訳文では ‘I’m younger than that now.’ の that が配慮されていないので、正しくは「私は今、あのときよりも若い」としなければなりません。

 

以上、今回は新しい Google 翻訳を使って二つの異なるタイプの英語の文を日本語に訳してみました。

言語や語学が好きな人にとっては、ある意味、最高のおもちゃでもある Google 翻訳。また何か新しい発見があったら書いてみたいと思います。

フィンランド語学習記 vol.424 − 流し読みをする

photo credit: KJGarbutt Stack O' Books via photopin (license)

photo credit: KJGarbutt Stack O’ Books via photopin (license)

フィンランド語教室のテキスト『suomen mestari 2』に次のような文が出てきました。

Lauantaiaamuna Olga lukee sanomalehteä ja selailee kauppojen mainoksia.
(土曜日の朝、オルガは新聞を読み、お店の広告を流し読みする。)

フィンランド語で「読む」は lukea、「流し読みをする」は selailla。

フィン
lukea read 読む
selailla browse 流し読みをする

 

フィンランド語にも英語にも「流し読みをする」という意味の固有の動詞が存在します。

フィンランドの事情はわかりませんが、少なくとも英語圏では流し読みというものがアカデミックリーディングの一つの技術として認められています。

それに比べると、日本語の流し読みという表現には少し後ろめたいことをやっているようなイメージがあるので、もっと前向きなニュアンスの固有の動詞があればよいのにと思います。

フィンランド語学習記 vol.423 − 高い眼鏡

photo credit: Cindy Doutres Photography  via photopin (license)

photo credit: Cindy Doutres Photography via photopin (license)

先日のフィンランド語教室より、印象に残ったトピックを一つ。

まずは次の二つの文を比べてみてください。

Nämä silmälasit ovat kalliit.(この眼鏡は高い。)
Silmälasit ovat kalliita.(眼鏡というものは高い。)

「眼鏡」を意味する silmälasit は英語の glasses と同じく複数形で使う単語なので、複数主格の形[-t]になっています。

一方「高い」を意味する kallis は上の文では主語に合わせて複数主格の形になっているのに対して、下の文では複数分格の形になっています。

単数主格 kallis
複数主格 kalliit
複数分格 kalliita

 

これまでに習ったルールでは、A olla B の構文において主語が数えられる名詞のときには補語は主格、数えられない名詞のときには補語は分格になるはずでした。

眼鏡は数えられる名詞なので、さきほどの Silmälasit ovat kalliita.(眼鏡というものは高い。)という例文はこのルールでは説明できません。

先生曰く、特定の眼鏡が高いと言いたいときには複数主格、眼鏡一般が高いと言いたいときには複数分格を使うのが自然なのだとか。

改めて考えてみると、冠詞がないフィンランド語においては、silmälasit 単体では特定の眼鏡を指しているのか、眼鏡一般を指しているのかがわかりません。さきほどの例文では nämä という限定詞があったのでわかりやすかったのですが、もし次のようになっていたらどうでしょう?

Silmälasit ovat kalliit.(その眼鏡は高い。)
Silmälasit ovat kalliita.(眼鏡というものは高い。)

主語の形が同じ以上、補語の形によって silmälasit の示す範囲を判断するしかありません。

冠詞があったらもっとわかりやすいのに、、、

なんて冠詞の必要性を感じたのは、おそらく人生で初めてのことかもしれません。

フィンランド語学習記 vol.422 − sinivalkoinen

フィンランドの国旗といえば白地に青のスカンディナヴィア十字。

フィンランド語にはこのカラーリングを指す sinivalkoinen という単語があります。

sinivalkoinen

  1. Referring to the combination of the blue and white colours.
  2. Finnish (derived from the colours of the Finnish national flag).

「Wiktionary」

日本語に訳そうとするなら、おそらくそのまま「青と白」と言うしかないでしょう。

というのは日本語では「白青」と言ってしまえば、薄い青の意味に、

しらあお【白青】

  1. 襲(かさね)の色目
  2. 染色(そめいろ)の名。薄青。

「広辞苑 第五版」

「青白」と言ってしまえば、顔色を連想してしまいます。

あおじろい【青白い】

青みがかって白い。顔が青ざめて血色が悪い。

「広辞苑 第五版」

ただフィンランド語の sinivalkoinen も、もとは sininen(青)と valkoinen(白)という単語を合わせたもの。

sininen

blue

「Wiktionary」

valkoinen

  1. White (colour).
  2. Caucasian (person).

「Wiktionary」

ただし sini+valkoinen という順番は決まっていて、valko+sininen という言い方はあまりないとのこと。

考えて見ると日本語でも「黄緑」とか「赤紫」のように二色を組み合わせた色の名前というのはたいてい順番が決まっています。

この並べ方に何らかの法則性はあるのでしょうか?

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