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フィンランド語学習記 vol.497 − 本を集める人

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電子書籍の利便性は認めつつも、紙の本の手触りも捨てがたい。

本好きの人なら、そのような感情を抱いている人も多いでしょう。

現在のようにデジタルデータのない時代、一冊の紙の本には私たちの想像が及ばないような価値があったのかもしれません。

今回はフィンランド語学習者のためのやさしいフィンランド語によるニュースサイト「Yle Uutiset selkosuomeksi」から本にまつわる素敵なコラムを一つ紹介してみたいと思います。

Kirjastojen sankari Matti Pohto

Matti Pohto on suomalaisen kirjallisuuden sankari, joka on unohdettu.

1800-luvun alkupuolella Matti Pohto käveli tuhansia kilometrejä ympäri Suomea. Hän keräsi kirjoja. 4 000 suomenkielistä kirjaa tarvittiin niiden tilalle, jotka paloivat Suomen suurimman kirjaston mukana Turussa 190 vuotta sitten. Matti Pohto ehti kerätä melkein kaikki 4 000 kirjaa. Vain muutama puuttui, kun hän kuoli.

Matti Pohto keräsi kirjoja, vaikka hän oli köyhä eikä päässyt lapsena kouluun.

図書館の英雄、マッティ・ポフト

マッティ・ポフトは、忘れられたフィンランド文学の英雄である。

1800年代前半、マッティ・ポフトはフィンランドを回って数千キロメートルを歩いた。彼は本を集めていた。四千冊のフィンランド語の本が必要とされていた。190年前のトゥルクにおいてフィンランド最大の図書館とともに燃えてしまった本の代わりとして。マッティ・ポフトは全部でほぼ四千冊の本を集めることができた。彼が亡くなったときには、ほんの数冊が無くなっっていただけだった。

マッティは本を集めたけれども、貧しく子どものときに学校へ行くことはできなかった。

フィン
sankari hero 英雄、ヒーロー
kirjallisuus literature 文学
unohtaa forbid 忘れる
alkupuoli first part 前半
kävellä walk 歩く
tuhat thousand 1,000
ympäri around 〜を回って
kerätä collect 集める
tarvita need 必要とする
palaa burn 燃える
ehtiä have time, make it 間に合う、到達する
muutama a few, some いくつかの
puuttua to be missing 欠く、失う
kuolla die 死ぬ
köyhä poor 貧乏な
päästä get 行く

 

本を書いた人だけでなく、このように本を後世に残した人も、たしかにフィンランド文学の英雄なのでしょう。

時代を超えて、先人から受け継がれた貴重な書物たち。これからも一冊一冊との出会いを大切にしていきたいと思います。

 
Yle Uutiset selkosuomeksi | Yle Uutiset | yle.fi

山歩きのきろく(1)− くもり空の金時山[2017.09]

ふと山歩きの記録を書いてみたくなったので、先週訪れた金時山のことを書いてみようと思います。

一応タイトルに(1)と振ってみましたが、(2)があるのかどうかはわかりません。

金時山は箱根の北端、神奈川と静岡の県境にある標高1,212mの山です。

 

金時山への行き方

手持ちのガイドブックやネット上の情報は東京から来る人を想定しているため、新宿発の小田急箱根高速バスに乗ることをおすすめしていることが多いです。

料金的にも、登山口まで乗り換えなしで行けるというアクセスの面でも、都内から行くなら高速バスを使うのがベストとのこと。

ただ自分のように横浜近辺から行く場合は、JR東海道線で小田原へ、そこで小田急の箱根登山鉄道に乗り換えて箱根湯本駅へ、さらに箱根登山バスに乗り換えて登山口へと乗り継いでいくことになります。

(後から知ったのですが、小田原から直接登山口まで行くバスもあるみたいですね。)

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当日

朝8時に自宅を出発。

遅い!と思われるかもしれませんが、今回は登下山で3時間くらいの工程なので、そんなに急ぐこともないのかなと。当日の天気は薄曇り。

なお金時山には複数の登山口があり、今回は乙女峠の近くにある登山口から登ろうと思っていました。

ところが箱根湯本駅のインフォメーションで聞いてみると、箱根湯本駅から乙女峠へ向かう直通バスは8:50発と9:10発の二本しかないとのこと。

時計を見るとこの時点ですでに10時! 完全に出遅れてしまいました。

ただ他の登山口の近くまで行くバスはあるようなので、予定を変更してそちらへ向かうことに。(このあたり、かなり適当です。)

バスに乗って箱根のつづら折りの道をゆらゆらと。目的のバス停である仙石(せんごく)に着く直前に「乙女峠はこちらで乗り換えです」という車内アナウンスが聞こえました。

なるほど。直通バスがないというだけで、ここで乗り換えて乙女峠に行くことはできるんですね。それならば初志貫徹で乙女峠へ。

途中トンネルに入る前に「トンネルを抜けると静岡県に入ります」との車内アナウンス。今回、県をまたぐという意識は全くなかったのですが、ここで一旦静岡へ抜けることになるんですね。

そんなこんなで乙女峠バス停に着いた頃にはもう11時。

晴れていればここから富士山が見えるようなのですが、あいにくこの日は曇り模様。

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「静岡県へようこそ」の看板がありました。

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まだ一歩も登っていませんが、目の前に団子屋さんがあったので、さっそく休憩。

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お茶のサービスもあって嬉しい限り。

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一服して、ようやく乙女峠登山口へ向かいます。ここから山頂までは75分の表示。

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この日は平日だったせいか、他の登山客の姿は見えません。

(時間が遅かっただけという説もあります。)

登山口から乙女峠までは岩がごろごろした道。30〜40分ほど歩いて乙女峠に到着。

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ここから先はかなり急な登りが続きます。スニーカーなどで来てしまうとかなり大変かもしれません。

さきほどの乙女峠から20分ほど歩いて、長尾山頂に到着。

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山頂とは言っても眺望はなく、周囲を木に囲まれた小さな広場のようになっています。

長居する雰囲気ではないので、どんどん先に進みます。

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視界は不良。

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ここからは一旦下り道。目的の山頂に着いていないのに下るというのは何だか損をした気分。結局はその分登り返さなければならないので。

長尾山頂から30〜40分ほど歩いて、ようやく山頂の茶店らしい建物が見えてきました。

そしてついに山頂へ到着!

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しかし一面に靄がかかっていて、全く見晴らしはありません。

晴れていればここから富士山がきれいに見えるようなのですが、、、

まあ仕方ないということで、バックパックを下ろして一休み。

二件ある茶店では軽い食事もできるようですが、あまりお腹が空いていなかったので、手持ちのラスクとレーズンパンをつまみます。

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また山頂にはきれいな有料トイレ(100円)もありました。

20〜30分くらい休憩して、下山ルートへ。

帰りは登ってきたルートとは逆側の金時登山口バス停に近い登山口を目指して下りていきます。

「金時登山口」というバス停の近くにある登山口なのですから、こちらがもっともメジャーなルートなのでしょう。

尾根歩きの途中で麓の様子が見えました。うれしい!

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当然下りの方がペースは早く、14時過ぎには下山完了。

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頂上にいた20〜30分も含めて全体で3時間程度のコースでした。

そろそろお腹も空いてきたなと思っていたところ、登山口から国道138号に出たところにラーメン屋さんがあったので入ってみることに。

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お店の雰囲気もよく、おいしくしょうゆラーメンをいただきました。

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この後、バスで箱根湯本に戻ったら、ついに小雨がぱらぱらと。

しかし山登りの締めくくりはやはり温泉ということで、箱根湯本駅から歩いて数分のところにある日帰り温泉へ。

なぜか浴室に一人も人がおらず、入ってから出るまで貸切状態。箱根の温泉は初めてでしたが、とてもよいお湯に大満足。ゆっくりしてから帰りました。

この日は終日曇天だったので、次回はぜひ山頂から富士山が見えるような晴天の日に再挑戦してみたいと思います。

「探す」と「捜す」の違いとは?

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デジタルカメラの充電ケーブルが見当たらなくなってしまい、家のあちこちを探したものの見つかりません。

「はー」とため息をつきつつ思ったのは、「さがす」という日本語の動詞には「探す」と「捜す」という二つの漢字があるなということ。

そもそもこの二つの漢字に意味の違いはあるのでしょうか?

第一感では「捜す」という漢字には「人を捜す」という意味があるのではないかと思ったのですが、調べてみるとどうも違うようです。

さがす[探す](他五)

①〔ほしいものを〕〈見つけよう/手に入れよう〉として、動き回る。

②見つけようとしてほうぼうを見る。

「三省堂国語辞典 第七版」

さがす[捜す](他五)

〔見えなくなったものを〕見つけ出そうとして、ほうぼうを調べる。

「三省堂国語辞典 第七版」

三国によると、

  • 探す=ほしいものを探す
  • 捜す=見えなくなったものを捜す

という違いがあるとのこと。

ということは、冒頭の例のように見当たらない充電ケーブルを「さがす」という場合には、「探す」よりも「捜す」の方が適切なのでしょうか?

(だとしても「探す」と書いたら間違いということはないでしょうが。)

またこの使い分けに基づくと、例えば「恋人をさがす」と言いたいとき、漢字一つで次のようなニュアンスの違いが生まれてしまうのかもしれません。

  • 恋人を探す=恋人がいない人が恋人を探す
  • 恋人を捜す=恋人がいる人が行方不明の恋人を捜す

そうだとすると、同じ「さがす」でも、うっかり漢字を間違えただけで無用な誤解を招いてしまいそう。使い分けにはくれぐれも注意したいものです。

 
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How do you spell ライチ?

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この前の蒸し暑い日に、駅のホームの自動販売機で「ソルティライチ」のペットボトルを買ったときのこと。

何気なくボトルのラベルを見ると SALTY LITCHI と書いてあります。

「へえー、ライチって litchi って綴るんだ。」

「でも、予備知識なしにこの綴りを見たらリッチって読んでしまいそう。」

「そもそも、litchi って英語らしくない綴りだな。」

などと考えて、Wikipedia を見てみると「ライチ(ライチー)」というのは広東語、または台湾語・閩南語の発音に基づくと書いてあります。

*標準中国語では「リーチー」という音になるとのこと。

そのように言われてみると、たしかに中国語っぽいような気もしてきます。

また英語では「ライチ(ライチー)」と「リーチー」の発音が併用されているとも書いてありました。

そこで英語辞書を引いてみると、このように見出し語が出ています。

lychee (also lichee, litchi)

NOUN

A small rounded fruit with sweet white scented flesh, a large central stone, and a thin rough skin.

Oxford Dictionaries

つまり英語のライチには、ソルティライチのボトルに書いてあった litchi 以外にも複数の綴りがあることになります。

おそらくは外国語の音を表すのに適した綴りが模索された結果なのでしょうか。

個人的には「ライチー」なら lychee、「リーチー」なら lichee に一票を投じたいように思います。

でも「ライチー」なら liechee の方がいいかなとか、「リーチー」なら leechee の方がいいかなとか色々考えてしまったり、、、英語の綴り字と発音の関係は本当に複雑ですね。

abibliophobia

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怖いものというのは人それぞれ。

例えば、高いところが怖い(=高所恐怖症)、狭いところが怖い(=閉所恐怖症)、尖ったものが怖い(=先端恐怖症)という自覚のある人は多いでしょう。

あるいはそういったメジャーな恐怖症以外に、自分でも自覚していないようなマイナーな恐怖症が心の奥底に潜んでいることもあるかもしれません。

私は次の単語を見つけたときに「これは自分のことだ!」と思わずにはいられませんでした。

abibliophobia (uncountable)

(humorous) Fear of running out of things to read.

「Wiktionary」

abibliophobia は「読むものがなくなることの恐怖症」の意味。

一つの悪夢を描写してみましょう。

  • 国際線の飛行機に本や雑誌を一冊も持たずに乗ってしまう。
  • スマホはうっかり預け入れ荷物の方に入れてしまった。
  • 機内の雑誌・新聞・パンフレットはすべて未知の言語で書かれている(グルジア語とか)。

この状況が10時間以上続く、、、自分にとってこれほど恐ろしい状況はありません。

もちろん現在の国際線において、英語が読めないなどということは現実にはありえないものの、状況を想像するだけで怖くなってしまいます。

みなさんにとっての怖いものは何でしょう?

優性・劣性

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きのうのニュースより。

遺伝の「優性」「劣性」使うのやめます 学会が用語改訂 (朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース

遺伝学における「優性・劣性」という用語は、本来何かの優劣を意味する訳ではないが、そのように誤解されやすいので、学会としては今後「顕性・潜性」という用語に置き換えていきたいとのこと。

いわゆる優性遺伝・劣性遺伝などと言うときの「優性・劣性」ですね。

このニュースを読んで気になったことが二つありました。

まず一つ目は「優性・劣性」は一般の国語辞書ではどのように定義されているのかということ。

さっそく辞書を引いてみました。

ゆうせい[優性](名)

①〔文〕すぐれた性質(のもの)。

②〘生〙〔遺伝で〕対立する形質のうち、交配したとき次の代〔=雑種第一代〕に発現するほう。

「ー遺伝」

▷(↔劣性)

「三省堂国語辞典 第七版」

れっせい[劣性](名)

①〔文〕劣等な性質(のもの)。

②〘生〙〔遺伝で〕対立する形質のうち、交配したとき次の代〔=雑種第一代〕には発現せず、それ以後の代で発現するほう。

「ー遺伝」

▷(↔優性)

「三省堂国語辞典 第七版」

素人でもよくわかる説明が出ていました。

ただあくまでも一つ目の語義は「すぐれた性質、劣等な性質」ですし、これらの用語から優劣を連想してしまうということは避けられそうにありません。

そういう意味では「顕性・潜性」に置き換えるというのは長期的には正しい判断なのかもしれません。

そしてもう一つ気になったのは、言葉を置き換えるというのはどのくらいの労力と時間を要する作業なのかということ。

遺伝学の専門用語とはいっても、一般の国語辞書に掲載されているくらい普及した単語を特定の団体の影響力で変えていこうというのは、なかなか大変なことだと思います。

というのも、言葉を置き換えるということは、単に「変えます!」と宣言するだけでなく、実際に人々に普及し、上記のような国語辞書に新しい用語の「顕性・潜性」が掲載されるくらいのレベルに至って、初めて本当の意味で言葉を置き換えることができたと言えるのではないかと思うからです。

論文などに使われる用語が変わればよいという意見もあるかもしれませんが、そもそもの変更動機である「誤解されやすいから変えたい」というのは、エキスパートではなく、私たち素人を想定した発言のはずです。

そういう意味では、新しい用語が普及するのにどれくらいの時間が必要なのか、あるいは普及せずに終わってしまうのか、それを確かめるためにも、まずはこんなニュースがあったということをここに書き留めておきたいと思います。

 
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