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フィンランド語学習記 vol.527 − 静かなクリスマス

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日本のクリスマスは賑やかなイメージですが、フィンランドのクリスマスは静かなイメージ。

クリスマスイブからクリスマスにかけては、多くの人が家で家族と過ごすため、店は閉まり、交通機関は止まってしまう。

そんなクリスマスの様子が、フィンランド語学習者のためのやさしいフィンランド語によるニュースサイト「Yle Uutiset selkosuomeksi」で紹介されていました。

Suomi hiljenee jouluksi

Monet kaupat sulkivat ovet jouluaattona jo iltapäivällä.

Kaupoilla on kuitenkin lupa olla auki vaikka koko joulu, jos ne niin haluavat. Kauppojen aukioloajat voi katsoa esimerkiksi niiden nettisivuilta.

Myös liikenne on hiljentynyt joulun takia. Esimerkiksi Turussa, Tampereella, Jyväskylässä ja Oulussa paikallisbussit kulkevat seuraavan kerran vasta tapaninpäivänä eli toisena joulupäivänä.

Helsingissä bussit, raitiovaunut ja metro kulkevat joulupäivänä kello 11 jälkeen.

フィンランドはクリスマスに静かになる

多くの店がクリスマスイブの午後にはもう店を閉じる。

しかしもし望めば、クリスマスの間、店を開いてもかまわない。店の営業時間は例えばウェブサイトで見ることができる。

交通もクリスマスのためにゆっくりになる。例えばトゥルク、タンペレ、ユヴァスキュラ、オウルでは、地元のバスは、ボクシング・デーつまり2日目のクリスマスの日にようやく運行を再開する。

ヘルシンキでは、バスやトラムや地下鉄はクリスマスの日の11時以降に動く。

フィン
hiljetä become quiet 静かになる
sulkea close 閉じる
ovi door ドア
iltäpäivä afternoon 午後
lupa permission 許可
aukioloaika opening hours 営業時間
nettisivu website ウェブサイト
liikenne traffic 交通
hiljentyä become quiet
slow down
静かになる
スピードが落ちる
takia because of 〜のために
paikallinen local 地元の
seuraava next 次の
tapaninpäivä Boxing Day ボクシング・デー
(クリスマスの次の日)

 

こういった記事を読むと、フィンランドのクリスマスというのは、むしろ日本のお正月に近い感覚なのかなとも思います。

どこの国に住んでいても、年の変わり目にせわしない日常を離れてゆっくり過ごしたいという人々の気持ちは変わらないのかもしれません。

 
Yle Uutiset selkosuomeksi | Yle Uutiset | yle.fi

Santa Claus is Coming to Town

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この季節、街に出るとあちこちで耳にするクリスマスソング。

大人になってからは、わざわざ家で聞くような機会はなくなりました。

ただ普段よく聞いているジャズの中には、定番のクリスマスソングをアレンジしたものが数多くあります。

今日はそんな中からお気に入りの一曲を。

You better watch out

You better not cry

Better not pout

I’m telling you why

Santa Claus is coming to town

気を付けて
泣かないで
ふくれっつらをしないで
なぜって
サンタが町にやってくるんだから

物静かな中の、跳ねるようなリズムが心地よく、いつまでも聞いていたくなります。

そんな風に、人がある音楽に身を委ねたいと思う、そのメカニズムを言葉で説明することはできるのでしょうか?

そもそも音楽と言葉の関係というのは不思議なもの。「音楽のような言葉」と「言葉のような音楽」はいったい何が違うのでしょう?

そんな思考の断片が頭に浮かんでは消え、気が付けば音楽も止まり、しーんとした部屋にぽつんと座っている。そんな一日も悪くありません。

明日からは2017年最後の一週間。非日常から日常に戻って、ラストスパートの高揚感とともに駆け抜けたいと思います。

イブイブ

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今日は12月23日。

「12月23日は何の日?」と聞かれたら、多くの日本人は天皇誕生日と答えるでしょう。

あるいは真っ先にこの単語を思い浮かべる人も多いかもしれません。

イブイブ(名)

〔俗〕クリスマスイブの前の〈夜/日〉。

「三省堂国語辞典 第七版」

三省堂国語辞典には和製英語を示す〔和製〕というラベルがあるのですが、このイブイブには〔和製〕ラベルが付いていません。

そのため「もしかしたらそういう英語表現もあるのかな?」と思って、さまざまな英語辞書を調べてみました。

しかしやはりイブイブ(eve eve)という表現はなく、かといって他にクリスマスイブの前日を意味する単語もないようです。

唯一、Urban Dictionary に出ていたのが次の表現。

Christmas Adam

The day before Christmas Eve (since Adam came before Eve)

「Urban Dictionary」

『創世記』において神はまずアダム(Adam)を作り、次にイブ(Eve)を作ったことから、クリスマスイブの前の日をクリスマスアダムと呼んではどうかということのようです。

もちろんこれは一般的な辞書に出ている表現ではありませんし、一般には広まっていない造語です。

そういう意味では、一般に広まり、かつ国語辞書にも掲載されている「イブイブ」の存在感にはかないません。

近年、コスプレ(cosplay)やホームステイ(homestay)のようにもともと和製英語だった表現が英語に逆輸入されるケースがあるので、もしかしたらイブイブ(eve eve)も同じルートを辿る可能性があるかもしれない、、、そんなことをふと考えてしまうイブイブの夜です。

 
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フィンランド語学習記 vol.526 − valkoinen joulu

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ホワイトクリスマス(名)〔white Christmas〕

雪景色でむかえるクリスマス。

「三省堂国語辞典 第七版」

雪景色のクリスマスを表すホワイトクリスマスという言葉があります。

フィンランド語学習者のためのやさしいフィンランド語によるニュースサイト「Yle Uutiset selkosuomeksi」によると、今年のフィンランドは全国的にホワイトクリスマスになるそうです。

Valkoinen joulu lähes koko maahan

Melkein koko maahan saadaan valkoinen joulu eli maassa on jouluna lunta, sanoo Ylen meteorologi Joonas Koskela.

Pohjois- ja Itä-Suomessa on paljon lunta jo nyt. Sinne myös sataa lisää lunta vielä ennen joulua.

Joonas Koskela kertoo, että lauantaina eli jouluaaton aattona lunta voi pyryttää myös Etelä-Suomessa.

Lounais-Suomessa ja länsirannikolla joulu voi kuitenkin olla lumeton. Siellä lämpötila on lähellä nollaa ja sade tulee vetenä.

ほぼ全国がホワイトクリスマスに

ほぼ全国がホワイトクリスマスになる、つまりクリスマスには雪が積もると Yle の気象学者 Joonas Koskela は言っている。

北部および東部フィンランドにはすでに多くの雪がある。この地域にはクリスマスの前にさらに雪が降るだろう。

Joonas Koskela によると、土曜日つまりクリスマスイブの前日には南部フィンランドは吹雪になるだろう。

しかし北西フィンランドと西海岸では雪のないクリスマスになるだろう。この地域では気温は0度に近く、雪ではなく雨が降るだろう。

フィン
valkoinen white 白い
joulu christmas クリスマス
lähes almost, nearly ほとんど
meteorologi meteorologist 気象学者
jouluaatto Christmas Eve クリスマスイブ
aatto eve 前夜、前日
pyryttää blizzard, snow heavily 吹雪になる
rannikko coast, shore 沿岸
lämpötila temperature 気温

 

新潟に住んでいた子供の頃には、ホワイトクリスマスなどという言葉を意識することもないほど雪ばかりでしたが、東京や神奈川に住むようになってから、ホワイトクリスマスを過ごした記憶はありません。

雪が降らなければ「ホワイトクリスマスもいいのに」と言ってみたり、雪が降れば「何で降るのー」と文句を言ってみたり。ないものねだりをしてしまうのが人間の性。

それでもフィンランドのホワイトクリスマスは一度くらい体験してみたいような気がします。

 
Yle Uutiset selkosuomeksi | Yle Uutiset | yle.fi

ロヒンギャ語のデジタル化

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イギリスの日刊紙『The Guardian』のウェブサイトにミャンマーに住むロヒンギャの人々についての興味深い記事が掲載されていました。

Language of the Rohingya to be digitised: ‘It legitimises the struggle’ | World news | The Guardian

これによると、ロヒンギャの人々が使うロヒンギャ語の文字が文字コードの標準規格であるユニコード(Unicode)に追加される計画があるとのこと。

It would allow the Rohingya to write emails, send texts and post on social media in their own language – a major step for a people who had no written script until the 1980s.

これによりロヒンギャの人々は、自分たちの言葉で電子メールを書いたり、テキストを送ったり、ソーシャルメディアに投稿したりできるようになります。1980年代まで書き言葉を持っていなかった人々にとって大きな一歩です。

ここで取り上げたいのはロヒンギャについての政治的な話題ではありません。

この記事を読むまで、世界には「文字のない言語」と「文字のある言語」だけでなく、「文字はあるものの、それをデジタル化できない言語」があるということを迂闊にも意識したことがありませんでした。

調べてみると、ロヒンギャ語はアラビア文字をベースに、ラテン文字やビルマ文字を借用した Hanifi script という文字を用いるとのこと。

これに対してラテン文字をベースにした表記体系もあるようなのですが、こちらは Hanifi script ほど一般的ではないようです。

ここでラテン文字で表記できるなら何とかなるだろうと考えるのは早計でしょう。

日本語はひらがな、かたかな、漢字という複雑な表記体系を持つ言語ですが、その隅々までデジタル化することができます。

そのことに慣れてしまった私たちは普段その恩恵を感じることはありません。しかし仮にローマ字しかデジタル化できないような環境を想像してみれば、ロヒンギャの人々が置かれている状況を少しは理解できるのではないでしょうか。

ロヒンギャ語がデジタル化されることで、彼ら自身の言葉で彼ら自身の状況を発信する機会が増えていくことは間違いないでしょう。その日が一日でも早い方がよいことは間違いありません。

こんなところにも世界の格差はあるのだなと気付かされたニュースでした。

「始終」と「終始」の違いとは?

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輪廻転生を信じるのでなければ、あらゆる物事には始まりと終わりがあります。

それでは物事の始まりと終わりを意味する「始終」、終わりと始まりを意味する「終始」には意味の違いがあるのでしょうか?

まずは国語辞書を引いてみましょう。

しじゅう[始終]〔=はじめとおわり〕

一(名)〔文〕はじめからおわりまで(の全部)。

「事のーを明らかにする」

二(副)いつも。しょっちゅう。

「ーうわさする」

「三省堂国語辞典 第七版」

しゅうし[終始](副・自サ)〔=おわりとはじめ〕

①はじめからおわりまで。常に。

「ー一貫〔=最後まで同じ調子で〕」

②はじめからおわりまで同じ調子であること。

「低調な試合にーした」

「三省堂国語辞典 第七版」

ここから読み取れる「始終」と「終始」の違いを以下にまとめてみます。

 

終始は「終始する」という動詞としても使われる

終始は「終始する」という動詞としても使われます。

「低調な試合に終始した」

この場合「低調な試合に始終した」とは言えません。

 

始終には「全部」の意味がある

始終には「全部」という意味があります。

「事の始終を明らかにする」

この場合「事の終始を明らかにする」とは言えません。

 

始終には「いつも」の意味がある

始終には「いつも」という意味があります。

この意味の始終は終始に置きかえることもできそうなのですが、比べてみると両者には異なる意味があることがわかります。

「始終うわさする」
「終始うわさする」

この場合、始終は複数の機会にいつもうわさをするというイメージですが、終始はある一つの機会においてはじめからおわりまでずっとうわさをしているというイメージでしょう。

よって、

  • 始終=いつも
  • 終始=ずっと

と置きかえると違いがわかりやすいかもしれません。

 

まとめ

以上、一見似ている日本語の「始終」と「終始」には明確な意味の違いがあるということがわかりました。

漢字が入れ替わっただけなのに、このような意味のズレが生じてしまうというのは面白い現象。

日本語のふしぎの一つではないでしょうか。

 
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