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机の上の本

いわゆる複数形のある言語を母語とする人が日本語を学ぶと、日本語に複数形の概念がないということにびっくりするようです。例えば、

「机の上に本があります」というフレーズを聞いて、日本語のネイティブは何冊の本を想像しているの?

というような質問をされたことがあります。

まあ一冊かなあ。。。と思いつつ、自信がなかったので Google 翻訳で英訳してみると、

机の上に本があります。
→ There is a book on the desk.

と変換されました。

ただ改めて考えてみると、英語のように複数形があったとしても結局わかるのはそのものが「1」か「2以上」かということ。

  • There is a book on the desk.
  • There are (some) books on the desk.

上の文で本は一冊に決まっていますが、下の文では本は三冊かもしれないし五冊かもしれません。そういう意味では、

There are (some) books on the desk. というフレーズを聞いて、英語のネイティブは何冊の本を想像しているの?

という逆質問も成り立つのではないでしょうか。

結局、日本語を母語とする人は「複数形なんてなぜあるの?」と言い続けるでしょうし、複数形のある言語を母語とする人は「なぜ複数形がないの?」言い続けることになるのでしょう。

いつの日か、この両者がわかり合える日は訪れるのでしょうか?

りんごの複数形

日本語にはいわゆる文法上の数は存在しないということになっています。

例えば、りんごが目の前に二つ置いてあるとき、英語では apples になりますが、日本語ではりんごのまま。(もちろん二つのりんごと言うことはできますが。)

ただそんな日本語にも複数を表す接辞は存在します。

 

たち

ーたち[(▽達)](接尾)

〔人間・動物などの〕複数をしめすことば。

「あなたー・母ー・少年ー・白鳥ー」

「三省堂国語辞典 第七版」

人間・動物などの「など」という部分が気になりますが、基本的には生きているものに使う接尾辞と考えて間違いないでしょう。

昔「ふぞろいの林檎たち」というドラマがありましたが、これは人をりんごになぞらえているから「林檎たち」と言える訳で、りんごそのものをりんごたちと呼ぶ訳ではありません。

 

ども

ーども[(共)](接尾)

〔けんそんして/ぞんざいに〕多数の人をあらわす。

「てまえーでは・野郎ー!」

「三省堂国語辞典 第七版」

こちらも生きているものにしか使えない接尾辞。

もし将来りんごが人間に攻撃を仕掛けてくるようなことがあれば「この、りんごども!」と言えるのかもしれませんが、当面はその心配もなさそうです。

 

ーら[(▽等)](接尾)

①ふたり以上であることをあらわす。

「ぼくーのたからもの・わたしー〔『わたしたち』よりも方言的〕・君ーはまだまだだな・あいつー、ぶんなぐってやる・おさない子ー〔『子どもたち』よりも文章語的〕・選手ー〔文〕」

〔自分のがわや、同等・目下の人に使う〕

②〔文〕おもだった人(の名)をあげて、ほかの人を略すときに使う。

「専務ー五人・丸山氏ー」

③〔「これ」 「それ」 「あれ」に付いて〕すぐ前に述べた複数の人やものごとをさす。

「これーの人々・それーの批判」

「三省堂国語辞典 第七版」

③の用法では「これら、それら、あれら」と言えるので、生きているもの以外にも適用できそうなのはこの接尾辞。

ただそれでも「りんごら」と言うのはやや不自然です。詩的な表現ならあるいは「朝露に濡れた林檎らが、、、」などと言うこともあるでしょうか。

 

どうのじてん[同の字点](名)

すぐ前と同じ漢字であることをしめす符号。例、人々の「々」。

「三省堂国語辞典 第七版」

こちらは接辞ではありませんが、々の文字を後置することによって人間や動物以外の複数も表すことができます。

ただ何にでも使える訳ではなく、使えるのは慣用的な表現のみ。ぱっと思いつくのは「家々、木々、山々」などでしょうか。「りんごの木々」と言うことはできても「林檎々々」と言うことはできません。

 

まとめ

調べた範囲では、日本語でりんごが複数であることを示す適切な接辞は存在しないようです。

いやこんな表現がありますよ!とご存知の方がいましたら、ぜひ情報提供をお願いいたします。

 
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まないた、きりばん、さいばん

先日、古くなっていたまな板を買い換えたときのこと。

まな板の「まな」って何だろう?

という疑問が浮かんだので、辞書を調べてみました。

まないた【俎板・俎・真魚板】

〘名〙 (「まな」は食用の魚の意)

①魚を料理するのに用いる板。また、広く食物などを包丁で料理するのに用いる厚い板。菜板さいばん。切盤きりばん

語誌 現代日本語方言では、広く一般的に用いられているのは「まないた」であるが、その周辺に「きりばん」「さいばん」の地域(東北地方、千葉、茨城の一部、能登半島、九州)が分布している。この分布の仕方から判断すると、「さいばん」がもっとも古い語形かと考えられるが、「まないた」も挙例の「十巻本和名抄」に見えるから、かなり古い。

「精選版 日本国語大辞典」

これによると、まな板の「まな」は食用の魚という意味。

語釈も「魚を料理するのに用いる板」という説明から始まっています。

ウチのまな板ではほとんど魚を切ったことがないので、本来の使い方をしていなかった(?)ということになるのでしょうか。

また面白いなと思ったのは、まな板に「きりばん、さいばん」の異名があるということ。

調べてみると、日国では両方とも見出し語になっていました。

きりばん【切盤】

〘名〙 食物などを包丁で切るときに用いる板。まないた。…

「精選版 日本国語大辞典」

さいばん【菜板】

〘名〙 まな板。…

「精選版 日本国語大辞典」

さきほどの説明できりばん、さいばんの地域として挙げられている東北地方、千葉、茨城の一部、能登半島、九州の人に会ったら、これらの言葉を知っているか尋ねてみたいものです。

実際に使っている人、知っている人はどれくらいいるのでしょう?

 
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フィンランド語学習記 vol.670 − Suomalaisen musiikin päivä

12月8日は何の日?

と聞かれれば、真珠湾攻撃の日と答える人もいるかもしれませんし、ジョン・レノンが亡くなった日と答える人もいるでしょう。

そんな12月8日はフィンランドでは音楽の日なのだそうです。

フィンランド語学習者のためのやさしいフィンランド語によるニュースサイト「Yle Uutiset selkosuomeksi」にこんな記事が出ていました。

Suomalaisen musiikin päivä

Lauantaina on vietetty suomalaisen musiikin päivää. Päivää vietetään joulukuun 8. päivä, koska se on Jean Sibeliuksen syntymäpäivä.

Sibelius on Suomen kansallissäveltäjä. Hän syntyi vuonna 1865 ja kuoli vuonna 1957.

フィンランドの音楽の日

土曜日にはフィンランドの音楽の日を祝った。音楽の日は12月8日に祝われる。なぜならその日はジャン・シベリウスの誕生日だからだ。

シベリウスはフィンランドの国民的作曲家だ、彼は1865年に生まれ、1957年に亡くなった。

フィン
viettää spend, celebrate 過ごす、祝う
syntymäpäivä birthday 誕生日
kansallis- national 国の、国民の
säveltäjä composer 作曲家

 

生まれる、亡くなる

フィンランド語で「生まれる」は syntyä、「亡くなる」は kuolla。

フィン
syntyä be born 生まれる
kuolla die 亡くなる

 

今回の例文ではどちらも三人称単数の過去形になっています。

Hän syntyi vuonna 1865 ja kuoli vuonna 1957.

辞書形 syntyä kuolla
三単過 syntyi kuoli

 

これを見て思い出したのが、フィンランド語で「生まれる」と言うとき、その人が亡くなっていれば過去形、存命なら現在完了形を用いるというルール。

Hän syntyi vuonna 1865.(彼は1865年に生まれた。)
Hän on syntynyt vuonna 1965.(彼は1965年に生まれた。)
【参考】フィンランド語学習記 vol.271 − 生まれる

それでは「亡くなる」の時制についてはどうなのでしょう?

Hän kuoli vuonna 1957.(彼は1957年に亡くなった。)

シベリウスのような有名人が亡くなったという事実を述べるときには過去形でも、家族について語るときのように亡くなったという事実が話し手の中に痕跡を残しているときには現在完了形を用いるなんていう用法があったら面白いのにと思います。

ただ実際には人が亡くなったという事実は、常に過去形を用いて、過去というフレームの中に収められていくということなのでしょう。

 
Yle Uutiset selkosuomeksi | Yle Uutiset | yle.fi

フィンランド語学習記 vol.669 − vaikea, vaikeus

vaikea

フィンランド語で「難しい」は vaikea。

フィンランド語の語法書『Tarkista Tästä』で vaikea のページを見ると、次のような例文が出ています。

VAIKEA(adj)

vaikea + V 1. inf Oli vaikea löytää halpaa asuntoa.
Vaikeinta oli myöntää omat virheeni.

 

安い住居を見つけるのは難しかった。
最も難しいのは自分の間違いを認めることだった。

『Tarkista Tästä』P.147

vaikea +動詞の原形で「〜するのは難しい」の意味になります。

例文に出てきた vaikeinta は vaikea の最上級 vaikein の単数分格の形。

原級 比較級 最上級
単数主格 vaikea vaikeampi vaikein
単数分格 vaikeaa
vaikeata
vaikeampaa vaikeinta

 

Vaikeinta oli myöntää omat virheeni.

この文でなぜ vaikeinta は分格になるのだろう?と考えてみたものの、すぐに答えは思いつきません。

 

vaikeus

フィンランド語で「困難」は vaikeus。

フィンランド語の語法書『Tarkista Tästä』で vaikeus のページを見ると、次のような例文が出ています。

VAIKEUS(subst)

vaikeus + V 1. inf Minulla oli vaikeuksia vastata kysymyksiin.

 

私は質問に答えるのが難しかった。

『Tarkista Tästä』P.147

vaikeus +動詞の原形で「〜するのが困難」の意味になります。

vaikeuksia は vaikea の複数分格の形。

単数主格 vaikea
複数分格 vaikeuksia

 

Minulla oli vaikeuksia vastata kysymyksiin.

この文でなぜ vaikeinta は分格になるのだろう?と考えてみたものの、すぐに答えは思いつきません。

 

まとめ

「難しい」を意味するフィンランド語の例文を見ていて、改めてフィンランド語の分格は難しいなあと思った、そんな話でした。

万が一、将来フィンランド語の達人になったとしても、分格だけは100%理解できないのではないか。。。そんな感覚があります。それはそれで仕方がないことだとは思うのですが。

フィンランド語学習記 vol.668 − palaveri

フィンランド語教室のテキスト『suomen mestari』を読み返していると、こんな一文が目に止まりました。

Palaverin jälkeen Jari kysyy, lähteekö Alex lounaalle.

Palaveri の後、ヤリはアレックスにお昼に行くかどうか尋ねる。

Palaveri の意味がわからなかったので、Wiktionary を調べてみると次のように出ていました。

palaveri

meeting; especially an informal one

「Wiktionary」

Palaveri はミーティングの意味。さきほどの文は「ミーティングの後、ヤリはアレックスにお昼に行くかどうか尋ねる」という意味だったんですね。

またこれを調べた際に面白いと思ったのが語源についての記述。

Etymology

From English palaver, from Portuguese palavra, from Latin parabola, from Ancient Greek παραβολή (parabolḗ).

整理するとこの単語は次のようなルートでフィンランド語に入ってきたことになります。

古代ギリシア語 παραβολή
ラテン語 parabola
ポルトガル語 palavra
英語 palaver
フィンランド語 palaveri

 

フィンランド語に入ってくるまでに、こんなに多くの言語を経由しているという事実にまず驚かされます。

英語の palaver という単語は聞いたことがなかったので、こちらも辞書で調べてみました。

palaver

(informal)

  1.  [uncountable, singular] (British English) a lot of unnecessary activity, excitement or trouble, especially caused by something that is unimportant
  2.  [uncountable] (North American English) talk that does not have any meaning; nonsense

「Oxford Advanced Learner’s Dictionary」

unnecessary activity とか、nonsense とか、これを見る限り英語の palaver にはネガティブなニュアンスがあるようです。

一方、フィンランド語の palaveri には、辞書の記述や用例を見る限り、そのような含意はなさそうに見えます。

こんな風に同じ系統の単語であっても、使われる言語によって微妙にニュアンスが異なるというのは面白い現象。やはりことばというのは生き物なのだということを再認識させられます。

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