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キリル文字を読む(1)

キリル文字を読めるようになりたい、そしてロシア語のイロハを学びたいと思い『ニューエクスプレスプラス ロシア語』を購入。

新しい語学のテキストを開くときは、いつもわくわくします。

さっそくキリル文字のアルファベット表を確認。

1 А а アー
2 Б б ベー
3 В в ヴェー
4 Г г ゲー
5 Д д デー
6 Е е イェー
7 Ё ё ヨー
8 Ж ж ジェー
9 З з ゼー
10 И и イー
11 Й й イー・クらートカエ
12 К к カー
13 Л л エル
14 М м エム
15 Н н エヌ
16 О о オー
17 П п ペー
18 Р р エる
19 С с エス
20 Т т テー
21 У у ウー
22 Ф ф エフ
23 Х х はー
24 Ц ц ツェー
25 Ч ч ちぇー
26 Ш ш シャー
27 Щ щ シシャー
28 Ъ ъ トヴョーるドゥイ・ズナーク
29 Ы ы ウィー
30 Ь ь ミャーふキイ・ズナーク
31 Э э エー
32 Ю ю ユー
33 Я я ヤー

 

Ж ж(ジェー)や Ш ш(シャー)のように見たことのない文字はそのまま覚えればよいのでまだ楽。

厄介なのは Н н(エヌ)や Р р(エる)のように英語にも存在するのに読み方が異なる文字でしょうか。

以下『ニューエクスプレスプラス ロシア語』を参照しながら一文字ずつ検証していきたいと思います。

 

A a

1 А а アー

 

А а(アー)は /a/ の音になります。

これはそのままですね。

 

Б б / В в

2 Б б ベー
3 В в ヴェー

 

В в(ヴェー)は /v/ の音、Б б(ベー)は /b/ の音になります。

Б б は覚えるしかないとして、В в の文字が /v/ の音になるのはやっかい。つい /b/ の音を出してしまいそうです。

бóрщ[ボーるシィ]ボルシチ
вáта[ヴァータ]綿

 

Г г

4 Г г ゲー

 

Г г(ゲー)は /g/ の音になります。

人が体を折り曲げて「げー」と吐いている姿を思い浮かべれば文字の形と音を結び付けられそうです。

гитáра[ギターら]ギター

 

Д д

5 Д д デー

 

Д д(デー)は /d/ の音になります。

何とか D d に見えるよう自己暗示をかけてみますが、どうしてもリラックスチェアにしか見えません。

Д д

 
今回はここまで。続きは明日のエントリーにて。

 

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フィンランド語学習記 vol.786 − ヘイノ・カスキ(6)

昨日に続いてフィンランドの作曲家ヘイノ・カスキに関する文章を読んでいきます。

Kaski piti yhdeksän sävellyskonserttia Helsingissä sekä muutamia muualla Suomessa.

Opintojensa jälkeen vuonna 1926 Kaski alkoi elättää itseään opettamalla pianonsoittoa ja laulua Sivistysjärjestöjen kansankonservatoriossa ja Helsingin kansakoulussa. Hän sai director musices -arvonimen vuonna 1941, ja hänet palkittiin Pro Finlandia -mitalilla 1950. Kaski kuoli Helsingissä samana päivänä kuin Jean Sibelius, 20. syyskuuta 1957.

カスキは9回の sävellyskonsertti をヘルシンキと他のいくつかの場所で開催した。

勉学の後、1926年にカスキは教育機関の国民音楽学校やヘルシンキの国民学校でピアノの演奏や歌を教えて生計を立て始めた。彼は1941年に director musices の称号を得た。そして1950年には Pro Finlandia のメダルを与えられた。カスキは1957年9月20日、ジャン・シベリウスと同じ日にヘルシンキで亡くなった。

Heino Kaski – Wikipedia

フィン
muutama some いくつかの
muualla elsewhere ほかのところで
opinnot studies 学習
elättää support 養う、食べさせる
sivistys civilization, culture, education 教育、教養、文明、文化
järjestö organization 組織
konservatorio conservatory 音楽学校
palkita award 賞を与える
mitali medal メダル

 

sävellyskonsertti

Kaski piti yhdeksän sävellyskonserttia Helsingissä sekä muutamia muualla Suomessa.

カスキは9回の sävellyskonsertti をヘルシンキと他のいくつかの場所で開催した。

ここに出てくる sävellyskonsertti という言葉の意味がよくわからず。

sävellys は「作曲」、konsertti は「コンサート」の意味ですが、sävellyskonsertti(作曲コンサート?)というのは何のことなのでしょう? 即興で作曲を行うイベントなのでしょうか?

 

ひとこと

カスキの評伝の中でもっとも有名なエピソードは、ジャン・シベリウスと同じ日に亡くなったということかもしれません。シベリウスのように華やかな人生ではなかったとしても、私たちの手元には素敵な作品が残りました。それ以上に何が必要なのだろう?とも思います。

フィンランド語学習記 vol.785 − ヘイノ・カスキ(5)

昨日に続いてフィンランドの作曲家ヘイノ・カスキに関する文章を読んでいきます。

1910-luvun alkupuolella Kaski sai neljästi valtion stipendin, ja sen turvin hän opiskeli sävellystä Berliinissä Paul Juonin johdolla vuosina 1911–1914. Maailmansota keskeytti opinnot, ja hän palasi kotimaahan vuosiksi 1914–1919 ja sai opetusta Palmgrenilta. Sodan jälkeen hän palasi Keski-Eurooppaan ja jatkoi sävellysopintojaan Otto Taubmannin johdolla ja tutustui myös ranskalaiseen säveltaiteeseen.

1910年代の初めに彼は国の奨学金を受け、それによって彼はベルリンでパウル・ユオンの指導によって1911年から1914年まで作曲の勉強をした。世界大戦によって学業は中断し、彼は1914年から1919年まで母国に帰り、パルムグレンに師事した。戦後、彼は中央ヨーロッパに戻り、オットー・タウプマンの指導によって作曲の勉強を続け、フランスの芸術音楽に親しんだ。

Heino Kaski – Wikipedia

フィン
neljästi four times 4回
turva protection 保護、安全
johto management 指揮、指導
keskeyttää interrupt 中断させる、妨げる
säveltaide music 音楽、芸術音楽
jatkaa continue 続ける

 

neljästi

1910-luvun alkupuolella Kaski sai neljästi valtion stipendin,

1910年代の初めに彼は国の奨学金を受け、

ここに出てくる neljästi の意味がよくわかりませんでした。

辞書通りに訳せば「4回」ということになるのですが、4回奨学金を受けたということで良いのか。。。どうも確信が持てず。結局、訳文からは消してしまいました。

 

ひとこと

ぱーっと読んでわかったつもりになっている文章でも、精読してみると実はわかっていないことが多々見つかります。ただ自分なりに調べ尽くしてわからないところは一旦わからないままにして先に進むしかありません。

フィンランド語学習記 vol.784 − ヘイノ・カスキ(4)

昨日に続いてフィンランドの作曲家ヘイノ・カスキに関する文章を読んでいきます。

Musiikinteoriaa hänelle opetti Ilmari Krohn, ja hän sai yksityisesti sävellysopetusta Erkki Melartinilta, Jean Sibeliukselta ja myöhemmin Selim Palmgrenilta.

音楽理論を彼に教えたのはイルマリ・クローンだった。そして彼はエルッキ・メラルティン、ジャン・シベリウス、後にはセリム・パルムグレンから個人的に作曲を教わった。

Heino Kaski – Wikipedia

フィン
teoria theory 理論
yksityisesti privately 個人的に
sävellys composition 作曲
myöhemmin later 後で

 

SVOO

Musiikinteoriaa hänelle opetti Ilmari Krohn,

音楽理論を彼に教えたのはイルマリ・クローンだった。

この文のような語順にフィンランド語らしさを感じます。

フィン musiikinteoriaa hänelle opetti Ilmari Krohn
music theory him taught Ilmari Krohn
音楽理論を 彼に 教えた イルマリ・クローンが

 

この文を英語に訳す場合、英語には SVOO(Ilmari Krohn taught him music theory.)という語順の制約があります。

一方、日本語に訳す場合、英語からの直訳風に「イルマリ・クローンが彼に音楽理論を教えた」と訳すこともできますし、フィンランド語のように「音楽理論を彼に教えたのはイルマリ・クローンだった」と訳すこともできます。

このあたりにフィンランド語と日本語の親和性の高さを感じます。

 

ひとこと

翻訳の仕事をしている訳ではないものの、フィンランド語をきれいな日本語に置き換えられたときにはちょっとした達成感があります。

フィンランド語学習記 vol.783 − ヘイノ・カスキ(3)

昨日に続いてフィンランドの作曲家ヘイノ・カスキに関する文章を読んでいきます。

Heino Kasken vanhemmat olivat lukkari, director cantus Daniel Kaski ja Anna Maria o.s. Alopaeus. Poika sai musiikinopetusta isältään ja oppi soittamaan viulua.

Kaski siirtyi kesken oppikoulun Sortavalan lyseosta Helsinkiin opiskelemaan musiikkia, aluksi urkurikoulussa ja sen jälkeen Helsingin orkesterikoulussa.

ヘイノ・カスキの両親はカントル(教会音楽家)であるダニエル・カスキとアンナ・マリア(旧姓アロペウス)であった。少年は父から音楽教育を受け、バイオリンの演奏を学んだ。

カスキは音楽を学ぶためソルタヴァラの中等教育学校を中退し、ヘルシンキに居を移した。最初はオルガン奏者養成学校、その後はヘルシンキのオーケストラ学校に通った。

Heino Kaski – Wikipedia

フィン
o.s.(omaa sukua) née 旧姓
opetus teaching 教育
siirtyä move 移る、動く
kesken unfinished 途中で
oppikoulu secondary school 中等教育学校
aluksi first 最初に
urkuri organist オルガン奏者

 

lukkari, director cantus

Heino Kasken vanhemmat olivat lukkari, director cantus Daniel Kaski ja Anna Maria o.s. Alopaeus.

ヘイノ・カスキの両親はカントル(教会音楽家)であるダニエル・カスキとアンナ・マリア(旧姓アロペウス)であった。

ここに出てくる lukkari, director cantus の意味がよくわかりませんでした。

director cantus については Wiktionary に次の説明が出ています。

director cantus

In Finland, an honorary title awarded by the cathedral chapter to a distinguished cantor, or by the president of the republic to other musician.

「Wiktionary」

これによると director cantus というのは「優れたカントルに贈られる名誉称号」とのこと。

ただこれを何と訳したらよいのか判断できず。

また lukkari はもともと教会の役職を示す言葉のようですが、カントルとの関係性がいまいちわかりません。全体として「カントル(教会音楽家)」というふわっとした訳にとどめる結果になりました。

 

ひとこと

ちょっと専門的な言葉が出てきたときの訳し方が難しいですね。。。

フィンランド語学習記 vol.782 − ヘイノ・カスキ(2)

昨日に続いてフィンランドの作曲家ヘイノ・カスキに関する文章を読んでいきます。

Pianominiatyyreista kenties tunnetuin on toivekonserttien suosikki Yö meren rannalla. Hän sävelsi myös sinfonian h-molli op. 16 vuonna 1919. Säveltäjä itse piti tätä teosta pääteoksenaan. Muita Kasken sävellyksiä ovat muun muassa viulu- (1920), sello- (1923) ja huilusonaatit (1937). Hän sävelsi yli sata yksinlaulua sekä yli sata pianokappaletta.

ピアノ小品のうち、おそらく最もよく知られているのは toivekonsertti で好まれる「夜の海辺にて」である。彼は1919年に「交響曲ロ短調」も作曲した。彼自身はこの作品を代表作とみなしていた。その他のカスキの曲には例えばヴァイオリン・ソナタ(1920)、チェロ・ソナタ(1923)、フルート・ソナタ(1937)がある。彼は100以上の歌曲と100以上のピアノ小品を作曲した。

Heino Kaski – Wikipedia

フィン
miniatyyri miniature ミニチュア
kenties possibly おそらく
tunnettu famous よく知られた、有名な
suosikki favorite お気に入り
pääteos main work 主要作品
muun muassa among other things 例えば
viulu violin バイオリン
sello cello チェロ
huilu flute フルート

 

toivekonsertti

Pianominiatyyreista kenties tunnetuin on toivekonserttien suosikki Yö meren rannalla.

ピアノ小品のうち、おそらく最も有名なのは toivekonsertti で好まれる「夜の海辺にて」である。

ここに出てくる toivekonsertti の意味がよくわかりませんでした。

toive は「希望」、konsertti は「コンサート」の意味ですが、toivekonsertti(希望コンサート?)というのは何のことなのでしょう?

 

ひとこと

手元にある舘野泉さんのCD『夜の海辺にて~カスキ作品集』には今回の文章に出てくる作品のうち「Yö meren rannalla(夜の海辺にて)」と「Huilusonaatti(フルート・ソナタ)」が収録されています。久しぶりに聞いてみると、しみじみと素敵な作品だなと思います。

 

夜の海辺にて~カスキ:作品集
舘野泉
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