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『外国語上達法』読書ノート − はじめに

大型書店の語学コーナーに行けば、外国語の学習法に関する本は選り取り見取り。

いったいどの本を選べばよいのか、迷ってしまう人も多いでしょう。

店頭に並んではすぐに消えていく本も多い中で、長年に渡って読み継がれているのがこの分野の古典的名著『外国語上達法』です。

著者の千野栄一さんは、スラブ系言語を専門とした言語学者で、言語に関する一般向けのエッセイも多数書いています。

奥付を見ると、初版が出たのが1986年。未だに店頭に並んでいるということは、この本の内容が古びていないということの何よりの証左でもあります。

私も過去に何度か読み直し、その度に新しい発見がありました。

本稿では、この『外国語上達法』を再度通読しながら、改めて感じたこと、考えたことなどを一章ごとにまとめていきたいと思います。

本書の目次は次のとおり。

1 はじめに(←本稿)
2 目的と目標
3 必要なもの
4 語彙
5 文法
6 学習書
7 教師
8 辞書
9 発音
10 会話
11 レアリア
12 まとめ

 

はじめに ー外国語習得にはコツがあるー

私は語学が苦手である。論より証拠、中学では英語でずっこけたし、旧制高校ではドイツ語でえらい苦労をした。そして、やっと入った大学は一年延長したにもかかわらず、専攻のロシア語でロシア文学を楽しむなどという醍醐味はついぞ味わったことがなかった。

P.2

私自身も、学生時代に英語が得意科目であったということはなく、語学そのものに本当に興味を持ったのは、大学を卒業した後のことでした。

それまではどちらかというと苦労して勉強してきたなあという印象が強いです。

しかし外国語を勉強していると、いわゆる「才能のある人」に出会うことがあります。

私がオーストラリアに滞在していたときのこと。ある日本人の女の子が高校を卒業後、語学学校で英語を学ぶためにオーストラリアにやってきました。

彼女はそれまで日本の学校教育以外で英語を勉強したことはなかったそうなのですが、渡豪数か月でネイティブスピーカーのように話しているのを聞いて驚嘆したことをよく覚えています。

本書でも、著者が過去に出会った様々な語学の天才たちのエピソードが紹介されています。

そんな中、ふつうの人である著者が何とか言語の専門家としてやってこられたのは、外国語学習のコツを知ることができたからだと語っています。

著者が本当にふつうの人であるかどうかはさておき、語学は一部の才能ある人のためだけのものではないと最初に認識することは大切なことではないでしょうか。

また外国語学習のコツを知ることとともに、著者が強調しているのは忘れることを恐れないこと。

ある人が「語学の習得というのは、まるでザルで水をしゃくっているようなものです。絶えずしゃくっていないと、水がなくなってしまいます。水がどんどんもれるからといって、しゃくうのを止めるとザルははぜてしまうのです」といっているが、これは真実であろう。

P.9

これは大人になってから本格的に語学に取り組んだことがある人にとっては、身に染みる例えではないでしょうか。

しかし年とともに記憶力が弱くなるのはやむを得ないこと。忘却には反復を以て立ち向かうより他ありません。

今、取り組んでいるフィンランド語でも、三歩進んで二歩下がることの繰り返しですが、繰り返すたびに一歩進んでいることもまた事実。その進歩を継続へのモチベーションとして、日々の学習に取り組んでいきたいと思います。

 

本章のまとめ

外国語の学習において大切なのは、

  • 学習のコツを知ること
  • 忘れることを恐れないこと

次回以降のエントリーでは、外国語学習の具体的なコツを探っていきたいと思います。

フィンランド語学習記 vol.72 − Learn Opposites

6月は単語力強化月間ということで、単語の暗記に力を入れています。

まずはこれまでに習った単語の整理と総復習に着手。

単語を覚えるときのコツとして、対義語をセットで覚えるというものがあります。

対にできるものはどんどん対にしてしまいましょう。

hyvä(よい) huono(悪い)
iso(大きい) pieni(小さい)
kallis(高い) halpa(安い)
kuuma(暑い) kylmä(寒い)
oikea(正しい) väärä(間違った)
vanha(古い) uusi(新しい)

 
このように単語を対にしてみると、曖昧だった記憶も整理され、それぞれの単語が収まるべきところに収まる感じがします。

これは単なる記憶法であり、文法の勉強をしている訳ではないので、対義語であろうとなかろうと、対にできるものはどんどん対にしてしまうという方法もあるでしょう。

kissa(猫) koira(犬)
musta(黒い) valkoinen(白い)
pöytä(テーブル) tuoli(イス)
suomalainen(フィンランドの) japanilainen(日本の)
tyttö(女の子) poika(男の子)
Kiitos.(ありがとう) Ei kestä.(どういたしまして)

 
「フィンランド語で猫は kissa と言います」と聞けば、「では犬は?」と聞きたくなるのが人情というもの。

このようにペアやグループをつくることで、脳内の語彙マップに秩序を保ちつつ、それを拡大していくことができます

単語帳や単語カードを作るときには、ぜひお試しください。

フィンランド語学習記 vol.71 − 別れの挨拶

photo credit: woodleywonderworks via photopin cc

To say goodbye is to die a little.(さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。)

というのは、レイモンド・チャンドラーの小説『ロング・グッドバイ』に出てくるセリフです。

今回は、人と別れるときのフィンランド語の挨拶を見てみましょう。

私が通っているフィンランド語教室でよく使うのは、Näkemiin(ナケミーン)という挨拶です。

これは少しだけ改まった表現なのだとか。

『フィンランド語が面白いほど身につく本』によると、フィンランド語には実にさまざまな別れの挨拶があるようです。

1. moi(モイ) カジュアル
2. moro(モロ)
3. moikka(モイッカ)
4. morjens(モリエンス)
5. heippa(ヘイッパ)
6. moido(モイド)
7. heido(ヘイド)
8. nähdään(ナフダーン) ニュートラル
9. näkemiin(ナケミーン) フォーマル

 
このうち1〜4は「こんにちは」と「さようなら」のどちらの意味でも使うことができるのだとか。

Moi!(こんにちは)
Moi!(さようなら)

日本語にはこのような表現はないので、ちょっと不思議な感じがしますね。

そもそも日本語の別れの挨拶は何があったかな?と考えてみると、

  • じゃあね
  • またね
  • バイバイ
  • お疲れ様(お疲れ)
  • さようなら(さよなら)
  • ごきげんよう

といったあたりでしょうか。

こうして書き出してみると、日本語にもさまざまな別れの挨拶があることがわかりました。

この中では「お疲れ様」というのが、日本語独特の表現なのかなと思います。

ちなみに「お疲れ様」を Google Translate で翻訳してみると、Cheers for good work. となりました。

これはいかにも作ったような言い回し。やはり対になる適切な表現がないのでしょう。

それでは本日もお疲れ様でした。Näkemiin!

 

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フィンランド語学習記 vol.70 − 所有文のつくり方②

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フィンランド語教室28週目のレポート。

この日は、前回習った所有文の復習。

[参考]フィンランド語学習記 vol.63 − 所有文のつくり方 | Fragments

所有文とは「〜を持っている、飼っている」などの意味を表す文です。

Minulla on kamera.(私はカメラを持っています。)

所有文は、所有者に当たる名詞を接格という形に変えて使います。主な代名詞の接格は下記のとおり。

主格(〜は) 接格(〜の上に)
minä minulla
あなた sinä sinulla
彼/彼女 hän hänellä
私たち me meillä
あなたたち te teillä
彼ら/彼女ら he heillä

 
minulla, sinulla のみ語尾の[-a]に点々が付きません。主格の minä, sinä には付いているのに!

これは慣れるまで間違えてしまいそう。

この接格を使って、次のような文をつくることができます。

Minulla on kissa.(私は猫を飼っています。)
Sinulla on koira.(あなたは犬を飼っています。)
Hänellä on papukaija.(彼はオウムを飼っています。)

また所有者には人の名前が来ることもあります。

Pekalla on tiikeri.(ペッカはトラを飼っています。)

トラ? 他に動物の名前が思い付かなかっただけです。すみません。

今回の授業では、このような所有文を含んだ文章をどんどん読んでいきました。

教科書の中から、スキットを1つ紹介してみましょう。

Minulla on nälkä.(お腹がすきました。)

− Niinko? Minulla on kassissa pari omenaa. Ole hyvä.(そうなの? カバンに2〜3個リンゴがあるよ。どうぞ。)

− Kiva. Kiitos.(すばらしい。ありがとうございます。)

− Onko sinulla myös jano?(のども渇いていない?)

− Ei. Minulla ei ole jano.(いいえ。のどはかわいていません。)

*nälkä(空腹)、kassi(カバン)、pari(2〜3の)、omena(リンゴ)、myös(〜もまた)、jano(のどの渇き)

何だか、すごく親切な人が出てきました。

リンゴをくれるだけではなく、のどの渇きにまで気を遣ってくれるとは。

教科書もこのあたりから会話らしい会話になってきて嬉しいのですが、これはまだ序の口。

先生曰く「もうすぐ動詞が本格的に出てくるから、今のうちにこれまで習った単語をしっかり覚えておきましょう!」とのこと。

6月はとにかく単語をしっかり復習したいと思います。

カフェオレとカフェラテの違いとは?

カフェオレとカフェラテの違いとは何でしょう?

似たような飲み物でありながら、多くの喫茶店では両方ともメニューにのっています。

それぞれ語源から調べてみると、カフェオレはフランス語、カフェラテはイタリア語だということがわかりました。

café au lait(カフェオレ)
*café(コーヒー)、au(前置詞+定冠詞)、lait(牛乳)
caffè latte(カフェラテ)
*caffè(コーヒー)、latte(牛乳)

文法的には、前置詞の有無が異なるだけです。

日本ではこの二つが区別されていないケースもあるものの、正確にはカフェオレはコーヒー、カフェラテはエスプレッソを使うという違いがあるそうです。

と言われても、そもそもコーヒーとエスプレッソの違いがわからないという人もいるでしょう。

はい、私もその一人です。

調べてみたところ、コーヒーとエスプレッソという別々の飲み物があるのではなく、コーヒーの一種をエスプレッソと呼んでいるとのこと。

エスプレッソマシンもしくは直火式のマキネッタという専用の器具を用いて、深煎りの微細に挽いたコーヒー豆をカップ型の金属フィルターに詰めて、9気圧の圧力と約90℃の湯温で20から25秒の抽出時間で約1オンス(30ml)のコーヒーを抽出したもの。

Wikipedia「エスプレッソ」より

ずいぶん厳密な定義ですが、簡単に言えばエスプレッソというのはいわゆる濃いコーヒーということになります。

しかしカフェオレとカフェラテを飲み比べると、エスプレッソを使っているカフェラテの方が味が薄く感じませんか?

これは単にカフェラテの方がミルクの割合が多いということのようです。

お店にもよりますが、カフェオレはコーヒーとミルクの割合が5:5、カフェラテはエスプレッソとミルクの割合が2:8くらいが標準なのだとか。

以上、長年の疑問が氷解したというお話でした。

語学の達人たち vol.1 − ジュゼッペ・ガスパロ・メゾファンティ

きのうのエントリーで一言だけ触れた語学の達人、メゾファンティ枢機卿について少し紹介してみたいと思います。

ロンブ・カトーさんの『わたしの外国語学習法』によると、彼は生まれ故郷のイタリア・ボローニャから一歩も出ることなく、70か国語を使えるようになったとのこと。

まさに語学の達人と言えるでしょう。

いったいどんな方法で70か国語もの言葉を身に付けたのでしょうか。

メゾファンティは身分の低い家庭に生まれたが、幼少期から優れた記憶力と音感を持ち合わせ、特に外国語習得に関しての才能は並外れたものだった。

メゾファンティは、ボローニャにある子供たちに信仰や文字の読み書きなどを教える学校 (Scuole Pie) に通い、教皇領からやって来た多くのイエズス会宣教師と交流した。彼らと会話を交わすうち、スウェーデン語、ドイツ語、スペイン語、その他南米各地のさまざまなスペイン語方言をすぐに覚えてしまった。

Wikipedia「ジュゼッペ・ガスパロ・メゾファンティ」より

こうしてみると、やはり語学には才能という絶対領域があることがよくわかります。

この語学の才能を買われ、メゾファンティは神学の道に進むことになります。

当時のイタリアは戦乱のさなかにあり、ボローニャの病院には世界各国の負傷兵が担ぎ込まれていました。

メゾファンティは、彼らを慰問し交流を深めることで、さらに新しい言語を身に付けていったそうです。

ボローニャから一歩も出なかったとは言っても、書物だけではなく、さまざまな人との出会いから外国語を学んだということなのですね。

ところで気になるのは、彼が最終的に使えるようになったという70か国語の内訳です。70には足りないようですが、Wikipedia には下記のような一覧ものっていました。

ほぼ完璧に話し、書くことのできた言語

ヘブライ語、アラビア語、カルデア語、コプト・エジプト語、古典アルメニア語、アルメニア語、ペルシア語、トルコ語、アルバニア語、マルタ語、古代ギリシア語、ギリシア語、ラテン語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、ドイツ語、スウェーデン語、英語、ロシア語、ポーランド語、チェコ語、ハンガリー語、中国語、シリア語、ゲエズ語、アムハラ語、ヒンドゥー語、グジャラート語、バスク語、ルーマニア語他。

話さないが、読解が可能だった言語

サンスクリット、マレー語、チベット語、アイルランド語、サーミ語、ルーシ語、フリジア語、ラトビア語、ラトビア語、コーンウォール語、ケチュア語、バンバラ語

ヨーロッパの言語が多いのは当然として、驚くべきは中国語が「ほぼ完璧」のカテゴリーに入っていることでしょうか。

またこちらのリストを見ると、日本語も少しできたとのこと。

こんな人がもし同時代にいたら、ぜひ一度話してみたいものだと思います。

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