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フィンランド語が簡単だと思える4つの理由

先日、あるコラムを読んでいたら、世界一難しい言語の一つとしてフィンランド語が紹介されていました。

これを読んだ率直な感想は「フィンランド語ってそんなに難しいかな?」というもの。

たしかに語形変化は複雑ですが、他の面ではむしろ易しいと感じることもあります。その理由を主に英語との比較においてまとめてみました。

 

冠詞がない

フィンランド語には英語の a, the に当たる冠詞がありません。

日本語のように冠詞をもたない言語を母語とする学習者には、大変ありがたい特徴ですね。

 

音と文字が1対1対応

英語では apple の[a]は「ア」、make の[a]は「エイ」と発音します。また enough や Wednesday のように音と文字が乖離した単語もたくさんあります。

しかしフィンランド語では、音と文字は1対1の対応。[a]はいつでも「ア」と発音するため、ローマ字と同じように読むことができます。これは本当に楽。

 

ストレスの位置が一定

フィンランド語の単語はすべて第一音節にストレス(強勢)があります。

しかし英語では、ストレスの位置が単語によって異なりますし、present のようにストレスの位置によって意味まで変わってしまう単語もありますね。

 

文法性がない

多くのヨーロッパ言語と異なり、名詞に「男性名詞・中性名詞・女性名詞」などの区別がありません。

フランス語やロシア語に取り組んだことがある人なら、このありがたみがわかることと思います。

 

以上、フィンランド語が簡単だと思える4つの理由をまとめてみました。こうしてみると、フィンランド語は日本人にとって決してハードルの高い言語ではないと思います。

きっかけがあったら、ぜひ挑戦してみてください!

字幕なしで映画を楽しむという語学の目標について

photo credit: StormPetrel1 via photopin cc

語学の目標としてよく挙げられるのが「字幕なしで映画を楽しめるようになりたい」というもの。

個人的にはこの「字幕なしで映画」という目標はなかなか曲者だと感じています。率直に言って、ネイティブスピーカーと普通に日常会話ができるようになるという目標より、難易度は高いのではないでしょうか。

なぜそのようなことになるのか、少し考えてみました。

 

相手に合わせて話してくれないという問題

あなたがある言語を学習していて、その言語のネイティブスピーカーと1対1の会話をする場合、相手はこちらのペース・理解度に合わせてくれます。

時にはネイティブスピーカー自身がそのことを自覚していないこともあるのですが、壁に向かって話しているのではない限り、そこには必ず何らかの二者間調整が働いています。

そこであなたが話の内容を理解していなければ、表向きには理解しているようなそぶりを見せても、どこかで相手に伝わってしまうものです。

またそれが伝わっているのに、それを配慮せず相手が一方的に話し続けるということも普通はないでしょう。しかし映画の中の登場人物は、当然ながら観客と会話をしている訳ではないので、そのような二者間調整はいっさい働きません。

 

訛りとバリエーションの問題

もう一つの要因は、多くの映画で話されている言語の多くはいわゆる「標準語」ではないということです。

英語の例で考えてみても、多くのリスニング教材で使われている英語と映画の登場人物が話す英語はかなり異なります。

現在のTOEICテストではアメリカ英語だけではなく、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド英語も使われていますが、それでも映画の中で使われる生の英語と比べれば、ずいぶん標準的な英語と言えるでしょう。

昔、ニュージーランドの映画館でスコットランドの映画を観たとき、なんとそこでは字幕が使われていました。ニュージーランダーには、Scottish English は少々難易度が高いという訳です。

英語一つを取ってみても、それほどのバリエーションがあるのだということを、ノンネイティブの私たちも頭の片隅に置いておくべきでしょう。

 

そんな訳で、字幕なしで映画を楽しむというのはかなり高い目標なのだと思います。しかし、だからと言って諦めた方がよいなどと言うつもりはありません。

高い目標なんだということを自覚した上で、学習をすすめていけば必ず達成できるはずです。

ここで注意したいのは完璧主義になってはいけないということ。というのも映画の場合は、たとえ8割程度の理解でも十分に楽しむことができるからです。

(私の経験では『スター・ウォーズ』なら、英語は5割くらいの理解でも何とかなりました。)

好きな作品を原語で理解したいという目標は何より学習のモチベーションになりますし、ある程度学習を積み重ねたらぜひ積極的にチャレンジしていきましょう。

フィンランド語学習記 vol.50 − 愛すべき副詞たち

春休みが終わり、来週からまた新年度のフィンランド語教室が始まります。

そこで教科書の内容を始めから総復習してみました。意味を忘れてしまった単語があったら、辞書で調べるのですが、途中から忘れている単語にある共通点があることに気付きました。

それは「副詞」であるということ。例えば、このような単語たちです。

aina いつも
ehkä たぶん
esimerkiksi 例えば
ihan 全く
liian あまりにも
molemmat 両方とも
siis つまり
sitten それでは
tavallisesti 通常は
tietenkin もちろん
usein しばしば
varmasti まちがいなく

 
名詞や動詞は意味がわからないと文全体の理解に支障がありますが、副詞は読み飛ばしても何とかなってしまうため、ついつい覚えるのが後回しになってしまいます。

フィンランド語の副詞は名詞・動詞・形容詞と違って全く語形変化しないという学習者孝行な単語だというのに、適当に扱ってしまい大変申し訳ないことをしました。

とはいえ、副詞は似たような意味の単語が多く混乱してしまうこともまた事実。例えばフィン・英辞書を引いてみると、siis の意味は so, then と出てきますし、sitten の意味は then, next と出てきます。

どちらにも then が入っているため、違いが明確にわかりません。おそらく意味の重なる部分と異なる部分があるのでしょう。

いずれにせよ、普段はあまり目立たないこの副詞たち。この機会にもう一度、復習したいと思います。

ジェスチャーと学びの関係

ミシガン州立大学のホームページで、数学の授業において教師がジェスチャー(手ぶり)を使用すると、学生の理解力を高めるとの研究結果が発表されています。

Teachers’ gestures boost math learning | MSUToday | Michigan State University

Students perform better when their instructors use hand gestures – a simple teaching tool that could yield benefits in higher-level math such as algebra.

(教師が手ぶりを使用すると、学生のパフォーマンスは向上する。手ぶりは、代数など高いレベルの数学に貢献しうる、シンプルな授業道具である。)

上記のコラムによると、アメリカの教師は他国の教師よりも手ぶりを使用する機会が少ないとのこと。

ステレオタイプ的なイメージかもしれませんが、アメリカの人はオーバーアクションというイメージがあったので、これは少し意外。

アメリカの学校に通ったことはないものの、これまでにお世話になった先生の授業を振り返ると、話に引き込まれる先生というのは、たしかに手ぶりを使っていたことが多かったような気がします。

とはいえ、この研究はあくまで数学の話なので、英語や他の科目に応用できるのかどうかはわかりません。

しかし教師でなくても、プレゼンテーションなど人前で話す機会のある人には参考になる話ではないでしょうか。

プレゼンテーションと言えばすぐに名前が挙がるこの人も手ぶりを多く使っていたようですし、次に人前で話す時には意識してみようと思います。

楽天の英語公用化についてひとこと

4月は新しい生活を始める季節。あちこちで入学式や入社式が行われています。そんな中でこんなニュースも。

楽天 すべて英語で入社式 NHKニュース

楽天は、ネット通販などの事業の国際化を進めるため、3年前から会社の中のやり取りを英語で行うようにしており、新入社員には高い英語力が求められています。
1日の入社式の進行もすべて英語で行われ、三木谷社長は「すべてがダイナミックで変化のスピードが速く競争も激しいなかで、積極的に学び努力を惜しまない姿勢を忘れないようにしてほしい」と新入社員を激励しました。

こういった英語の使用推進については、様々な立場から様々な意見があると思います。どちらかと言えば否定的な意見の方が多いかもしれません。

教育畑の人間としては、これを壮大な実験と考えたら面白いのではないかと思っています。

例えば第二言語習得の研究でこれほどの規模の実験を行うことは到底不可能ですし、これで社員の英語力がぐんぐん伸びるようなら、日本の英語教育そのものに一石を投じることになるのではないでしょうか。

ただし効果を証明するにはこの新入社員のみなさんが、その後どのように英語力を伸ばしたのかきちんと測定しなければなりません。

いずれにせよ渦中にある人は大変だと思いますが、ぜひ頑張ってもらいたいものです。

また語学マニアの人間からすると、こんな環境を与えてもらえるなんてうらやましいと思ってしまうのですが、あまりそういうことを言うと怒られてしまうでしょうか。

Opening lines − from Wikiquote

Wikiquote は著名な人々の言葉や作品からの「引用」を集めたウェブサイトです。

その中の一項目 Opening lines では様々な小説の書き出しを集めています。いくつか紹介してみましょう。

 

Anna Karenina by Leo Tolstoy

Happy families are all alike; every unhappy family is unhappy in its own way.

幸福な家族は全て似ているが、不幸な家族はそれぞれのやり方で不幸である。

『アンナ・カレーニナ』のオープニング。こんな鋭いことを言われては、返す言葉がありません。「家族」を他のことばに置き換えて読むこともできそうですね。

 

The Great Gatsby by F. Scott Fitzgerald

In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.

ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけれど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。(野崎孝訳)

『グレート・ギャツビー』の有名なオープニング。その忠告とはどんなものなのか気になるのでもう一文。

“Whenever you feel like criticizing any one,” he told me, “just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.”

「ひとを批判したいような気分が起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思いだしてみるのだ」(野崎孝訳)

『グレート・ギャツビー』は大学生のときに、野崎孝さんの訳(新潮文庫)で初めて読みました。今は中央公論新社から村上春樹さんの訳も出ています。

小説を読み終えて振り返ってみると、この最初の二行が、小説の世界観そのものであることに気が付きます。

 

Little Women by Louisa May Alcott

“Christmas won’t be Christmas without any presents,” grumbled Jo, lying on the rug.

「プレゼントのないクリスマスはクリスマスじゃない。」ジョーは絨毯の上にころがってぶつくさと文句を言った。

こちらは『若草物語』。全く何ということもないこのオープニングが好きです。「クリスマス ウォウンビィー クリスマス」という音の響きも楽しいですし、なんだか、これから何か素晴らしいことが起こる予感を感じませんか?

小説の最初の一節というのは、時にその小説全体の印象を反映しているようなところもあります。

翻訳であれ、原書であれ、自分がこれまでに読んだ小説の Opening lines を改めて読み返してみるのも楽しい作業かもしれません。

 
Opening lines – Wikiquote

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