ここから富士山は見えない
今日は昨日のエントリーの続き。というかスピンオフのような内容です。
昨日取り上げた例文とその否定形について考えてみましょう。
Täältä näkyy Fujivuori.(ここから富士山が見える。)
Täältä ei näy Fujivuori.(ここから富士山は見えない。)
Täältä ei näy Fujivuori.(ここから富士山は見えない。)
今日注目したいのはフィンランド語ではなく日本語訳の方。
特に意識して使い分けた訳ではないのですが、肯定文は「富士山が」と訳したのに対して、否定文は「富士山は」と訳しました。
この「が」と「は」を入れ替えるとどのようになるでしょう?
ここから富士山は見える。
もちろん日本語としては間違っていません。ただここには、例えば「本当は他の山が見たかったのにその山は見えず、代わりに富士山なら見える」というようなニュアンスが含まれるような気がします。
ここから富士山が見えない。
おそらく日本語ネイティブならこの文に微妙な違和感があることに同意してもらえると思います。しかしこの違和感の理由を論理的に説明するのが難しい。。。とにかく何かが微妙にずれているのです。
少なくともフィンランド語と英語においては、このような使い分けを考える必要はありません。
フィン | Täältä näkyy Fujivuori. Täältä ei näy Fujivuori. |
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英 | We can see Mt. Fuji from here. We cannot see Mt. Fuji from here. |
日 | ここから富士山が見える。 ここから富士山は見えない。 |
日本語を外国語として学んでいるフィンランド語ネイティブ・英語ネイティブに、
どうして「ここから富士山は見える」「ここから富士山が見えない」は不自然なの?
と聞かれたらどのように説明するべきでしょうか?