「私的」には賛成なんだけど。。。

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てき【的】

…最近、「わたし的には~」「ぼく的には~」という若い人が増えて批判の対象となった。これは「わたしは~」「ぼくは~」と直截に言うのを避けた言い方である。「わたしとしては~」「ぼくとしては~」とぼかした表現で、「個人的には~」「将来的には~」などと同じ用法と見てよい。

デジタル大辞泉

最近気になっているのが、この「○○的」という表現。

私的には賛成なんだけど。。。

この「私的には賛成」という表現は、いったいどのようなメッセージを伝えているのでしょう?

  • 私は賛成なんだけど、みなさんが反対ならこだわりはない。
  • 私は賛成なんだけど、会社的にはNGだろう。
  • 私は賛成なんだけど、内閣総理大臣という公の立場としては反対せざるをえない。
おそらくはこんな感じに「私」というものを弱めているのだろうと思います。

ただそれなら奥ゆかしく好感の持てる表現になるはずなのに、どうにも歯痒いこの感じは何なのでしょう?

考えてみると、この表現には「責任の回避」というニュアンスが含まれていることに気が付きます。

  • 私は賛成だったのに、みなさんが反対というから。。。
  • 私は賛成だったのに、会社がNGというから。。。
  • 私は賛成だったのに、内閣総理大臣という立場だったから。。。
こんな気持ちが言葉の裏側に貼り付いているから、違和感のある表現になってしまうのかもしれません。

この「○○的」という表現、あなた的にはどう思いますか??