「始終」と「終始」の違いとは?
輪廻転生を信じるのでなければ、あらゆる物事には始まりと終わりがあります。
それでは物事の始まりと終わりを意味する「始終」、終わりと始まりを意味する「終始」には意味の違いがあるのでしょうか?
まずは国語辞書を引いてみましょう。
しじゅう[始終]〔=はじめとおわり〕
一(名)〔文〕はじめからおわりまで(の全部)。
「事のーを明らかにする」
二(副)いつも。しょっちゅう。
「ーうわさする」
「三省堂国語辞典 第七版」
しゅうし[終始](副・自サ)〔=おわりとはじめ〕
①はじめからおわりまで。常に。
「ー一貫〔=最後まで同じ調子で〕」
②はじめからおわりまで同じ調子であること。
「低調な試合にーした」
「三省堂国語辞典 第七版」
ここから読み取れる「始終」と「終始」の違いを以下にまとめてみます。
終始は「終始する」という動詞としても使われる
終始は「終始する」という動詞としても使われます。
この場合「低調な試合に始終した」とは言えません。
始終には「全部」の意味がある
始終には「全部」という意味があります。
この場合「事の終始を明らかにする」とは言えません。
始終には「いつも」の意味がある
始終には「いつも」という意味があります。
この意味の始終は終始に置きかえることもできそうなのですが、比べてみると両者には異なる意味があることがわかります。
「終始うわさする」
この場合、始終は複数の機会にいつもうわさをするというイメージですが、終始はある一つの機会においてはじめからおわりまでずっとうわさをしているというイメージでしょう。
よって、
- 始終=いつも
- 終始=ずっと
と置きかえると違いがわかりやすいかもしれません。
まとめ
以上、一見似ている日本語の「始終」と「終始」には明確な意味の違いがあるということがわかりました。
漢字が入れ替わっただけなのに、このような意味のズレが生じてしまうというのは面白い現象。
日本語のふしぎの一つではないでしょうか。
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カテゴリ: 辞書/辞典/その他, 教育
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