『外国語をはじめる前に』黒田龍之助著

第二言語習得におけるモチベーション研究の嚆矢となった Gardner and Lambert (1972) では外国語を学ぶモチベーションを integrative motivation と instrumental motivation の両面から分析しています。

おおまかに定義すれば、integrative motivation(統合的動機)とは、その外国語が話されているコミュニティ自体に帰属したいというモチベーション。一方、instrumental motivation(道具的動機)とは、その外国語を試験やビジネスに役立てたいというモチベーションと言えるでしょう。

これらは相反する要素という訳ではなく、一人の学習者の中に共存していることもあるはずです。

現代のモチベーション理論はもっと複雑で、必ずしも上記の二項に帰せられる訳ではありませんが、外国語学習のモチベーションを考える上ではしばしば言及される古典的な理論です。

しかし英語や中国語といった言語であれば、このような視点から学習者の胸中を忖度することもできるのですが、これがフィンランド語やエストニア語となるとどうでしょう?

そのような言葉を学んでいる人がいれば、なぜその言葉を選んだのですか?と真っ先に聞いてみたいところです。どんな気持ちで学習を続けているのですか?どんな目標を持っているのですか?ということも。

さて、そんなことを考えながら黒田龍之助さんの「外国語をはじめる前に」という本を読みました。

外国語をはじめる前に (ちくまプリマー新書)
黒田 龍之助
筑摩書房
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この本は中高生対象の新書シリーズ・ちくまプリマー新書の一冊で、外国語に興味がある中学生・高校生を対象に言語学の基礎を紹介するための本です。実際、ことばに興味がある人なら立ち止まって考えてみたくなるような言語学的なトピックがたくさん紹介されています。

そして、この本の特徴は著者の教え子である大学生の声(レポート)がたくさんのっていること。例えば、カンボジア語やウルドゥー語を専攻する学生が、自分の専攻言語について自分の言葉で様々な視点から語っています。これがとてもおもしろい。

ポルトガル語専攻の学生が[ç]の発音について巧みな比喩で説明したり、ラオス語専攻の学生が自作の辞書について語ったりする、そのこだわりや熱い語り口に共感してしまうのです。

外国語は英語だけじゃないよなと思っている学生さんや、少数言語(この言い方は好きではないですが)を学んでみたいと思っている人にはおすすめの一冊です。

また多言語学習を支持する本ではいわゆる「英語帝国主義」に対する批判がなされることも多いのですが、著者の英語に対するスタンスは非常にクールです。少々長いですが引用してみます。

世間では過剰なまでに重要視され、学校では試験や成績と関係してくる英語。外国語にはいろいろ興味があるけれど、この英語だけはどうも好きになれない。そういう人もいるだろう。

だが、英語を嫌ってはいけない。

冷静になってほしい。あなたが嫌いなのは、英語ができないと人生真っ暗のように脅迫する教師や、ちょっとばかり英語ができるだけで妙に威張るクラスメートではないか。・・・(中略)・・・

大切なのは、英語で必要な情報が得られることである。本でも辞書でも、あるいはインターネットでもいいけれど、英語を読んで理解する実力がほしい。

P182

このくだりを読んで、そうそう確かに英語自体は何も悪くないのだ、と思いました。

現代の日本における英語の位置付けはどこかいびつなものではあるけれど、それは英語自体とは何の関係もないことです。一介の言語好きとしては、英語も他の言語と同じように愛すべき対象であり、英語ができればそこから他言語へのアクセスも格段に便利になるということもまた事実。過度に英語一極主義になったり、アンチグローバリズムを英語批判に結びつけたりすることなく、このように冷静なスタンスでいたいものだと思い直したのでした。