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日本語

「予測」と「先入観」の違いとは?

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ある大学のある入試問題で次のような問題が出されたのだそうです。

「予測」と「先入観」は何が違うのか?

しばらく考えてみたものの、アタマの中がぐるぐる回ってよくわからず。

まずは辞書の語義を見てみましょう。

よそく【予測】

根拠にもとづいて、前もっておしはかること。

「角川必携国語辞典」

せんにゅうかん【先入観】

実際に見聞きする前に頭の中にできあがった、思いこみやイメージ。客観的な観察や判断をさまたげる。

「角川必携国語辞典」

予測は動的で、先入観は静的ではあるものの、どちらもこの世界を何らかの方法で「認識」するという点は同じ。

それでは予測と先入観は認識の仕方において、いったいどのような違いがあるのでしょう?

例えば「私は彼女も友人もいないので、今年のバレンタインデーにはチョコレートをもらえないだろう」と言う人は、チョコレートがもらえないということを「予測」しているのだと思います。

一方「私は何の魅力もない人間なので、一生バレンタインデーにはチョコレートをもらえないだろう」という人は、ある種の「先入観」に囚われているように思えます。

つまり先入観というのは妥当性に欠ける、ネガティブな認識であるということは言えるでしょう。

ただ結局これは結果論なのであって、もし本当にその人が何の魅力もない人間で、一生バレンタインデーにチョコレートをもらえなかったなら「私は何の魅力もない人間なので、一生バレンタインデーにはチョコレートをもらえないだろう」というさきほどの言説は先入観ではなくなるのかもしれません。

だとすると、今、この瞬間にあなたの思い描く世界が予測であるのか先入観であるのか、いったい誰が判断できるのでしょう?

 

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「そ」の書き方

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「そ」というひらがなには二通りの書き方があります。

一つは最初の横棒を次につなげる書き方。もう一つは最初の横棒の代わりに斜めに点を打つ書き方。

ここでは前者のそを「つなげるそ」、後者のそを「点を打つそ」と呼ぶことにしましょう。

この「そ」の書き方については、一つ思い出があります。

もともと私は「つなげるそ」を書いていたのですが、中学生の頃、友人が「点を打つそ」を書いているのを見て「この書き方、何だかかっこいい」と思い、それを真似するようになったのでした。

それ以来、ずっと「点を打つそ」を書いています。

おそらく今の小学校では「つなげるそ」を習うのだと思いますが、現在流通している日本語フォントを見てみると「点を打つそ」もそれなりに使われています。

特にどちらかが規範になっているということはなく、昔の私がそうだったように好みに応じてどちらを選んでも構わないのだと思います。

「そ」の書き方なんて意識したことがなかった!という人は、周囲の人がいったいどちらの「そ」を使っているのか観察してみるのも面白いかもしれません。

ちんちくりん、つんつるてん

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辞書をめくっていると、自分では決して使わないけれども、親が使っていた(使っている)単語に出会うことがあります。

そんなときには懐かしさとともに、思いがけない拾い物を見つけたような気持ちになります。

先日もそんな単語を見つけました。

ちんちくりん

  1. 背たけの低いことをあざけっていうことば。
  2. 背たけに比べて着物が短いこと。つんつるてん。

「角川必携国語辞典」

つんつるてん

着物のたけが短くて、手足が長く出てしまうようす。「ーのズボン」

「角川必携国語辞典」

ウチの家では「ちんちくりん」というのは聞いたことがなく、「つんつるてん」がよく使われていました。

もしかしたらこの日本は「ちんちくりん」の地域と「つんつるてん」の地域に分かれているのかもしれません。

あなたの地域では、どちらが使われていましたか?

どちらも聞いたことがない? 。。。残念ながらそういう若い人も多いのかもしれません。

捨て去るには惜しい日本語なので、できることなら次の世代に受け渡していきたいものです。

「日差し」と「陽射し」の違いとは?

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「今日はひざしが強いなあ」などと言う時の「ひざし」という単語を漢字に変換しようとすると「日差し・陽射し」という二つの候補があることがわかります。

この二つの違いはいったい何でしょう?

気になったので調べてみましたが、このような使い分けというのは国語辞典にも漢和辞典にものっていません。。。よって自由に想像してみることにしました。

まず一つ目は季節の違い。「日差し」には夏の太陽、「陽射し」には冬の太陽のようなイメージがあります。

二つ目は光の範囲の違い。「日差し」にはカーテンの隙間から入ってくるような、「陽射し」には燦々と降り注ぐようなイメージがあります。

いずれにしても個人的には「日差し」よりも「陽射し」の方がありがたいように感じるのですが、みなさんはどのように感じられるでしょうか?

あるいは真夏のうだるような日に考えたら、全く違ったイメージが湧いてくるのかもしれません。

なお二つの表記を Google 翻訳で英訳してみると、次のような違いが。

日差し → sunlight
陽射し → sunshine

この違いはさきほど考えた使い分けともつながるところがあって、「そう言われてみれば、そうかもしれない」と納得させられてしまいました。なかなかやりますね、Google 翻訳。

赤の他人

赤という色から連想するイメージといえば、情熱であったり、怒りであったり。

いずれにしてもとても強い色という印象があります。

そんな赤はときどき「あの人は赤の他人だ」のように慣用表現の中に姿を表すことがあります。

なぜ青の他人や白の他人ではなく、赤の他人と呼ばれるのでしょう?

辞書には次のような語義がのっていました。

あか【赤】

〔多く接頭語的に〕それ以外の何物でもないことを表す。「ー〔全く〕の他人/ー恥・ー裸」

「新明解国語辞典 第七版」

赤の他人などと言うときの赤は強調の接頭辞として使われています。

上記語義の用例にものっている「赤っ恥」や「真っ赤な嘘」なども同じような使い方。

一つ気になるのはどれもネガティブな意味ばかりで、ポジティブな意味で使われている例が見つからないということ。

他人・恥・嘘のようにもともとネガティブな意味合いの単語に付いているので当然と言えば当然なのですが、一つくらいポジティブな表現はないものでしょうか。

例えば、赤の真実とか赤の勇気のような表現が見つからないのは、ちょっと不思議な感じもします。

 
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寄る辺なさのようなもの

photo credit: before summer via photopin (license)

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漢数字だけで成り立っている四字熟語はあるだろうか?

と思って調べてみたら、たった一つだけ見つけることができました。

三三五五

あちらに三人、こちらに五人というように、集まっているさま、歩いてゆくさま。また、物が散在している様子。

「四字熟語の時点」

調べてみると、この三三五五という表現は、李白の「採蓮曲」という詩の一節に由来するのだそう。

春の川辺にやって来て、やがて立ち去っていく若者たちの様子を三三五五と表現しています。

それにしても、なぜ李白は三と五という数字を選んだのでしょう?

これは想像に過ぎませんが、もし二や四という偶数を使うと、何となくカップルや家族を想像してしまうような気がします。

そこで三や五という奇数を使うことで、若者たちの寄る辺なさのようなものを表現しようとしたのかもしれません。

もちろん真実はわかりませんが、この数字の並びからそんなことを想像してしまいました。

 
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