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日本語

「うんともすんとも」の「すん」とは何か?

「うんともすんとも」というときの「すん」というのは何だろう?

そんな疑問を抱いたことがある人は多いのではないでしょうか。

先日、辞書をめくっていたらその答えを偶然見つけました。

すん

〘感動〙 軽くうなずき、承知した意を表わす語。「うん」に対し、声にならない軽い息づかいを示す。「うんともすんともいわない」

「精選版 日本国語大辞典」

なるほど! すんにはこんな意味があったんですね。

ただそもそも「すん」ということばが「うんともすんとも」から離れて単独で使われることはあるのでしょうか?

お母さん:わかった?
男の子:すん。

などという会話は見たことも聞いたこともありません。

そんな疑問を抱えつつ、改めて辞書で「うんともすんとも」を引いてみました。

うんともすんとも

(「すん」は「うん」に語呂ごろを合わせたもの。下に打消の表現を伴って用いる。一言の反応もないさまにいう) なんの一言も。いいともいやだとも。ああだともこうだとも。うんともすっとも。

語誌 「すん」は、何も発言のないことを強調するためにつけられたもの。「うんともすっとも」という言い方もあったが、ポルトガル語で「ウン」は一、「スン」は最高点を意味するといわれる「ウンスンカルタ」が当時流行していたことによるとする説があり、また、鼻から出す声と息の音という説もある〔江戸語大辞典〕。

「精選版 日本国語大辞典」

ウンスンカルタの語源はさておき、ここには「すん」は「うん」に語呂ごろを合わせたものという説明が出ています。

ここから「すん」の成り立ちを考えると、もともと「すん」ということばがあって、それが「うんともすんとも」に取り入れられたのではなく、まず「うんともすんとも」という表現があり、そこから「すん」ということばが取り出されたと考える方が自然でしょう。

だとすると、冒頭に紹介した「すん」の意味は後付けということになります。

「うんともすんとも」から離れた「すん」単独の用例があれば面白いのですが、見つけるのは難しいでしょうか。

 
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爆笑するのに必要な人数とは?

三国で「爆笑」という単語を引いたときに気になる注釈を見つけました。

ばくしょう[爆笑]

ふき出すように大きく笑うこと。

「さむらいが大口をあけてーした・会場がーのうずになる」

〔笑う人数が問題にされることが多いが、もともと、何人でもよい〕

「三省堂国語辞典 第七版」

気になったのは最後の「笑う人数が問題にされることが多いが、もともと、何人でもよい」という部分。

爆笑するためには人数の決まりがあるということなのでしょうか?

よくわからないまま新明解も引いてみると、こちらにはこんな記述が。

ばくしょう 【爆笑】

おかしな話を聞いて、その場に居る人が一斉にどっと吹きだすようにして笑うこと。

「新明解国語辞典 第七版」

なるほど。爆笑とは「(複数の人が)一斉に笑う」ことだと書いてある辞書もあるんですね。

さらに調べてみると、他の辞書にも同様の記述を見つけました。

ばくしょう【爆笑】

大勢の人が一時にどっと笑うこと。

「軽妙なジョークにーがおこった」

「角川必携国語辞典」

ばくしょう【爆笑】

大勢の人が、一度にどっと笑うこと。

◎お笑い芸人のねたに観客が爆笑する

「ベネッセ表現読解国語辞典」

たしかに爆笑という言葉には、お笑いライブの会場などで大勢がどっと笑うというイメージがあります。

しかし三国の「何人でもよい」という注釈はこれらの語釈に明確に No を突きつけたものと言えそうです。おそらくは一人で爆笑するという用例が過去に存在するのでしょう。

歴史的な経緯はさておき、今の目で爆笑という言葉を眺めてみると、テレビやインターネットの動画を一人で見ることも多い現代、一人で爆笑するのは決して珍しいことではないはず。

ただ爆笑している人の多くが一人で爆笑しているような社会は、ちょっと寂しい社会なのかなとも思います。

おそらく人間には他の人といっしょに笑いたいという根源的な欲求があり、だからこそライブのような場が生き続けるのだろうと思います。

 
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りんごの複数形

日本語にはいわゆる文法上の数は存在しないということになっています。

例えば、りんごが目の前に二つ置いてあるとき、英語では apples になりますが、日本語ではりんごのまま。(もちろん二つのりんごと言うことはできますが。)

ただそんな日本語にも複数を表す接辞は存在します。

 

たち

ーたち[(▽達)](接尾)

〔人間・動物などの〕複数をしめすことば。

「あなたー・母ー・少年ー・白鳥ー」

「三省堂国語辞典 第七版」

人間・動物などの「など」という部分が気になりますが、基本的には生きているものに使う接尾辞と考えて間違いないでしょう。

昔「ふぞろいの林檎たち」というドラマがありましたが、これは人をりんごになぞらえているから「林檎たち」と言える訳で、りんごそのものをりんごたちと呼ぶ訳ではありません。

 

ども

ーども[(共)](接尾)

〔けんそんして/ぞんざいに〕多数の人をあらわす。

「てまえーでは・野郎ー!」

「三省堂国語辞典 第七版」

こちらも生きているものにしか使えない接尾辞。

もし将来りんごが人間に攻撃を仕掛けてくるようなことがあれば「この、りんごども!」と言えるのかもしれませんが、当面はその心配もなさそうです。

 

ーら[(▽等)](接尾)

①ふたり以上であることをあらわす。

「ぼくーのたからもの・わたしー〔『わたしたち』よりも方言的〕・君ーはまだまだだな・あいつー、ぶんなぐってやる・おさない子ー〔『子どもたち』よりも文章語的〕・選手ー〔文〕」

〔自分のがわや、同等・目下の人に使う〕

②〔文〕おもだった人(の名)をあげて、ほかの人を略すときに使う。

「専務ー五人・丸山氏ー」

③〔「これ」 「それ」 「あれ」に付いて〕すぐ前に述べた複数の人やものごとをさす。

「これーの人々・それーの批判」

「三省堂国語辞典 第七版」

③の用法では「これら、それら、あれら」と言えるので、生きているもの以外にも適用できそうなのはこの接尾辞。

ただそれでも「りんごら」と言うのはやや不自然です。詩的な表現ならあるいは「朝露に濡れた林檎らが、、、」などと言うこともあるでしょうか。

 

どうのじてん[同の字点](名)

すぐ前と同じ漢字であることをしめす符号。例、人々の「々」。

「三省堂国語辞典 第七版」

こちらは接辞ではありませんが、々の文字を後置することによって人間や動物以外の複数も表すことができます。

ただ何にでも使える訳ではなく、使えるのは慣用的な表現のみ。ぱっと思いつくのは「家々、木々、山々」などでしょうか。「りんごの木々」と言うことはできても「林檎々々」と言うことはできません。

 

まとめ

調べた範囲では、日本語でりんごが複数であることを示す適切な接辞は存在しないようです。

いやこんな表現がありますよ!とご存知の方がいましたら、ぜひ情報提供をお願いいたします。

 
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まないた、きりばん、さいばん

先日、古くなっていたまな板を買い換えたときのこと。

まな板の「まな」って何だろう?

という疑問が浮かんだので、辞書を調べてみました。

まないた【俎板・俎・真魚板】

〘名〙 (「まな」は食用の魚の意)

①魚を料理するのに用いる板。また、広く食物などを包丁で料理するのに用いる厚い板。菜板さいばん。切盤きりばん

語誌 現代日本語方言では、広く一般的に用いられているのは「まないた」であるが、その周辺に「きりばん」「さいばん」の地域(東北地方、千葉、茨城の一部、能登半島、九州)が分布している。この分布の仕方から判断すると、「さいばん」がもっとも古い語形かと考えられるが、「まないた」も挙例の「十巻本和名抄」に見えるから、かなり古い。

「精選版 日本国語大辞典」

これによると、まな板の「まな」は食用の魚という意味。

語釈も「魚を料理するのに用いる板」という説明から始まっています。

ウチのまな板ではほとんど魚を切ったことがないので、本来の使い方をしていなかった(?)ということになるのでしょうか。

また面白いなと思ったのは、まな板に「きりばん、さいばん」の異名があるということ。

調べてみると、日国では両方とも見出し語になっていました。

きりばん【切盤】

〘名〙 食物などを包丁で切るときに用いる板。まないた。…

「精選版 日本国語大辞典」

さいばん【菜板】

〘名〙 まな板。…

「精選版 日本国語大辞典」

さきほどの説明できりばん、さいばんの地域として挙げられている東北地方、千葉、茨城の一部、能登半島、九州の人に会ったら、これらの言葉を知っているか尋ねてみたいものです。

実際に使っている人、知っている人はどれくらいいるのでしょう?

 
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声がかれる

このところ長時間、人と話しているとすぐに声がかれるようになってしまい困っています。

声のスタミナがなくなったという感じでしょうか。

いっそボイストレーニングにでも行こうか、それともどこか悪いのだろうか。。。などと考えていたときに、ふと疑問に思ったのが、声がかれるというときの「かれる」って漢字でどのように書くのだろう?ということ。

枯れる?

いや違いますよね。おそらく。

さっそく辞書で調べてみると、そこには三つの「かれる」が出ていました。

かれる[枯れる](自下一)

①草木に水を吸いあげる力がなくなる。また、その結果、死ぬ。

②〔材木などの〕水気がなくなる。

③年をとって、からだのみずみずしさが失われ、しぼんだようになる。

④人格・技芸に気取りやむだがなくなる。

「三省堂国語辞典 第七版」

かれる[(×涸れる)](自下一)

水がなくなる。

「三省堂国語辞典 第七版」

かれる[(×嗄れる)](自下一)

〔声を使いすぎたり病気をしたりしたために〕声がひびかなくなったり、かすれたりする。

「三省堂国語辞典 第七版」

三国に出ていた「かれる」は「枯れる・涸れる・嗄れる」の三種類。

声がかれる場合は「嗄れる」と書くんですね。

あまり一般的な漢字ではないので、実際には「声がかれる」とひらがな表記にすることも多いのだと思います。

ただ「口+夏=嗄」というのはある意味、わかりやすい組み合わせ。

口の中が暑い夏の日のようにからからの状態になるとイメージすれば、記憶に定着できそうです。

 
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黒板をめぐって

黒板は緑なのに、なぜ「黒板」と言うのでしょう?

そんな疑問が浮かんだので、辞書を引いてみました。

こくばん[黒板](名)

チョークで文字が書けるように、黒または緑色に塗った板。塗板。

「三省堂国語辞典 第七版」

三国によると黒板の色は黒または緑色。

緑だけではなく、黒い黒板も存在するということなんですね。

。。。と書いていて、そもそも「黒い黒板」という日本語が成立すること自体が面白いことだということに気付きました。

黒い黒板は理屈の上では「白い白鳥」と同じような重言のはず。

じゅうげん[重言](名)

意味のかさなっていることばを続けて言う言い方。例、馬から落馬する。

「三省堂国語辞典 第七版」

ただ黒板=緑が主流の現代においては、黒い黒板が重言にならず、逆に「えっ?黒い黒板があるの?」と言われかねません。この逆転現象は面白いですね。

さらに調べてみると、日本語の「黒板」は英語の blackboard の直訳であるということがわかりました。

blackboard

(also chalkboard especially in North American English)

a large board with a smooth black or dark green surface that teachers write on with a piece of chalk

「Oxford Advanced Learner’s Dictionary」

OALD でも blackboard の色は black or dark green と定義されています。

(ただ英語には chalkboard という表現もあります。)

英語の blackboard も日本語の黒板も、昔は黒が主流だったものの時代とともに緑が主流に変わった。しかし呼び名は blackboard/黒板のまま変わらなかったという経緯なのでしょう。

ことばというのは変わり身が早いようで案外保守的なところもあるんですね。

 
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