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日本語

「ねたましい」と「うらやましい」の違いとは?

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お互いに似ているようにも思える二つの感情「ねたましい」と「うらやましい」の違いとは何でしょう?

何となく「ねたましい」の方がネガティブに思えるのですが、なぜネガティブなのかを説明するのはなかなか難しいように思います。

そんな「ねたましい」と「うらやましい」の使い分けについて、手元の辞書に次のような解説がのっていました。

他人がめぐまれた状態にいるのを見て、ひきずりおろしたいとにくしみをいだくのが「ねたましい」。「友人の成功がねたましい」。自分もそうなりたいとあこがれるのが「うらやましい」。「うらやましい豪華な旅」

「角川必携国語辞典」

つまり他人と自分の間に距離を感じた時に、相手を自分の方へ近づけたいという気持ちが「ねたましい」、逆に自分を相手の方に近づけたいという気持ちが「うらやましい」ということなんですね。腑に落ちる説明です。

なお英語でこれらに当たる表現としては、

I’m so jealous.
I envy you.

などがありますが、日本語の「ねたましい/うらやましい」の違いを伝えるのは難しそう。

また私たち自身も、このように言葉で説明されればわかるものの、普段そのような感情が生まれた時に、

「今、私は(うらやましいのではなく)ねたましいと感じている」

「今、私は(ねたましいのではなく)うらやましいと感じている」

というように、はっきりと違いを意識することはあまりないように思います。おそらくはもっと曖昧な気持ちとして認識しているだけなのではないでしょうか。

それだけに今度そのような感情に捉われた時には「今、私はねたましいと感じているのか? それともうらやましいと感じているのか?」と心の中を覗いてみるのも面白いかもしれません。

 

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一個下、一個上

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日本語の助数詞は実にさまざま。

紙は一枚、二枚、三枚。

鉛筆は一本、二本、三本。

本は一冊、二冊、三冊。

その他にも多くの助数詞が存在します。

そんな中、ちょっと不思議だなあと思うのが、高校生などがよく使う、年齢を表すときの「一個下、一個上」という表現。

普通に考えれば「一つ下、一つ上」だと思うのですが、なぜ「一個」という言い方になるのでしょう?

「個」というのは基本的に小さいものを表すときに使う助数詞。

りんごは一個、二個、三個。

消しゴムは一個、二個、三個。

コップは一個、二個、三個。

ただ考えてみると、これらはみな一つ、二つ、三つと言い換えることもできます。

もし「個=つ」という法則が成り立つのであれば、年齢を「一個下、一個上」と表すのも自然なことなのかもしれません。

ただ個を使うのは比較的年齢が近い場合であって、例えば「十個下、十個上」という言い方はあまり聞かない気がします。(その場合は十歳下、十歳上ですね。)

好意的に解釈すれば「一個下、一個上」という表現には、「一つ下、一つ上」にはない、親密さのようなものも感じるのですが、みなさんはどのように感じるでしょうか?

かつおぶしとまたたび

photo credit: Stanley via photopin (license)

photo credit: Stanley via photopin (license)

「猫に◯◯」と聞いて、すぐに連想する慣用句は何でしょう?

調べてみると、次の3つが見つかりました。

猫に鰹節(ねこにかつおぶし)

猫に鰹節とは、油断できない状況を招くこと。また、危険な状況にあることのたとえ。

猫に小判(ねこにこばん)

猫に小判とは、価値の分からない人に貴重なものを与えても何の役にも立たないことのたとえ。

猫に木天蓼(ねこにまたたび)

猫にまたたびとは、非常に好きなもののたとえ。また、それを与えれば効果が著しいことのたとえ。

故事ことわざ辞典

かつおぶしとまたたびはどちらも猫の好物とされているのに、意味が違っているのは面白いところ。

「猫にかつおぶし」は猫の近くにかつおぶしを置いておくと食べられてしまうという意味。

一方「猫にまたたび」は猫にまたたびをあげると喜んでくれるという意味になっています。

そもそもかつおぶしは猫の健康に良くないという説もあるようなので、慣用句もそこまで考えた上での意味になっている。。。ということはないですよね、たぶん。

Sumimasen

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日本語の「すみません」がしばしば Thank you. の意味で使われるというのはよく知られた話。

外国語として日本語を学んでいる人にとっては、混乱のもとになっているようです。

たしかに「お礼を言うべき場面でなぜ謝っているの?」と感じてしまうこともあるのでしょう。

そんな「すみません」には、より丁寧な「あいすみません」という形もあります。

すみません【済みません】

「すまない」の意の丁寧表現。〔くだけた形は「すいません」、より丁寧に「あいすみません」〕

「新明解国語辞典 第七版」

この「あい」という接頭辞は「〜することとあいなりました」などというときに使われる「あい」と同じ。

今では日常的な表現ではないものの、古き良き日本語という感じがします。

またこの「あいすみません」という表現で思い出すのが、ジョン・レノンの『Mind Games』というアルバムに入っている「Aisumasen」という曲。

これはタイトルのとおり、奥さんのオノ・ヨーコさんにひたすら謝っているという曲。

曲のタイトルは「あいすみません」の「み」が抜けて「あいすません」になっているのですが、曲の中では「あいすいません、ヨーコ」と歌っています。

くだけた形の「すいません」と丁寧な形の「あいすみません」のミックスですね。

もしかしたら日本語のノンネイティブにとって、sumimasen という音は発音しにくいのかもしれません。

もっとも表現はどうあれ、謝罪の気持ちがきちんと伝わっていれば問題ないのでしょう。。。おそらく。

 
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瓜に爪あり爪に爪なし

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漢字の中には、お互いに形の似た組み合わせのものがあって、つい取り違えてしまうことがあります。

例えば、瓜(うり)と爪(つめ)の組み合わせもその一つ。

私の場合、爪と書きたいときに間違って瓜という字を書いてしまうことがあります。

ただ自己弁護する訳ではないのですが、おそらく昔からこれらの漢字を間違える人は多かったのだろうと推察します。

その根拠は、これらの漢字に「瓜に爪あり爪に爪なし(うりにつめありつめにつめなし)」という覚え方が存在すること。

要は「瓜」という字の下の部分をツメに見立てて、

瓜 → ツメがあるのはウリ
爪 → ツメがないのはツメ

と言っているんですね。

ツメがあるのはツメ、だったらもっとわかりやすかったのですが、そこは残念ながらひねった覚え方をしなければなりません。

いずれにしても、これらの漢字を間違えがちな人は、

瓜に爪あり爪に爪なし
と心の中で唱えることで、正しい字を書くことができると思います。

4月、4時、4階

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早いものでもう4月になりました。

。。。と言うときの4月を私たちは何の疑いもなく「しがつ」と読みます。

ただし改めて考えてみると、日本語の4の読み方というのはかなり複雑。

例えば4時は「よじ」、4階は「よんかい」と読みます。

つまり日本語の4には一般的に「し」「よ」「よん」という3種類の読み方があります。

そして多くの場合、正しい読み方はたった一つだけ。つまり4月を「よがつ」や「よんがつ」と読むのは間違いということになります。

よん
× ×
× ×
× ×

 

もちろん私たち日本語のネイティブスピーカーにとってこの使い分けは全く難しいものではありません。

ただもしあなたが日本語教師で、この使い分けを外国語として日本語を学んでいる人に教えなければならないとしたら、いったいどのように教えるでしょうか?

??

と、疑問に思ったので、何らかの法則性を探してみようとしたのですが、結局思い当たらず。

もちろん外国語なのだから間違えても通じればよいという考え方もあります。

でも「それじゃあ、しじに待ち合わせね!」なんて言われたら、4時ではなく7時に行ってしまいそうですし、きちんと使い分けられないと誤解を生じてしまうこともあるでしょう。

このあたり、日本語学習者の人がいったいどのように覚えているのか気になるところです。

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