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言語を比較する

ファルファッレと世界の蝶

このところ料理によく使っているのが蝶ネクタイの形をしたパスタ、ファルファッレ(farfalle)。

この farfalle というのはイタリア語で「蝶」の意味なのだそう。

ファンファーレ(fanfare)によく似ているせいかもしれませんが、最初に聞いたときには華やかな響きの単語だなあと感じました。

英語は butterfly、イタリア語は farfalle となると、他の言語では蝶のことを何と言うのでしょう?

手元の『13か国語でわかる 新・ネーミング辞典』で調べてみました。

バタフライ butterfly
パピヨン papillon
シュメッターリング Schmetterling
ファルファッラ farfalla
西 マリポッサ mariposa
ボルボレッタ borboleta
フリンダラ vlinder
パーピリオー papilio
プシューケー ψυχή
バーバチカ бабочка
フーディエ 蝴蝶
ナビ 나비
ファラーシャ فراشة

 

これによるとイタリア語の蝶はファルファッラ(falfalla)となっています。

調べてみると、パスタの名前になっているファルファッレ(farfalle)はこの複数形であるとのこと。

それにしてもドイツ語のシュメッターリング、スペイン語のマリポッサ、ポルトガル語のボルボレッタなど、イタリア語のファルファッラに負けず劣らずカラフルな音の蝶が世界各国にいるものだなあと思います。

あの浮世離れしたような不思議な存在に、昔の人々は精一杯の素敵な音を当てようとしたのでしょうか?

 

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ここから富士山は見えない

今日は昨日のエントリーの続き。というかスピンオフのような内容です。

ここから富士山が見える

昨日取り上げた例文とその否定形について考えてみましょう。

Täältä näkyy Fujivuori.(ここから富士山が見える。)
Täältä ei näy Fujivuori.(ここから富士山は見えない。)

今日注目したいのはフィンランド語ではなく日本語訳の方。

特に意識して使い分けた訳ではないのですが、肯定文は「富士山が」と訳したのに対して、否定文は「富士山は」と訳しました。

この「が」と「は」を入れ替えるとどのようになるでしょう?

ここから富士山は見える。

もちろん日本語としては間違っていません。ただここには、例えば「本当は他の山が見たかったのにその山は見えず、代わりに富士山なら見える」というようなニュアンスが含まれるような気がします。

ここから富士山が見えない。

おそらく日本語ネイティブならこの文に微妙な違和感があることに同意してもらえると思います。しかしこの違和感の理由を論理的に説明するのが難しい。。。とにかく何かが微妙にずれているのです。

少なくともフィンランド語と英語においては、このような使い分けを考える必要はありません。

フィン Täältä näkyy Fujivuori.
Täältä ei näy Fujivuori.
We can see Mt. Fuji from here.
We cannot see Mt. Fuji from here.
ここから富士山が見える。
ここから富士山は見えない。

 

日本語を外国語として学んでいるフィンランド語ネイティブ・英語ネイティブに、

どうして「ここから富士山は見える」「ここから富士山が見えない」は不自然なの?

と聞かれたらどのように説明するべきでしょうか?

ここから富士山が見える

先日、フィンランド語教室で次のような例文を扱いました。

Täältä näkyy Fujivuori.(ここから富士山が見える。)

näkyy は「見える」を意味する動詞 näkyä の三人称単数形。

この文を見たとき、ふと思ったのは、

同じ意味を英語で表すとしたらどのような文になるだろう?

ということ。

試しに Google 翻訳で英訳すると次のようになりました。

Täältä näkyy Fujivuori.
→ Here is Fujivuori.

。。。伝えている内容は同じですが、力技という感じ?

また日本語を Google 翻訳で英訳すると次のようになりました。

ここから富士山が見える。
→ Fuji can be seen from here.

なるほど。受動態を使うという方法がありました。

ただこれも間違いではないのでしょうが、おそらく、

We can see Mt. Fuji from here.
You can see Mt. Fuji from here.

のように主語を置いた形の方が英語としては自然なのかなとも思います。

一方、日本語ではこの we や you を訳出すると極めて不自然な文になってしまいます。

△ 私たちはここから富士山が見える。
△ あなたはここから富士山が見える。

ただ本来「富士山が見える」という状況は富士山とそれを見ている人を抜きには成立しません。

ならばその人を明示するべきと考える英語と、あくまで富士山を主役に人は背景に溶け込むフィンランド語と日本語。

改めて比べてみると面白い対比だなと思います。

自転車を運転する

フィンランド語教室のテキスト「suomen mestari 1」にこんな文が出てきました。

Hän ajaa kouluun pyörällä.(彼女は自転車で学校へ行く。)
フィン
ajaa drive 運転する
koulu school 学校
pyörä
(polkupyörä)
bicycle 自転車

 

ajaa は「運転する」を意味する動詞。

ただ「自転車を運転する」という日本語には何となく違和感があり、先ほどの例文では「自転車で行く」と訳しました。

英語でも一般的には、

ride a bicycle
drive a car

のように自転車と車で動詞を使い分けます。

しかしフィンランド語では車の運転に使われる ajaa という動詞を自転車にも使うことができるんですね。

一方、日本語の「乗る」という動詞は自転車と車の両方に使えますが、「運転する」という動詞は車にのみ使うのが普通。

◯ 自転車に乗る ◯ 車に乗る
△ 自転車を運転する ◯ 車を運転する

 

ただ「自転車を運転する」という表現には違和感を覚えるものの、間違いとまでは言い切れないような気がします。

念のため、辞書も確認してみましょう。

うんてん[運転]

一(名・他サ)

①乗り物・機械などを動かすこと。

「列車のー士・バスのー手」

②(おかねを)回すこと。運用。

「ー資金」

「三省堂国語辞典 第七版」

三国によると、運転とは乗り物・機械などを動かすこと。

自転車はもちろん乗り物なのでこの定義からは外れていません。

実際の用例はどうなのかなと思い、インターネットで「自転車、運転」というキーワードで検索をしてみると「自転車運転者講習制度」についてのページが複数見つかりました。

自転車運転者講習制度 警視庁

少なくともここでは自転車と運転という単語が普通に結びついています。

ということはやはり「自転車を運転する」という表現は一般的なのか、それとも道路交通法で便宜的に使われているだけなのか。

どうも確信が持てないというのが正直なところ。みなさんはどのように感じますか?

幽霊の日

今日7月26日は幽霊の日。

なぜ幽霊?と思って調べてみると、今から200年近く前の1825年7月26日に歌舞伎の『東海道四谷怪談』が初演されたことから、7月26日が幽霊の日ということになったようです。

ゆうれい[幽霊](名)

①〔文〕死んだ人のたましい。亡霊。

②死んだ人間などの霊が生前の姿になってあらわれるというもの。

③実際はないのに、あるように見せかけたもの。

「三省堂国語辞典 第七版」

幽霊という言葉から連想するのは、頭に白い三角頭巾をした日本風の幽霊の姿。

おそらく日本には日本の、他の国には他の国なりの典型的な幽霊のイメージというものがあるのでしょう。

今回は『13か国語でわかる 新・ネーミング辞典』で他言語の「幽霊」を意味する単語を調べてみました。

ゴースト ghost
ファントーム fantôme
ゲシュペンスト Gespenst
ファンタズマ fantasma
西 ファンタスマ fantasma
ファンターズマ fantasma
ヘーストゥ geest
レムレース lemures
プネヴマ πνευμα
プリヴィヂェーニイ привидение
ヨウリン 幽灵
ユリョン 유령
ハヤール خيال

 

英語の ghost には「幽霊」以外に「幻影、面影」などの意味もあります。

ghost

  1. 幽霊、亡霊;幽霊のような(やつれきった)人
  2. (単数形で)〈…の〉幻影,影[幻]のようなもの,面影,かすかなもの[気配];微量、わずか〈of〉
  3. 代作者,ゴーストライター(ghostwriter)
  4. 〖放送〗ゴースト⦅テレビの二重画像のはっきりとしない方の像⦆
  5. (米)幽霊人口[社員];架空の会社
  6. (古)魂;霊

「オーレックス英和辞典 第2版」

おそらくは ghost 以外の単語もこのように様々な意味のある言葉なのでしょう。

上記の単語のうち、フランス語の fantôme は宇多田ヒカルさんのアルバムのタイトルになっていますし、イタリア語・スペイン語・ポルトガル語の fantasma は(ちょいと昔の話ですが)コーネリアスのアルバムのタイトルになっています。

そういう意味では何となくどこかで見たことがあるような単語が並んでいるような気もします。

猛暑が続くこの頃、少しでも涼しくなるのなら幽霊でも何でも出て来てもらいたいですね。

 
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熱について

うだるように暑い日が続いています。

あまりに暑く、体がだるいと、もしかして熱があるのかな?と思うことがあります。

ねつ[熱](名)

①熱さを感じさせるもの。

②病気などのための、ふつうより高い体温。

③熱心さ。

④熱中(した状態)。

「三省堂国語辞典 第七版」

ただ大抵はエアコンの効いた部屋に入るとおさまるので、体調には問題なかったことがわかります。

②の熱かと思ったら、①の熱だったという訳ですね。

あまりに暑いと、こんな風に自分の中の熱と周囲の熱が区別できなくなることってないでしょうか?

ちなみに英語ではこの①と②の熱を異なる単語で表します。

heat

  1. [uncountable, singular] the quality of being hot
  2. [uncountable, countable, usually singular] the level of temperature
  3. [uncountable] hot weather; the hot conditions in a building/​vehicle, etc.

「Oxford Advanced Learner’s Dictionary」

fever

[countable, uncountable] a medical condition in which a person has a temperature that is higher than normal

「Oxford Advanced Learner’s Dictionary」

人間は言葉によって世界をそして自分自身を認識するのだとすれば、英語のネイティブスピーカーは、うだるような暑さの中でも、自分の中の熱(fever)と周囲の熱(heat)を明確に区別できるのでしょうか?

それとも単に「うだるー」と感じているだけなのか。

そんなことがふと気になりました。

 
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