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脳トレーニングとしての外国語学習

英『BBC News』のウェブサイトに、バイリンガル(二言語話者)の人は認知症の発症が遅れるという記事が出ていました。

BBC News – Speaking a second language may delay dementia

People who speak more than one language and who develop dementia tend to do so up to five years later than those who are monolingual, according to a study.

(ある研究によると、2つ以上の言語を話す人は、1つの言語しか話さない人と比べて、認知症の発症が最大5年程度遅れる傾向がある。)

外国語の使用には思わぬ副産物があるということでしょうか。

実際、外国語を使っているときというのは、脳の普段使っていない部分を絞っているような感覚がありますね。

そのことは脳のトレーニングにもつながっているようです。

The researchers suggested bilingual switching between different sounds, words, concepts, grammatical structures and social norms constituted a form of natural brain training, which was likely to be more effective than any artificial brain training programme.

(研究者たちは、二言語間で「音声、単語、概念、文法構造、社会規範」を切り替えることは、自然な脳トレーニングになると提唱している。それはどのような人工的な脳トレーニングよりも効果的であるとみなされている。)

一時期、日本でも脳トレーニングがブームになったことがありました。

このニュースを見る限り、脳トレーニングの代わりに「新しい外国語を学んでみよう!」という発想もありなのかもしれません。

フィンランド語学習記 vol.112 − 目的語の格変化

photo credit: *Kicki* via photopin cc

フィンランド語教室45週目のレポート後編です。

[前編はこちら]フィンランド語学習記 vol.111 − 存在文のつくり方 | Fragments

存在文に続いて、この日は目的語の格変化について習いました。

例えば「本を読んだ」と言いたいとき、フィンランド語ではどのように表すのでしょうか。

Luin kirjan.(私は本を読んだ。)
*lukea(読む)、kirja(本)
*luin は lukea の一人称過去形

目的語の kirjan は、kirja が格変化した形。

[主格]kirja(本は)
[対格]kirjan(本を)

対格というのは「〜を」を表すフィンランド語の格変化。

でもちょっと待ってください。「〜を」表す格変化といえば、これまでは分格だったはず。

対格と分格の違いとは何でしょう? ここには次のような使い分けのルールがあります。

行為が完了する場合は対格、完了しない場合は分格を用いる。

本の例文に当てはめれば、本を読み終わる場合は対格、読み終わらない場合は分格を用いるということになります。

読み終わらない場合(分格)の文も見てみましょう。

Luin kirjaa.(私は本を読んでいた。)
[主格]kirja(本は)
[分格]kirjaa(本を)

この文の私はあくまで「本を読んでいた」のであって、「本を読み終わった」のではありません。すなわち目的語を分格の形にすることによって、進行形の意味を表しています。

この形はもともと読み終わることを前提としない本を読む際にも適用します。

Luin sanakirjaa.(私は辞書を読んでいた。)
*sanakirja(辞書)

ここでうっかり対格を使って「Luin sanakirjan.」と言ってしまうと、辞書を一冊きちんと読み終わったという意味になるとのこと。(もちろん絶対にあり得ないことではないのですが。)

なおここまでの話はあくまで目的語が数えられる名詞(可算名詞)の場合です。数えられない名詞(不可算名詞)の場合は、行為完了の有無に関わらず分格を使いましょう。

Join kahvia.(私はコーヒーを飲んだ。)
*juoda(飲む)、kahvi(コーヒー)
*join は juoda の一人称過去形

ここでもし対格を使って「Join kahvin.」と言ってしまうと、あらゆるコーヒーを飲み尽くしたという意味になってしまうのでしょうか? 語尾を一文字変えるだけでそんなニュアンスが表現できるのだとしたら、それはそれで面白いことですね。

 

まとめ

フィンランド語の目的語の格を決めるときには、

  • 可算/不可算
  • 全体/部分

という2つの要素を検討して格を決定しなければなりません。

数えられる名詞
(可算名詞)
数えられない名詞
(不可算名詞)
行為が完了(全体) 対格 分格
行為が未完了(部分) 分格 分格

 

これはちょっと大変ですね。

ただしこれは日本語にも英語にもない要素ですし、イメージを膨らませるのはそれなりに楽しい作業だと思いました。せっかく新しい言葉を習うのですから、これまでには思いもよらなかった「世界の切り取り方」に出会ってみたいものです。

フィンランド語学習記 vol.111 − 存在文のつくり方

photo credit: *MarS via photopin cc

フィンランド語教室45週目のレポート前編です。

まずは前回習った「A olla B」構文の復習。

[参考]フィンランド語学習記 vol.107 −「A olla B」構文における補語の格変化 | Fragments

続いて存在文のつくり方を習いました。

存在文とは「〜に〜がある」という意味を表す文。英語の「there is〜.」構文をイメージしてもらうとよいでしょう。

There is a book on the table.(テーブルの上に本がある。)

同じ意味をフィンランド語で表すと、いったいどのようになるでしょうか。

Pöydällä on kirja.(テーブルの上に本がある。)
*pöytä(テーブル)、kirja(本)

冒頭の単語 pöydälla は、pöytä が格変化した形。

[主格]pöytä(テーブルは)
[接格]pöydällä(テーブルの上に)

接格というのは「〜の上に」を表すフィンランド語の格変化。語尾に[-lla/llä]を付けて表します。

ここまでは特に問題なし。

もう一つの文を見てみましょう。

Lasissa on vettä.(グラスの中に水がある。)
*lasi(グラス)、vesi(水)

冒頭の単語 lasissa は、lasi が格変化した形。

[主格]lasi(グラスは)
[内格]lasissa(グラスの中に)

内格というのは「〜の中に」を表すフィンランド語の格変化。語尾に[-ssa/ssä]を付けて表します。

また文末の単語 vettä は、vesi が格変化した形。

[主格]vesi(水は)
[分格]vettä(水は)

分格というのは、幅広い意味を表すフィンランド語の格変化。語尾に[-a/ä][-ta/tä][-tta/ttä]のいずれかを付けて表します。(*分格の意味は後述します。)

わかりやすくするため、もう一度二つの文を並べてみましょう。

1)Pöydällä on kirja.(テーブルの上に本がある。)
2)Lasissa on vettä.(グラスの中に水がある。)

1の文では kirja は主格のままですが、2の文では vesi は分格(vesi → vettä)に格変化しています。これは次のようなルールによるもの。

存在文においては、主語が数えられる名詞(可算名詞)のときは主格、数えられない名詞(不可算名詞)のときは分格になる。

ここでの分格は、グラスの中に水の「一部分」が入っているというイメージでとらえるとよいと思います。一方、テーブルの上にあるのは本の「一部分」ではありません。

ここまでを見ると、存在文をつくる際には、数えられない名詞は数えられる名詞より扱いが難しいという印象があります。

しかしこの難易度はすぐにひっくり返ってしまいます。

主語が数えられる名詞であっても、分格になるケースを二つ紹介しましょう。

3)Pöydällä ei ole kirjaa.(テーブルの上に本はない。)
4)Pöydällä on kirjoja.(テーブルの上に本が何冊かある。)
[単数分格]kirjaa
[複数分格]kirjoja

3の文では kirja は分格(kirja → kirjaa)、4の文では複数分格(kirja → kirjoja)に格変化しています。これは次のようなルールによるもの。

存在文においては、主語が数えられる名詞(可算名詞)であっても否定文のときは単数分格、また主語が複数のときは複数分格になる。

本のあるなしを話しているだけなのに一筋縄ではいきませんね。

分格のつくり方は、フィンランド語の他の格変化とは異なる独自のルールを持っているため、覚えるのがやや大変。

ただし最近習った単元ではあらゆるところに分格が登場するため、もう一度つくり方をきちんと復習しなければなりません。

分格という概念が、フィンランド語を学ぶ上での一つの鍵のように思えてきた今日この頃です。

フィンランド語学習記 vol.110 − elämä

フィンランド語で「人生」は elämä(エラマ)。

iPhone のフィン・英辞書アプリ『MOT Finnish-English』で elämä を調べたところ、さまざまな用例がのっていたので、いくつか紹介してみたいと思います。

Elämä on kovaa.
(Life is hard. It’s a dog’s life.)
*kova(難しい)

フィンランドでも、人生は一筋縄ではいかないようですね。

ちなみに “dog’s life” というのは、しんどい生活を表す英語のイディオムです。

elämän tarkoitus
(the meaning of life, reason for living)
*tarkoitus(意味、目的)

フィンランドの人も、人生の意味や目的を考えずにはいられないということでしょうか。

こちらに発音をアップしてくれている人がいました。ラテン語のような格調高い響きがありますね。

Elämä ei ole pelkkää ruusuilla tanssimista.
(Life isn’t always a bed of roses.)
*pelkkä(〜だけ)、ruusu(バラ)、tanssiminen(ダンス)

英訳は “Life isn’t always a bed of roses.” となっていますが、原文のフィンランド語の中に bed に当たる単語はありません。

そのまま訳すと「人生はバラの上で踊るだけではない」という感じでしょうか。

おそらく「人生はいいことばかりじゃない」という意味の定型表現なのでしょう。日本語でこれに類する表現はあるかな?としばらく考えてみたものの結局思い付かず。「人間万事塞翁が馬」とは少し意味が違いますね。

以上、今回はフィンランド語の elämä の用例をいくつか紹介してみました。

こうして見ると、お国が違えど、人生の有り様にそうそう違いはないということなのかもしれません。

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アメリカ連邦議会におけるバイリンガル議員の割合とは?

アメリカの人は、外国語の学習にあまり熱心ではないという話を聞くことがあります。

真偽のほどはわかりませんが、グローバル言語としての英語がこれだけ普及した世界ではさもありなん、

Necessity is the mother of learning.

といったところでしょうか。

しかしアメリカ国内に目を向けてみると、移民の増加もあり、英語の母語話者比率は徐々に減少しているとのこと。地域によってはスペイン語やロシア語など、さまざまな言語が話されています。

米サイト『Language Magazine』が、そんなアメリカの第二言語事情に関する面白い調査結果を掲載しています。それはアメリカの連邦議会にバイリンガルの議員はどれくらいいるのか?というもの。

Language Magazine » Blog Archive » Survey of World Languages in Congress

対象者540名への調査結果は次のとおり。

There was an overall 65.6% response rate to the survey, and of those 35% had at least some second language ability while 20% claimed to speak the language fluently – considerably higher than the estimates for the general population.

(調査には全体で65.6%の返答があった。そのうち35%の人は何らかの第二言語能力を持っており、20%の人はその言語を流暢に話せると主張した。この数値は一般人口の推定値と比較してもかなり高い。)

第二言語を流暢に話せる議員が全体の二割というのは、思ったより高い数値ではないでしょうか。

なお言語別の内訳ではスペイン語が一位(54%)。他にはフランス語、中国語、ドイツ語が多かったとのこと。

一方、日本の国会議員はどうなのでしょう?

「何らかの第二言語能力を持っている」に該当する人はおそらく100%でしょうが、「流暢に話せる」に当てはまる人は20%もいないかもしれませんね。

もっとも、外国語を「話せる」とか「使える」と言うときの基準はあいまいなので、日本人のメンタリティを考えると、かなりの上級者でも「私は流暢に○○語が話せます!」とは言わないような気がします。

いずれにせよ、外国語の教育政策を論じるような立場の議員には、何らかの外国語をきちんと身に付けた経験があってほしいと思いますし、それが難しいならせめて専門家の意見に耳を傾けてほしいですね。

辞書にのっていない「because」の使い方

photo credit: greeblie via photopin cc

今日は雨が降っていたので、家に引きこもっていました。

I stayed home because rain.

この英文、どこか違和感がありますね。

because の使い方は、大きく以下の2つに分けられます。

  • because+節
  • because of+名詞句

つまり冒頭の文は、次のように書き換えればよいということになります。

I stayed home because it was rainy.
I stayed home because of rain.

しかし一筋縄ではいかないのが、生きた言葉の世界。

米サイト『Quick and Dirty Tips』によると、最近の英語には「because+名詞句」という形も見られるのだとか。

Grammar Girl : Because as a Preposition :: Quick and Dirty Tips ™

The new usage of “because” treats it as an ordinary preposition, by having it introduce noun phrases instead of clauses or the word “of.” I’ve also heard teenagers say things like, “I’ll do that when school’s out, because more time.”

(この新しい用法では because を普通の前置詞のように扱う。つまり because の後ろに節や of を置かないということだ。10代の子が “I’ll do that when school’s out, because more time.” と言うのを聞いたこともある。)

This construction got a name just last year. In July 2012, two linguists independently decided to call it “because NOUN.”

(この構文には昨年名前が付けられた。2012年7月、二人の言語学者はそれを “because NOUN” と呼ぶことにしたのだ。)

おそらくは若者言葉の一種なのでしょう。

少なくとも辞書や文法書でこのような文を見たことはありません。

しかし改めて考えてみると、英語には before や after のように接続詞と前置詞の両方の働きを持つ単語があります。

それなら because がそのような方向に進化(?)していったとしても、不思議ではありません。

それにしてもこれは学校のテストなどで、いかにも先生が×を付けそうな文だと思います。

もし×をもらっても、上記の記事をプリントアウトして持っていけば、あるいは◯がもらえるかもしれません。。。さて、どうでしょう?

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