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とりどり

オアシスまで20,000マイル

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音楽は日々の生活に欠かせないものの一つ。

。。。と思ってはいるのですが、仕事が忙しいときには、新しい音楽を開拓しようという気持ちも薄れてしまいます。

そんなときには学生時代に好きだった音楽を聴き直して、エネルギーをもらうようにしています。

最近聴き直しているのが、2011年に解散したアメリカのロックバンド R.E.M. の『Out of Time』というアルバム。

その中でも特に好きなのが「Texarkana」という疾走感のある曲。

昔は歌詞の内容を追いかけたりしていなかったのですが、改めて聴いてみるとこんな出だしでした。

20,000 miles to an oasis

20,000 years will I burn

20,000 chances I’ve wasted

Waiting for the moment to turn

1マイルは約1.6km なので、20,000マイルというのは約32,000km。

オアシスまで32,000kmというのは遠いようでもあり、近いようでもあり。

なお曲名の Texarkana(テクサーカナ)というのはアメリカのテキサス州とアーカンソー州の州境に位置する町の名前。

学生時代、車でアメリカを回ったときに、この町を通ったことがあります。そのときに「あ、Texarkana というのは町の名前だったんだ」と思ったのを覚えています。

Texarkana には夜遅くに着いて、どこかの駐車場で車中泊をして、次の日にはすぐに出発してしまったので、結局町を回ることはありませんでした。

この曲はそんな旅の記憶につながっていることもあり、聴いていると様々な感情が湧いてきます。

ただ歌詞の中には一度も Texarkana という単語が出てこないので、なぜこの曲のタイトルが Texarkana なのかは未だにわかりません。

この Texarkana というのは本当にあのとき立ち寄った町なのか? あるいは20,000マイル先にある未踏のオアシスの名前なのか?

そんなことをつらつらと考えている間に日曜も終わり、また新しい週がやってきます。

愚行権について

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ぐこう【愚行】

おろかしい行い。ばかげた行為。

「広辞苑 第五版」

例えば、私が今すぐに仕事を辞めてプロのピアニストを目指すと言ったら、友人や家族は「えっ?」と思うでしょうし、反対して止めようとする人もいるでしょう。

それはそれで私のことを思ってくれた結果なので、一つのアドバイスとしてありがたく受け止めます。

しかしそれでもなお私にはピアニストを目指すという権利があります。

そんな風に周囲から見てどんなに無謀なこと、馬鹿げたことであっても、他者の不利益にならない限り、それを遂行する権利のことを「愚行権」と呼びます。

ただしその先にどのような未来が待っていたとしても、結果に対する責任は自分で負わなければなりません。

それを踏まえた上であれば、人は誰でも愚かなことを行う権利があるはずです。

最近気付いたことは、私がこれまで生きてきて親しくなることができた人というのは意識的であれ、無意識的であれ、人の愚行権を認めているということ。

今の世の中は、みなが賢く、人に批判されないように振る舞うことに慣れてしまっているようで何だか物足りない感じがしませんか?

ストッパーを外して、もっと自由に愚かなことをしてもよいと思うのですが、いかがでしょう?

バイバイン

突然ですが、2の累乗っていくつくらいまで暗算をすることができますか?

2の累乗というのは、

  • 2×2=4
  • 2×2×2=8
  • 2×2×2×2=16

というように、2をどんどん掛け合わせていく計算のこと。

21 2
22 4
23 8
24 16
25 32
26 64
27 128
28 256
29 512
210 1024
211 2048
212 4096
213 8192
214 16384
215 32768

 

暗算だと、だいたいこのあたりが限界でしょうか。

この累乗の爆発力というものを、子どもの頃の私が強く意識するきっかけになったのが、ドラえもんの「バイバイン」というお話でした。

話の冒頭、のび太が一つの栗まんじゅうを前に悩んでいます。

「栗まんじゅうを食べたいが、食べればなくなってしまう。食べても、なくならないようにできないものか。」

そこでドラえもんが出してきたのが「バイバイン」という薬。これをかけると栗まんじゅうが5分ごとに2倍になるというのです。

喜ぶのび太。しかしドラえもんは栗まんじゅうを絶対に残さないようにと警告します。1→2→4→8という最初の増え方を見ている限りは問題なさそうなのですが。。。

結局、のび太は増えすぎて食べきれなくなった栗まんじゅうをゴミ箱に捨ててしまいました。

そのことを知って慌てるドラえもん。ゴミ箱を見ると、既に栗まんじゅうで溢れかえっています。

このままだと地球が栗まんじゅうで埋め尽くされてしまう!というので、最後は栗まんじゅうをロケットで宇宙に飛ばしてしまうというオチでした。

累乗というのは、最初はゆるやかに見えても途中からはびっくりするような速度で数が増えていきます。

5分ごとに2倍になる栗まんじゅうの増え方を計算してみると、

212(1時間後) 4096
224(2時間後) 16777216
236(3時間後) 68719476736
248(4時間後) 281474976710656
260(5時間後) 1152921504606846976
272(6時間後) 4722366482869645213696

 

1時間後に4096個だった栗まんじゅうは、2時間後には1677万を超え、3時間後には687億を超えてしまいます。

恐るべし、累乗の力。

それにしても宇宙に飛ばされた栗まんじゅうはいったいどうなったのでしょう?

ルーティーンを丁寧に

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仕事であれ、家のことであれ、日々生活をしていると忙しさの波のようなものがどっと押し寄せてくることがあります。

あまりにも忙しいときというのは、やらなければならないことの多さに気持ちばかり焦ってしまい、からまわりしてしまいがち。

一つ一つこなしていけばよいとわかってはいるものの、気持ちが上の空になってしまったり、先々のことを考えてしまったり、どうにも落ち着くことができません。

そんなときにおすすめなのが日常のルーティーンをいつもより丁寧に行うこと。

例えば、洗濯物の一枚一枚をいつもより丁寧に干す、一杯のコーヒーをいつもより丁寧に淹れる、寝る前のストレッチをいつもより丁寧に行う、などなど。

どんなことでもよいので、ただ目の前にあるものに心を尽くす。そうしていると、やがて心がふっと軽くなり、何でもやってやろう!という気持ちになるから不思議なもの。

これがいったいどういう心の働きなのかはよくわからないのですが、経験則からルーティーンを丁寧に行うことには、一種の禅的な力があるように感じることもあります。

この頃、忙しいなあ、こんがらがっているなあとお悩みの人はぜひ試してみてください。

亜麻色ってどんな色?

photo credit:  via photopin (license)

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ある日のこと、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」を聞きながら、亜麻色というのはどんな色なのだろう?とふと疑問に思いました。

あま【亜麻】

北海道で栽培する一年草。夏、紫青色の小さい花を開く。繊維から糸 ・織物を作り、種から亜麻仁油(アマニユ)をとる。〔アマ科〕

「新明解国語辞典 第七版」

あまいろ【亜麻色】

黄色みを帯びた褐色。「ーの髪」

「新明解国語辞典 第七版」

「黄色みを帯びた褐色」というのは何となくイメージできるようなできないような。

百聞は一見に如かずということで、実際の色を探してみると、おおむね以下のような色を亜麻色と呼ぶことがわかりました。

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亜麻色という言葉を知ることなしにこの色を見たなら、おそらく薄い茶色というような表現しかできなかったことでしょう。

それが亜麻色という言葉一つを知っただけで、そのような色として認識できるようになるのだから、言葉というのは面白いものだと思います。

 
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一人の人間は最大何人の友達を持つことができるのか?

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この世界には、おそらく人付き合いの得意な人と苦手な人がいます。

そんな中、一人の人間が社会生活において関係を維持している人の数の平均を調べたら、いったい何人くらいになるのでしょう?

そこにはもちろん家族や会社の同僚や友達など、さまざまなカテゴリーの人々が含まれます。

もちろんこの問題には、友達の定義をどうするかという問題もあって、ちょっと知り合っただけでその人を友達と呼ぶ人もいれば、かなり深い付き合いになるまで友達とは呼ばない人もいます。

そのあたりのグレーゾーンは一旦脇に置いておいて、一人の人間が安定的に関係を維持することができる人の数を算出したイギリスのロビン・ダンバー(Robin Dunbar)いう人類学者がいます。

彼の定式はダンバー数(Dunbar’s number)と呼ばれており、それによると一人の人間が安定的に関係を維持することができる人の数は平均150人程度なのだそう。

150人という数は多いと感じるでしょうか? それとも少ないと感じるでしょうか?

考えてみると、社交的な人であれ、寡黙な人であれ、一人の人間に与えられた1日24時間、1年365日というリソースは変わりません。

だとすれば、どんなに社交的な人であっても、付き合うことのできる人の数にはおのずから上限がある訳です。

どんなに社交的な人でも、すでにこの上限に達していれば、それ以上の関係を作るためには既存の関係の見直しをしなければなりませんし、この上限には遠いという人なら、その気になれば、これから多くの関係を育てていくことができるのだと思います。

そういう意味では、人間というのは案外平等にできているなあという気がしなくもありません。

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