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フィンランド語学習記 vol.785 − ヘイノ・カスキ(5)

昨日に続いてフィンランドの作曲家ヘイノ・カスキに関する文章を読んでいきます。

1910-luvun alkupuolella Kaski sai neljästi valtion stipendin, ja sen turvin hän opiskeli sävellystä Berliinissä Paul Juonin johdolla vuosina 1911–1914. Maailmansota keskeytti opinnot, ja hän palasi kotimaahan vuosiksi 1914–1919 ja sai opetusta Palmgrenilta. Sodan jälkeen hän palasi Keski-Eurooppaan ja jatkoi sävellysopintojaan Otto Taubmannin johdolla ja tutustui myös ranskalaiseen säveltaiteeseen.

1910年代の初めに彼は国の奨学金を受け、それによって彼はベルリンでパウル・ユオンの指導によって1911年から1914年まで作曲の勉強をした。世界大戦によって学業は中断し、彼は1914年から1919年まで母国に帰り、パルムグレンに師事した。戦後、彼は中央ヨーロッパに戻り、オットー・タウプマンの指導によって作曲の勉強を続け、フランスの芸術音楽に親しんだ。

Heino Kaski – Wikipedia

フィン
neljästi four times 4回
turva protection 保護、安全
johto management 指揮、指導
keskeyttää interrupt 中断させる、妨げる
säveltaide music 音楽、芸術音楽
jatkaa continue 続ける

 

neljästi

1910-luvun alkupuolella Kaski sai neljästi valtion stipendin,

1910年代の初めに彼は国の奨学金を受け、

ここに出てくる neljästi の意味がよくわかりませんでした。

辞書通りに訳せば「4回」ということになるのですが、4回奨学金を受けたということで良いのか。。。どうも確信が持てず。結局、訳文からは消してしまいました。

 

ひとこと

ぱーっと読んでわかったつもりになっている文章でも、精読してみると実はわかっていないことが多々見つかります。ただ自分なりに調べ尽くしてわからないところは一旦わからないままにして先に進むしかありません。

フィンランド語学習記 vol.784 − ヘイノ・カスキ(4)

昨日に続いてフィンランドの作曲家ヘイノ・カスキに関する文章を読んでいきます。

Musiikinteoriaa hänelle opetti Ilmari Krohn, ja hän sai yksityisesti sävellysopetusta Erkki Melartinilta, Jean Sibeliukselta ja myöhemmin Selim Palmgrenilta.

音楽理論を彼に教えたのはイルマリ・クローンだった。そして彼はエルッキ・メラルティン、ジャン・シベリウス、後にはセリム・パルムグレンから個人的に作曲を教わった。

Heino Kaski – Wikipedia

フィン
teoria theory 理論
yksityisesti privately 個人的に
sävellys composition 作曲
myöhemmin later 後で

 

SVOO

Musiikinteoriaa hänelle opetti Ilmari Krohn,

音楽理論を彼に教えたのはイルマリ・クローンだった。

この文のような語順にフィンランド語らしさを感じます。

フィン musiikinteoriaa hänelle opetti Ilmari Krohn
music theory him taught Ilmari Krohn
音楽理論を 彼に 教えた イルマリ・クローンが

 

この文を英語に訳す場合、英語には SVOO(Ilmari Krohn taught him music theory.)という語順の制約があります。

一方、日本語に訳す場合、英語からの直訳風に「イルマリ・クローンが彼に音楽理論を教えた」と訳すこともできますし、フィンランド語のように「音楽理論を彼に教えたのはイルマリ・クローンだった」と訳すこともできます。

このあたりにフィンランド語と日本語の親和性の高さを感じます。

 

ひとこと

翻訳の仕事をしている訳ではないものの、フィンランド語をきれいな日本語に置き換えられたときにはちょっとした達成感があります。

フィンランド語学習記 vol.783 − ヘイノ・カスキ(3)

昨日に続いてフィンランドの作曲家ヘイノ・カスキに関する文章を読んでいきます。

Heino Kasken vanhemmat olivat lukkari, director cantus Daniel Kaski ja Anna Maria o.s. Alopaeus. Poika sai musiikinopetusta isältään ja oppi soittamaan viulua.

Kaski siirtyi kesken oppikoulun Sortavalan lyseosta Helsinkiin opiskelemaan musiikkia, aluksi urkurikoulussa ja sen jälkeen Helsingin orkesterikoulussa.

ヘイノ・カスキの両親はカントル(教会音楽家)であるダニエル・カスキとアンナ・マリア(旧姓アロペウス)であった。少年は父から音楽教育を受け、バイオリンの演奏を学んだ。

カスキは音楽を学ぶためソルタヴァラの中等教育学校を中退し、ヘルシンキに居を移した。最初はオルガン奏者養成学校、その後はヘルシンキのオーケストラ学校に通った。

Heino Kaski – Wikipedia

フィン
o.s.(omaa sukua) née 旧姓
opetus teaching 教育
siirtyä move 移る、動く
kesken unfinished 途中で
oppikoulu secondary school 中等教育学校
aluksi first 最初に
urkuri organist オルガン奏者

 

lukkari, director cantus

Heino Kasken vanhemmat olivat lukkari, director cantus Daniel Kaski ja Anna Maria o.s. Alopaeus.

ヘイノ・カスキの両親はカントル(教会音楽家)であるダニエル・カスキとアンナ・マリア(旧姓アロペウス)であった。

ここに出てくる lukkari, director cantus の意味がよくわかりませんでした。

director cantus については Wiktionary に次の説明が出ています。

director cantus

In Finland, an honorary title awarded by the cathedral chapter to a distinguished cantor, or by the president of the republic to other musician.

「Wiktionary」

これによると director cantus というのは「優れたカントルに贈られる名誉称号」とのこと。

ただこれを何と訳したらよいのか判断できず。

また lukkari はもともと教会の役職を示す言葉のようですが、カントルとの関係性がいまいちわかりません。全体として「カントル(教会音楽家)」というふわっとした訳にとどめる結果になりました。

 

ひとこと

ちょっと専門的な言葉が出てきたときの訳し方が難しいですね。。。

フィンランド語学習記 vol.782 − ヘイノ・カスキ(2)

昨日に続いてフィンランドの作曲家ヘイノ・カスキに関する文章を読んでいきます。

Pianominiatyyreista kenties tunnetuin on toivekonserttien suosikki Yö meren rannalla. Hän sävelsi myös sinfonian h-molli op. 16 vuonna 1919. Säveltäjä itse piti tätä teosta pääteoksenaan. Muita Kasken sävellyksiä ovat muun muassa viulu- (1920), sello- (1923) ja huilusonaatit (1937). Hän sävelsi yli sata yksinlaulua sekä yli sata pianokappaletta.

ピアノ小品のうち、おそらく最もよく知られているのは toivekonsertti で好まれる「夜の海辺にて」である。彼は1919年に「交響曲ロ短調」も作曲した。彼自身はこの作品を代表作とみなしていた。その他のカスキの曲には例えばヴァイオリン・ソナタ(1920)、チェロ・ソナタ(1923)、フルート・ソナタ(1937)がある。彼は100以上の歌曲と100以上のピアノ小品を作曲した。

Heino Kaski – Wikipedia

フィン
miniatyyri miniature ミニチュア
kenties possibly おそらく
tunnettu famous よく知られた、有名な
suosikki favorite お気に入り
pääteos main work 主要作品
muun muassa among other things 例えば
viulu violin バイオリン
sello cello チェロ
huilu flute フルート

 

toivekonsertti

Pianominiatyyreista kenties tunnetuin on toivekonserttien suosikki Yö meren rannalla.

ピアノ小品のうち、おそらく最も有名なのは toivekonsertti で好まれる「夜の海辺にて」である。

ここに出てくる toivekonsertti の意味がよくわかりませんでした。

toive は「希望」、konsertti は「コンサート」の意味ですが、toivekonsertti(希望コンサート?)というのは何のことなのでしょう?

 

ひとこと

手元にある舘野泉さんのCD『夜の海辺にて~カスキ作品集』には今回の文章に出てくる作品のうち「Yö meren rannalla(夜の海辺にて)」と「Huilusonaatti(フルート・ソナタ)」が収録されています。久しぶりに聞いてみると、しみじみと素敵な作品だなと思います。

 

夜の海辺にて~カスキ:作品集
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フィンランド語学習記 vol.781 − ヘイノ・カスキ(1)

フィンランドの作曲家に関する本を読んでみたいと思っているのですが、フィンランド語の本を一冊読み通すのはまだまだ難しそう。

そんな現在の語学力でも比較的気軽に読めるのがフィンランド語版 Wikipedia の記事です。

今回から数回に分けて、フィンランドの作曲家ヘイノ・カスキに関する文章を読んでみたいと思います。

Heino Wilhelm Daniel Kaski (21. kesäkuuta 1885 Pielisjärvi – 20. syyskuuta 1957 Helsinki) oli suomalainen säveltäjä ja pianisti. Säveltäjänä Kaski keskittyi pääasiassa pienimuotoisiin pianokappaleisiin ja lauluihin. Tyylillisesti hän edustaa kansallisromantiikkaa.

ヘイノ・ヴィルヘルム・ダニエル・カスキ(1885年6月21日 ピエリスヤルヴィ− 1957年9月20日 ヘルシンキ)はフィンランドの作曲家、ピアニストである。作曲家としてカスキは主にピアノの小品や歌曲に専念した。様式的には彼はナショナル・ロマンティシズムを代表する。

Heino Kaski – Wikipedia

フィン
säveltäjä composer 作曲家
keskittyä concentrate on 集中する、専念する
pääasiassa mainly 主に
pienimuotoinen small-scale 小規模の
laulu song
tyylillisesti stylistically 様式的には
edustaa represent 代表する
kansallisromantiikka national romanticism ナショナル・ロマンティシズム

 

säveltäjä

Heino Wilhelm Daniel Kaski (21. kesäkuuta 1885 Pielisjärvi – 20. syyskuuta 1957 Helsinki) oli suomalainen säveltäjä ja pianisti.

ヘイノ・ヴィルヘルム・ダニエル・カスキ(1885年6月21日 ピエリスヤルヴィ− 1957年9月20日 ヘルシンキ)はフィンランドの作曲家、ピアニストである。

säveltäjä は「作曲家」の意味。「作曲する」を意味する動詞 säveltää に「〜する人」を意味する接尾辞[-jA]を付けた単語です。

säveltää

作曲する

Sibelius sävelsi “Finlandian” vuonna 1899.
シベリウスは『フィンランディア』を1899年に作曲した。

「パスポート初級フィンランド語辞典」

 

ひとこと

カスキの同時代人にはフィンランドで最も高名な作曲家シベリウスがいました。シベリウスは1865年生まれなので、カスキより20歳年上ということになります。

続きは明日のエントリーにて。

 

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フィンランド語学習記 vol.780 − エチオピアの植林

夏が来るたびに地球温暖化が話題に上るここ数年。

暗い未来を想像させるようなニュースが多い中、フィンランド語学習者のためのやさしいフィンランド語によるニュースサイト「Yle Uutiset selkosuomeksi」にアフリカのエチオピアで行われている大規模な植林の話題が出ていました。

Etiopialaiset istuttavat puita

Afrikassa, Etiopiassa on istutettu paljon puita. Etiopialaiset istuttivat maanantaina 350 miljoonaa puuta yhden päivän aikana.

Etiopia aikoo istuttaa yhteensä 4 miljardia puuta puolessa vuodessa. Etiopia haluaa estää sen, että metsät katoavat ja tilalle tulee aavikkoa, jossa ei kasva mitään.

エチオピア人は木を植える

アフリカのエチオピアで多くの木が植えられている。エチオピア人は月曜日に一日で3億5千万本の木を植えた。

エチオピアは半年で計40億本の木を植えるつもりだ。 エチオピアは森が消え、その場所が何も育たない砂漠になることを防ぎたい。

Yle Uutiset selkosuomeksi | Yle Uutiset | yle.fi

フィン
istuttaa plant (苗などを)植える
estää prevent 妨げる
kadota disappear 消える
tila space 場所、スペース
aavikko desert 砂漠

 

istuttaa

Etiopialaiset istuttavat puita

エチオピア人は木を植える。

istuttaa は「座る」を意味する動詞 istua の他動詞の形。

「座らせる」という意味もありますが、「(苗などを)植える」という意味もあるんですね。

植える=座らせるというのは面白い感覚です。

 

ひとこと

3億5千万本とか40億本というのは途方も無い数字。 最初は読み間違えているのかな?と思ったのですが、そういう訳でもなさそうです。

未来へのささやかな希望を感じ取れるような、こういったニュースももっと報じてもらいたいと思います。

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